日願(ひがん)≒彼岸~春分の日~ | 遊行楽紀行 ~風のささやき 水の行く末~

遊行楽紀行 ~風のささやき 水の行く末~

季節、暦、時事をみつめて、気ままに書き綴ります
吹く風と流れる水、自然のあるがままを訪ねて
小さな「幸せ」「豊かさ」「健康」は身近に
考え方の整理整頓で「明日」「生き方」「行動」が輝きます
心豊かに 笑顔で そして健康に

---日願(ひがん)≒彼岸~春分の日~---

2014年3月21日、春分の日。
太陽黄経0°出発点です。

春分の日の前後3日間が「お彼岸」

春の祖先崇拝日です。
「ひがん」は、もともと「日願」でたったといあれています。

西に沈む太陽に「西方浄土」を重ねました。
「太陽」=「日」を「祈願」する日。
「日願(ひがん)
です。

「彼岸」は、文字のごとく、岸辺のイメージ。川を挟んで向こう岸(悟りの境地)に渡ることを願う語感。
彼岸の川、これは漠然と三途の川かと思いきや、違うそうです。
もっと象徴的な到達すべき理想、目標としての向こう岸。

西の浄土でも、向こう岸でも、理想を願う「日願」

年に2回、振り返りの日としたいものです。


♪暑さ寒さも彼岸まで        
             

彼岸と言えば、添えられる言葉です。
彼岸を境に暖かくなり、秋の彼岸を境に猛暑も収まる。

それを踏まえた俳句が2句。

♪あゝ寒い あらあら寒い 彼岸哉  小林一茶
♪毎年よ 彼岸の入に 寒いのは 正岡子規

とはいえ、寒いよね」の句です。

確かに2014年も、「ああっ寒い」。

♪竹の芽も 茜さしたる 彼岸かな 芥川龍之介

龍之介の「ひがん」は、「日願」のようです。
やや頭を傾げた、筍(たけのこ)が、西日を拝んでいるよう見えたのかもしれません。

♪門前を 彼岸参りや 雪駄ばき 夏目漱石

道によっては、彼岸に通行量が増えることがあったのでしょう。
面白い句です。
雪駄の石畳ならば「しゃら しゃら しゃら しゃら」 土道ならば「ざっ ざっ ざっ ざっ」です。


♪花待たず 彼岸にゆきし 仏かな 水告
                 

冷え込みは老いの身、病いの身を襲います。

彼岸にゆきし 仏かな」には、こんな伏線もあります。

不思議な伝承です。
「彼岸」と「此岸」の距離は暦によって変化するとのこと。
なんと・・・。
実は、彼岸の今日、3月21日が距離が一番近いとのこと。
「渡りやすい日」なのかもしれません。

♪花待たず 彼岸にゆきし 仏かな 水告

桜は見れなかったけれど、渡りやすい日でもあったのだと・・・。


さて・・・。
「彼岸」に至らぬ身は、理想を願い、「日願」します。
その姿は、「苦」の中にあるのかもしれません。
「苦」は「苦しみ」の意味加えて、「不平・不満」の意味もあります。
向こう岸「彼岸」に対するこちら側は、「此岸(しがん)」にいる我々。
「苦」も、また受け入れて過ごさねばなりません。

♪一切皆苦

(意訳)すべては苦であることを理解しておこう!

此岸(しがん)=現世、現実世界、日々日常・・・の「苦しみ」。
肉体的な身苦(苦)と精神的な心苦(憂)・・・。

「苦」には「励まし」のみ。

彼岸(日願)、春分の日に、雑感です。

---------------------------------------------

<ご参考>

「般若心経」にも「苦」が3回使われています。
因みに「楽」、「喜」や「悲」、「怒」は使われていません。
(色は21回、不は9回、空は7回、色は6回、般若は6回 波羅蜜多は6回)

「夢」と「真」は1回だけ使われています。

~仏説・摩訶般若波羅蜜多心経~
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経

フォローしてね 
→ブログ一覧
人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ ブログランキング ペタしてね