しばらくブログをお休みします。
子供が通常の生活に戻れば、私も全力で新しい仕事の準備に取り掛かりたいと思っています。
(今度こそ!)
不器用な性格なので、一点集中しないと物事が進まないのです…。
また余裕が出てきたら再開しようと思います。
フォローやいいねをしてくださった方、ありがとうございました。
フォローをしてくださったばかりの方、すみません。
前もってお伝えしますがこれ以下、長い内容になります
。
忍耐のある方はお付き合い頂けると嬉しいです。
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途中から自分のブログは、近いうちに子供に見せるのも目的の一つになりました。
傷つく内容があるだろうけど、自分や周囲を知る手掛かりにして欲しいと思っています。
長男(10歳)を発達障害の初診へ連れて行った時(8歳)、
本人は困り事を抱えているという自覚はありませんでした。
なぜ自分がここへ連れて来られたのか?
理由は分からなくても、そこがどんな病院なのかなんとなく気付いたようでした。
「僕は障害者なの?」
帰りの車で不安な顔で聞いてくる息子に、
心の底から安心させられる言葉を私は用意していませんでした。
考えておくべきでした…。
その後、他のクリニックも検索中に息子を元気付ける良い言葉を発見しました。
(本人は覚えていないと思いますが)
それは、
「発達障害は歯並びと同じ」
…完璧な歯並びの人はいない。
みんな少しずつズレている。
ズレが大きくなってくると
ケアや治療が必要になる…
というものでした。
誰もが大なり小なり生き辛さという障害を抱えている。
実際、ほとんどの人がAD(注意欠如)かHD(多動)のどちらかに多少は偏っているとも書いてあったので
上記をざっくり息子に伝えた上で、
「みんな障害(生き辛さ)を持っているんだよ」
「しんくん(息子)だけじゃないから大丈夫」
と言ったら、
「そっか、じゃあいいや!
」と。
…良くはないけど…
発達障害だけでなく、身体的な障害や難病、精神疾患から
人間関係のちょっとした躓きや名前の付かない悩みまで
誰もが何かしらの生きづらさを抱えていて、
そういう意味では
「世間は障害を持った人の集まりなんだ」
と個人的に勝手な解釈をするようになりました。
批判を受けるかもしれませんが…。
でもこんな主観で突っ走ってしまったら非常に危険です![]()
私はそんな極端な?発想から「障害」という言葉を
割と抵抗なく使うようになり、それが元でトラブルに…
私の姉には成人した娘がいて、訳あって姉とは別に実家で暮らしています。(我が家のすぐ近く)
姪っ子は優しく穏やかな子ですが、仕事が長続きしません。
身近で見ているとアレ?と気づく事もあり、
ついうっかり
「何かの障害があるんじゃ?」
と姉に言ってしまいました![]()
すると、
「はぁ⁉️すっごく失礼
」
「私の娘はそんなんじゃない
しんくんとは違うから![]()
」
と言われてしまい…、
あ
そっか、そうだよね…と自分の配慮に欠ける発言を反省しました。
世間的な「障害」へのイメージ。それをすっかり忘れていました。
「自分と他人との境界が把握できていない」
まさにその特性を私は発揮してしまったようです![]()
自分と他人との境界線をわきまえて、不快感を与えないよう振る舞う。
「自分と同じように他の人にも独自の世界があり、別の価値観を持って生きている」
その認識を持ち、お互いに尊重し合う。
人と関わり合って生きて行くのに必要な能力です。
しかし、私や息子のようなアスペルガー含む自閉的な人たちは、
自分の閉ざされた幕の外側を見ることが難しい。
幕の外側にいる他の人たちへの配慮が欠けて、
傍若無人な態度を取ってしまったり、不快感を与える事を言ってしまったり…。
でも、息子を見ていると
閉ざされた幕の内側にはずっと自分一人だけというわけではなく、
時間をかけて「母」を取り込み、成長と共に「家族」「大好きな友達」「可愛い生き物たち」…
を増やしていっているようです。
そして、
閉ざされた幕の内側に入れた人に対しては
びっくりする程の優しさと深い愛情を見せてくれます。
(自分を攻撃しない人という条件付きかもしれませんが)
(そして愛情表現もかなり不器用だったりしますが)
「人との境界がわからない」という欠点は、逆の意味では
「人を区別せず、自分の事のように感じることができる」という長所になる可能性を秘めているのでは?
と思います。
だから、
どれだけ多くの人を自分の幕の内側へ入れられるか?
それが息子が社会で人と関わり合って生きていけるかの鍵になるのでは?
と感じ始めました。
自閉症スペクトラムの中のアスペルガー症候群は、知的な遅れがないからいいだろうと言う人もいるかもしれませんが、だからこそ社会で守られずに排斥の対象になりやすいです。
息子もいずれは一人で自立して社会で生きていかなければなりません。
コミュニケーションが不得手なせいで、人よりたくさんの失敗をするでしょう。
でも致命的なのは失敗する事ではなく、人に不快感を与えても「自覚せず謝らない」最悪は「逆ギレで終わる」という行為。
たとえ不器用でも、真摯に謝る人を足蹴にするほど酷い世間ではないと思います。
寄り添ってくれる人はきっといるはず。と希望を持ちたいです
アスペルガーの人が受け入れられるか否かの境目はそこにあるような気がします。
私自身は大人になって人に排斥されるのを恐れて自分から話す事をやめ、
ひたすら受け身になりました。
「沈黙は金」
確かにその通りだと思います。黙っていればトラブルも少なくて済みます。
でも、息子にも他の若い人達にもそんな風になって欲しくありません。
せっかく持っているたくさんの魅力を失わずにいきいきと生きていって欲しいです。
たくさん失敗するのはOK
その分反省して謝る。
息子とは今その練習をしています。
私の姪っ子に対しては機会を見て直接話を聞いてみるつもりです。
姉のように「そんなんじゃない」と対岸の人を見るように自分と障害(困難を抱えた人)の間に線を引いてしまったら、寄り添う目線は持ちにくいだろうと思ってしまいます。
自分と「区別」する目が、あらゆる「偏見」や「差別」に繋がりませんように…。
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待ちわびていたジューンベリーの実がなりました。
売り物には決してならない素朴すぎる甘酸っぱさが大好きです。
花言葉は「穏やかな笑顔」だそうです。さっき調べました。
(既に花は終わってますが)。
私は相変わらず子供にイカってばかりですが(苦笑)、
最後まで読んで下さった忍耐強い方が、
「穏やかな笑顔」で過ごせるように祈ってます。

