久しぶりに東京にいる妹とテレビ電話をした。

どうしようもない人間の話を耳にしてしまい、世の中はこんなに汚れたものがともに共存しているという現実を突きつけられたようで、吐き気や身震いがしてしまった。



また一つ良い勉強になった、と思いたいところ。









行きたいところや会いたい方がいるけれど、どうしてもコロナウイルスのことが脳裏にこびりついていて、足止めをかけられるようなおもい。

自分ひとりなら別にかかったっていいのだか、現在同居している家族、特に肺の弱い80過ぎの祖母のことを思うと。







今すぐやろう、と思えば

珈琲を淹れてお出しできる最低限の道具もあって、選ばなければ場所もあって、珈琲豆もなんとなくなら思うものがあって、すぐにでもできる。



音楽も、実家や近くの教室、スタジオを借りればすぐに弾くこともできるし録音もできる。





でもこれでは、自分が納得できない。

ただそれだけだった。



これでは、それを行う意味が無いようなものだ。

やらんほうがいい。



だから、私は私が納得のいく所へ辿り着くまで、実行したいものたちをあたため続ける。



今だ





という時が、きっと必ず来るはずだから。




歩こう

この虚像から

とっとと解放されよう。しよう。




他人が何と言おうと、私を生きよう。


与えることのできる人間になろう。


もっと自然にふれよう。


許そう。


孤独になろう。


もっと旅しよう。


考え続けよう。


勇気を持って切り捨てよう。








この一週間ほど


散々聞いたからなのか

最近はポップスから遠のいてきた。

やっと、自分のなかの澱が消えたように思う。


やっと、ありのままの自分を

受け入れられるようになってきたのだ。

ああくるしかった。











と、コメダでモーニングを頂きながら

小さなノートに小さな字で、こんなことを綴っていた。