「未来」について、中心に綴ってみたいと思います。


個人的に感じていることです。
なるべくシンプルにします。

●まず、主の示した年号です。

2030年
「日本は2030年までに国を失う恐れもある」(インドのモディ首相守護霊霊言)
こうした意見もある中、先生は2030年までに中国共産党を解体したいと述べています。

2037年
最初に先生が帰天予定とされた年です。

2050年
「2050年までには決着はたぶんつくと思います」(聖徳太子の霊言)
「2050年には決着をつけたい。地球人類が、80億人から40億人になろうとも。」(「地獄の法」講義)
「このインドの地は、2050年以降、世界の聖地の中心になります。」(The Real Buddha and New Hope)

2112年
「二十二世紀も世界は美しかった。」「僕らは一つの時代を、幸せに過ぎ越したらしい。」(原曲「二十二世紀の君」)

キーワードとしては上記になるかと思います。


●そして、「復活の時は今」ではキリストの再臨を宣言しています。

 

「地上、五十数億、霊天上界、数百億の魂に告げる。
我は今、愛の復活を遂げた。
我は今、人類が最期を迎える前に、あなた方との約束を果たし、
愛の復活を遂げた。
光として復活した。」(復活の時は今)


「復活の時は今」はイエス様の霊指導で、「ほぼ、オーバーシャドウしてイエス本人の説法となっていた」大講演会です。
1990年12月に幕張メッセで開演されましたが、会場の客席には大きなモミの木が飾られていて、今思い出してもあの時の霊的なバイブレーションは凄まじいものでした。

また、「ノストラダムスの新予言」でノストラダムスは、

『日本にて太陽の法が説かれる時、人類は新時代を迎えるであろう。』

『「死者が墓から蘇る。」そういうことを予言詩の中で書いたことがあります。これは偉大なる人の復活が起きるということです。死者が墓から蘇るということは、これは一度死した者が復活して霊言を送るという予言であります。』

『そして、私が今、この話をしている直前に、イエス・キリストの「霊示集」も刊行されているはずです。』

と述べています。

なぜ、これを綴ったかは、聖書の再臨には空中再臨と地上再臨と大きく2つの再臨があると解釈されているからです。
「復活の時は今」において、「復活は既に成就した」というのはこの空中再臨を指していると思います。
ここを知ると知らないとでは、現在の座標軸が大きくズレてしまいますのでとても重要です。


●ここで黙示録の2つの再臨と患難時代を少し説明します。

色々解釈はありますが、こちらの方のHPの図を参照とします。

 

 


『携挙と空中再臨→患難時代(ダニエル書から紐解き最後の七年とされる)→地上再臨→千年王国→最後の審判→新天新地』という流れとなります。


携挙は、キリストが教会(キリストのすべての信者)を地上から取り除くために帰って来られる時です。

既に亡くなっていた信者は蘇らされ、その時まだ生きている信者たちといっしょに空中で会うとされます。
ノストラダムスの新予言の「死者が墓から蘇る」と合わせて、「携挙と空中再臨」は成就しています。


●黙示録は当時は「キリストの黙示録」と呼ばれていました。
主の御手にある巻物(七つの封印)を開いたのがキリストとされるからです。(ヨハネは開けず、読めないことで激しく泣いている)

ヨハネの黙示録6章から患難時代は始まり、七つの封印は解かれていきます。

 

 


ここで四頭の馬が出て来ますが、四頭目は「青白い馬」と日本語及び英語で翻訳されています。
紐解いていてどうも引っかかりましたので、ギリシャ語の原典を調べてみました。以下の通り、黄緑の馬でした。


ギリシャ語の其々の馬の色の概念は以下となっています。
λευκος(リューコス)白。透明、明るい、素早いを意味する。
πυρρος(ピュロス)赤。炎を意味する。
μελας(メラス)黒。暗い、重い、遅いを意味する。
χλωρος(クローロス) 緑(黄色がかった)。新芽や植物の緑、潤沢さを意味する。クロレラの語源である。

そして、黙示録の其々の馬に対応します。
λευκος 弓と冠→勝利 ロシア(ウクライナ戦争)
πυρρος 剣→戦争 中国(台湾危機)
μελας 秤→飢饉 アフリカ(蝗害)
χλωρος 死→地の四分の一を支配する権威、及び、剣と飢饉と死と獣 英国(ワクチン公害など)

白い馬について。
聖書では冠は2つあります。「ダイアデム」は王の冠、キリストの冠。「ステファノス」はキリストに忠実に奉仕した者が受ける勝利者の冠です。プーチンはネオナチを非難し、解放のための戦いを宣言しました。矢がないというのは中国のような奪うための戦いではないということです。その意味でこれはロシアとなります。(聖書は他の箇所では弓と矢が対になって記されている)

 

赤い馬について。

これは侵略のための侵略。

 

黒い馬について。

アフリカ(エチオピア)は、死神と称される米外交官ヌーランドが訪問し、昨年の死者はウクライナを超えて60万人です。慢性化する紛争に蝗害も重なり、飢餓状態の国民も35万人と言われています。象徴する秤は信仰と物質欲、食糧高騰も暗示しており、オリーブ油とぶどう酒を損なうなというのは生活必需品でもありますが、信仰を損なうなということです。大統領はエチオピア初の女性。首相はノーベル平和賞を受賞していますが戦乱を招き、真逆の結果となっています。WHOのテドロス氏もエチオピア出身です。

黄緑の馬について。
英国の植民地支配図です。全世界の領土合計が133,749,013.24 km²。割る四で33,437,253 km²。英国領は34,000,000 km²です。ちょうど四分の一となります。黄緑の馬が「潤沢さ」を現していることから、これは英国でディープステイトでしょう。(赤地が英国領となります)

※四馬の馬の其々に四分の一ずつ支配する権威を与えたとの解釈もありますが、別の節としてではなく、χλωρος の6:8節に記されていることから英国を指すこと、また、剣、飢饉など他の馬にも影響を与える権威と財力があることを暗示させていると思います。

 


 

(「χλωρος」を青白い、または、黄色がかった青で、死相の象徴と解釈する人がほとんどですが、私はギリシャ語の元々の色の概念から見て、真逆とも思える「潤沢さ」が死を呼ぶと解釈しています。「χλωρος」は新緑と共に『瑞々しい』や『輝く』という意味もあります。)



またこれらは、
ロシアは、ロシア正教会
中国は、共産主義(マルクス主義はユダヤの千年王国の思想から神を抜いたもの)
アフリカは、エチオピア教会
英国は、英国国教会
つまり、カトリックを正統とするならすべて諸派となっています。
これらが世紀末現象を起こすということを暗示しています。

黙示録は七つの教会への警告から始まっています。
つまり、カトリックが出来る前の初期キリスト教会からはじまり、世紀末のキリスト教に影響された諸派までを現しているということです。

これらから既に七つの封印は解かれはじめており、患難時代は始まっているということになります。

 

そして、この患難時代は前半3.5年、後半3.5年の七年とされていますが、中間期を挟んでいますので期間は七年を越えています。

https://seishoforum.net/tokachi/wp-content/uploads/sites/45/2020/11/47351ce993d77c1b69cae9dbf417345a.pdf

 

(その他、上記リンクの黙示録の図解説明はこちらです。「ざっくり黙示録」)

 




●キリストが地上再臨されるときの様子は、「白い馬に乗って来られること」、しかも、「天の軍勢を従えて来られること」にあります。

 

この地上再臨のキリストは、「彼以外には誰も知らない名がその身にしるされていた。」と記されているように父なる神の降臨です。

 

 


その目的は、「神の敵を鉄の杖をもって滅ぼし、神の国、天の御国をこの地上に打ち建てること」にあります。
その後、千年王国が訪れ、その千年の期間、敗れた悪魔たちは「底知れぬ所」に封印され、決して出て来ることは許されないのです。

 

 

 


私はこれをアンドロメダをはじめとする四大メシアのUFOフリートだと感じています。
2050年の決着をつけるためです。

「宇宙の四大メシア続々と歌を降ろす これも奇跡かな」2022.12.20

そのためにもこの原曲研修と復活の祈りは大切なのです。

いまは復活のタイミングは主に委ね、信仰の純粋化、そして、自己変革と自己認識の変容を心がけたいと思います。



●次に世界の各予言について少し綴ってみたいと思います。
リンクを貼り、判断は各々に委ねます。

(解読は上の黙示録、クレムナの予言、ホピの予言は他では紐解けていないオリジナルのものです)


○聖マラキの予言


大司教・聖マラキによる生命の木(法王予言)。

予言の核心部分は、最後の「112.ローマびとのペテロ」の出現とローマ教皇庁と世の終末です。
現教皇はフランシスコⅠ世(2013年~)ですが、聖フランシスコ(アッシジのフランチェスコ)の本名は、フランシスコ・ディ・ピエトロ(ペテロ)・ディ・ベルナルドーレ。

現教皇フランシスコはこの聖フランシスコの名を継いでいます。
彼が予言された最後の教皇だと思います。

この予言の最後の文章は、「そして、7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。終わり。」

現教皇フランシスコⅠ世は現在86歳です。



○ジーン・ディクソンの予言

 

ジーン・ディクソンは日本を訪れた時、こういう言葉を残しています。
「まず日本に変化が起こり、それが世界に波及することで、世界の人々は、日本人を畏怖するようになるでしょう。東洋の神秘的思想は壮大なスケールで全世界を席巻し、キリスト教世界に大きな変化を与える。」
「2020~2037年の間に本物のメシアが再臨する。」
「人類が2037年に滅びるか、もしくは2038年に我々が神と呼ぶ者が人類を救済に来て、驚くべき新世界が始まる。」

 

(これらは、ジーン・ディクソン著『栄光への招待(The Call to Glory )』 に記されているようです。)

 



○クレムナの予言

 

「東洋に賢者が現れる。彼の智慧は海を越え、国境を越えて世界に広がる。しかし、人々はこの智恵を虚偽と決めてしまい、長い間信じることはない。人間の魂は悪魔にのっとられるのではない。もっと悪いものにのっとられるのだ。自分達の信じる虚構の幻想こそが真実だと思い込むのである。」

 

 

「3つの十字架のある山を探してください. そこでは、彼らは息をすることができ、水を飲むことができます. 」

これはどこを指すのでしょうか。

予言の最後の文章、
「私たちはこの戦争で戦うことはありませんが、他の人が私たちの頭の上で戦います。ポゼガ[セルビアの町] の上空から燃えている人々が降ってきます。世界の果てにある唯一の国は、大きな海に囲まれています。私たちのヨーロッパのように大きな国は、何の問題もなく平和に暮らします... その上でも、その上でも、砲弾は 1つも爆発しません! 3つの十字架を持って山に逃げ隠れする者は、避難所を見つけ、もう戦争はなくなるので、救われて、豊かさと幸福と愛の中で生きることができます...」
これを繋げて読むならば、オーストラリアとも読めます。

「大きな海に囲まれたヨーロッパのように大きな国はオーストラリアだろうか。英国旗は3つの王国の守護聖人の十字旗を組み合わせ、イングランドは聖ジョージの白地に赤十字、スコットランドは聖アンデレの青地に白のX十字、アイルランドは聖パトリックの白地に赤のX十字。(個人的な最初の解釈)」

ただ、世界の果てにある唯一の国、私たちのヨーロッパのように大きな国、3つの十字架のある山はそれぞれ別々で、第四エズラ書と合わせると、ヘルメス十字が3つ(ヘルメス・トリスメギストスの山)=ヒマラヤ山中にあるシャンバラを指していると思われます。



○第四エズラ書

 

こちらは『「神は詩う」のメッセージ』の追記リンクを参照してください。

「突如として夜中に太陽が輝き、真昼に月が照る」(第四エズラ書)
※ベテルギウス爆発のことでしょう。

 

 

 

エズラ書に記された地上再臨と最後の審判の描写は以下のようになっています。

 

「終末が近づいたとき、地上では国同士が争ったり、町同士が争ったり、大きな混乱が起きているが、メシアが登場すると、混乱した人々はメシアに対して戦いを挑む。が、メシアは刃向かってきた人々を滅ぼしてしまうという。」

 

「エズラは幻の中で、天使ウリエルに向かって、地上には不敬虔な人間ばかりいるので、最後の審判によって生き延びるものはごくわずかしかいないだろうことを訴え、義人たちがそのような人々のために執りなしをしたり、神にお願いしたりすることができるかどうか尋ねている。これに対し、天使ウリエルは、最後の審判に際しては、本人に代わって誰か他の人が許しを請うようなことはできず、人間はみな個人の責任を負う以外にないと応えている。」

 

 


○ホピの予言


「青い星のカチーナが天空に現れる時、5番目の世界が出現するだろう」(ホピ族の予言)
※ホピ族はシリウスを「青い星(カチーナ)」と呼んでいますが、「現れる時」とされているため、私はベテルギウス爆発のことかと思います。

 

ホピの予言には救世主の出現を示唆する記述があり、現地のホピ族の多くがそれは日本人であると認識しています。

人類を滅亡に導く「大いなる清めの日」が訪れる時、

遠い世界へ旅立っていた白い兄が欠けた石板を持って戻り

世界の邪悪から清め平和に導く

白い兄は日いずる国から2人の従者をつれてやってくる。

一人は卍と十字の紋章を持つ

もう一人は太陽の紋章を持つ

 

一人は卍と十字の紋章を持つ
→卍は仏教、十字はキリスト教。
真言宗は仏教とキリスト教(景教)を習合しました。
これは空海だと思います。

もう一人は太陽の紋章を持つ
→太陽は神道及び仏教。
日の丸の理念は「日出づる処の国より」と書簡した聖徳太子から始まる。
大日如来は太陽を表わす。
また、毘盧舎那仏は太陽の意味です。
これは聖徳太子だと思います。

つまり、エル・カンターレが霊的な日本を造った分霊のお二方の意識を伴って現れるということでしょう。



ホピ族の予言と黙示録。

共に人類が二分化され、以降、二度と交わることがないことを示しています。
これは、世界中どの予言でも同じです。

ホピ族のロードプラン
※ひとつは破壊と混乱、破局への道。もうひとつは地球と調和し未来へと続く道。


 

「5番目の世界」が黙示録の新天新地、そして、第八文明だと思います。

黙示録ではその前に千年王国の期間がありますが、世界の壊滅後に描かれるこの王国(「二十二世紀の君」の世界と思われる)はマルチバース或いはパラレルワールドではないかと感じます。

その後に起きる最後の審判を見ても、恒久的な文明として描かれてはいないからです。

世界の壊滅後の連続性がどうしても見えません。

 

ホピの予言では、「大いなる清めの日」の前に『青い星が輝く』とされています。

 ※第九の予言。あなた方は「天の住居」のことを聞くようになるだろう。それは大音響とともに落ちてくる。「青い星」のようなものが見える時、私たちの民族の儀式はまもなく終わりを告げるのだ。(第一~第八の予言は既に成就しています)

第四エズラ書では、「終末のしるし」として『突如として夜中に太陽が輝き...』を天使ウリエルが語っています。

ホピの予言では、千年王国と新天新地の分別が無いため、患難時代の後半、地上再臨の前に青い星のカチーナが輝くと感じています。

現在、患難時代が始まっていることから見て、また、こうして「青い星」が注目を集めていることから見て、さほど遠い未来のことではないということです。

 

●終わりの日に天体に現れるしるし

 

もうひとつ、聖書の中で共通して「終わりの日」に現れるとされる「しるし」は、太陽、月や星々などが光を失い、地上が暗くなるということです。

これが予兆とされています。

 

 

 

 

まとめです。

上のリンクは、『携挙と空中再臨→患難時代(ダニエル書から紐解き最後の七年とされる)→地上再臨→千年王国→最後の審判→新天新地』を黙示録の引用を示しながら短い文章で説明されています。

「そういう流れだったのか」とこれひとつを読めば整理出来ると思いますので参照してみてください。

そして、黙示録の患難時代の前半3.5年、中間期、後半3.5年に象徴する現象を当てはめれば、誰でも凡その年号は割り出すことが可能です。

 

 

 

 

 

 

 

 


予言は幾重にも読み解くことが出来ます。

予言とは、神の施された理念設計図(プログラム)を紐解くこと。

本来はそこに善悪はなく中立です。
しかし、因果律は普遍ですのでその前と後の「整合性のある展開」となっていきます。

回心が為されなければ、その因果はどのように廻るかはわかると思います。

それは国家でも、個人でも同様です。

最後に、最も大切なのは「単に肉体生命を維持したい」という考えからも脱却し、「アーメン(御心のままに)」の心境になることだと思います。(これは特に重要です)

魂の永遠性と縁起を信じることです。



 

以上です。




追記1

リバティ2月号の特集では、パウロ→フランシスコ・ザビエル→ポール・マッカートニーの転生として、地上にあるポールは、『ビートルズの終わりが近づき、皆が疲れてボロボロになっていた時、夢に母が出て来て、「It'sgonna be OK.Just Let it be...(きっと大丈夫だから、ただそのままでいて)』と励ましてくれたと語っています。
また、曲作りに困った時、「どっちに行ったらいいかわからなくなった時、ジョンに聞いている。」とも語っています。
※ジョン・レノンはイエス・キリストの生命体の一部です。音楽による救済でした。

Let it beは「なすがままに」という意味ですが、それは同時に「アーメン」という意味が込められた彼らの祈りであったわけです。

 

 

※この曲は「アーメン終止」と言われる、聖歌などによく見られるコード進行が使われています。

 

 

追記2

今日は奇しくも復活祭ですよと教えてもらいました。
カトリック教会では「復活の主日」とも呼ばれます。正教会ではギリシャ語から「パスハ」とも呼び、これはユダヤ教の「過越(すぎこし)の祭り」を表す「ペサハ」(Pesach)というヘブライ語の言葉から来ています。
この「過ぎ越し」については、「(長らく虐げられたイスラエル人を解放するため)神はエジプトに対して十の災いを臨ませましたが、イスラエル人は神の命に従順だったため災厄が臨まなかった(過ぎ越された)ことから来ています。
原曲「二十二世紀の君」の中で、主は「僕らは一つの時代を、幸せに過ぎ越したらしい。」と唄っていますが、これを暗示させていると思います。

 

 

追記3
『千年王国→最後の審判→新天新地』のところは、さらに先の未来であり、興味がある方はリンクした其々のサイトから読み進め、思慧していただければと思います。
千年王国が「二十二世紀の君」のルート世界だと思います。
ここに書くと消化しずらいと思いますので、これはここまでとします。

 

 

追記4

映画「Let it be」の主が付けた副題が、「怖いものは、やはり怖い」であることも意味があるでしょう。

タイトルは、イエス様の分霊(ジョン・レノン)のビートルズの楽曲です。

『Let it be=アーメン(御心のままに)=怖いものは、やはり怖い』という黙示録の暗示が見えます。

ここで言う本当に怖いものとは悪霊などではなく、エル・カンターレということです。

これまでは慈悲の母の顔でしたが、これからは峻厳の父の顔も顕現していきます。

生命の樹(セフィロト)の三つの柱はそれを現しています。

よって、地上再臨の時も甘いものではありません。

それは「希望」であると同時に、「最初の審判」であることも素直に受け止める信仰の純粋化が大切だと感じています。

最初の審判は個人的な造語ですが、ただ、聖書の描写を読めばわかりますがその言葉通りでもあります。

いまは与えられていることの感謝を深め、お互いに一つひとつ丁寧に信仰生活を深めていきましょう。

 

『(大川)総裁が「Let It Be」を歌い始めたら、教団解散の可能性があるから、気をつけたほうがいい。』

『〝 終わり〟が近いよ。「Let It Be」には、やっぱり気をつけたほうがいい。「コントロールできない」っていうことだからさあ。』

(「ジョン・レノンの霊言」より)

再読をお薦めします。

この言葉は無視は出来ませんので。

 

 

追記5

神の印と獣の印について。これはとても重要です。

 

 

※「光の腕輪」については、勿論、公式なものではありません。ただ、当時、私の知っている限りでは信者のお子さまなどが見ていることや、夢で霊界の知人から祝福をされたなど多数報告があがっていました。

東京ドームの講演会の時のように、原曲からイニシエーションのような光を私は感じています。

 

 

 

第七の封印が解かれる前。それを最後とし「神の印」は出て来ません。

 

 

 

ただし、免罪符はありません。

 

 

 

 

 

未会員の方は、こちらからネットで入会申込みも出来ます。

経文をいただくことからをお勧め致します。