パラレルワールドの秘密は、これから開示されていくでしょう。
創造主はなぜ相対の世界を創られたのか。
「アトランティス文明 ピラミッドパワーの秘密を探る トス神降臨インタビュー」「神理学要論」の経典に相対の世界やパラレルワールドが、「ベガの主神 ヒームの霊言」の中に第三宇宙が感じ取れます。
小説『十字架の女③ 宇宙編』と合わせて気づきもあると思いますので参考にあげておきます。
幸福の科学では、「宇宙の法は宗教をも包括する。」と説かれています。
大川隆法総裁は、本来、宗教より上には宇宙の法があるのですが、地上の認識が追いつかないのでなかなか説けないとも述べています。
書かないつもりでしたが少しだけ述べます。
小説の中では、はじめて「裏宇宙にはもう一人の自分がいる」ことに言及されている。
もうひとりの自分がいなければ、私たちは誰ひとりとして動くことすら出来ないでしょう。
表宇宙と裏宇宙(二乗してマイナスとなる虚数の宇宙)とあるからこそ、間の無限の選択と、それによって生じる
大いなる源から分光し、いまも繋がっている私たちであるからこそ、無限の創造と、それによって生じる無限の可能性も与えられた。
それが人間に与えられた選択の自由と創造の自由の根拠である。
すべての存在はこの二つを基に、愛、正義、悟りを通して、大いなる源への回帰的進化のドラマの中に在るのでしょう。
経済学におけるゲーム理論の一つにゼロサムゲームというものがある。
限られたパイを取り合うだけならば、この「無益な」衝突と、対立は終わりません。
無益というのは同じところをぐるぐると繰り返すということ。
これは個人においても同様で、進化出来ずに同じところをぐるぐると繰り返すことはグルジェフのエニアグラムが示している。
(いずれこれも提示したいと思っている)
このエネルギーをどう昇華するのが、創造主の望まれた宇宙の仕組みなのでしょうか。
最も衝突や対立の中には有益なものもある。
その理由を知ることで人は自らの不完全さを悟り、愛を知る。
ドラッカーが個人には長所と短所があるが、組織の強みは長所の総体とすることが出来ると言った意味においても。
また、別の角度では、オリンピックが国と国との衝突を健全に昇華するシステムであるように、この宇宙には様々な仕組みが見える。
映画「仏陀再誕」では、レプタリアンのUFOが消え、大空いっぱいに広がる蓮の華となるシーンがあった。
それは煩悩即菩提の象徴でもあり、同時に、表宇宙と裏宇宙の関係性も象徴されていたと感じる。
欲望の肥大化は裏宇宙の肥大化になっている。
それは地球という円環する閉じられた時間ひとつを見ても、地獄の世界にそれを見ることが出来る。
裏宇宙の主たる住人がレプタリアンと言われる存在である。(ただし、愛に目覚めたものもいる)
どこまでも続く暗闇の宇宙を光に変えるには、ひとりひとりの心の中にある煩悩のエネルギーを、対立ではなく創造の華に転換することにある。
それらを知ることによって、裏宇宙の闇は本当の意味で萎み、光の宇宙が満ちるのでしょう。
幸福の科学では、表宇宙と裏宇宙とは別に第三宇宙があり、その宇宙は巨大な交響楽の宇宙と言われている。
その宇宙がパラレルワールドだと思われ、そこには楽譜の様に主旋律と副旋律とあるのでしょう。
楽譜の五線は世界線。(ここでは複雑になることを避け、その様に表現しておく。実際は楽譜が重なった世界でしょうし、もっと線も多い)
そして、下書きの草案とも言える旋律や、主旋律(仮にα世界線とする)と主旋律(仮にβ世界線とする)の間の残像のような世界線もあり、これはバグの世界線と思われる。
地球なら地球という閉じられた円環する時間の中で、創造主から分光された魂たちはグループソウル単位で生まれ、ひとつのシナリオを演じ、曲を奏でている。
惑星ごとに自転の速度は異なり、その時間の流れは個性とも言える。
人間もそれぞれ異なった時間を纏っている。
それはひとつの波長であり、音でもある。
太陽系には太陽系の五線があって、音符に当たる惑星がある。
地球には地球の五線があって、音符に当たるグループソウルがある。
グループソウルにはグループソウルごとの五線があって、音符に当たる魂たちがいる。
上を見れば銀河系、宇宙ボールと、それぞれが円環する閉じられた時間の中にあって、入れ子構造に宇宙は創られている。
だから、それぞれの閉じられた時間、そのシナリオごとに書き換えも出来る。
また、一小節ごとに世界線は集束する特異点があるように創られていると思われる。
宇宙は呼吸をするかのように膨張し、集束し、明滅して、揺らいでいる。
或いは、プログラムで言えば、システム構築する上の部品単位のモジュールでもあるだろう。
数学の世界は、美の基準である黄金比=φ(ファイ)は、1.618...と無限に続く無理数で、エニアグラムのオクターブの法則は統合と分裂の法則、142857...を無限に繰り返す循環少数である。
宇宙は数学的でありつつも不思議なことに、人間の基準となるものは割り切れずに無限の彼方に秘されているのである。
このように、宇宙は音楽的でもあり、数学的でもある。
ハイアーセルフとグループソウルの関係も地球人類の起源から見ると一律ではない。
必ずしも直の分光ではなく、分霊からの枝分かれと、中には魂の組み換えも起きていると言われる。
ただ、すべては高次元意識と繋がっているのは私たちの存在が存在として在り続けていることからもわかる。
それは、生命エネルギーが絶えず送られているということでもある。
自らそのエネルギーを遮断しない限り、枯れ葉のように落ちて朽ちることもない。
個人の魂のみの世界線移動は、グループソウルの大元まで進化、認識しなければ基本出来ないと思われる。
それを個人というべきかはわからないが、スピリチュアルで言われるハイアーセルフとは地上に出ていない意識のことであり、それは幸福の科学的には一即多、多即一の悟りを持っている八次元の如来のことであるだろう。
この八次元の意識体は、まだ地上に出ていない意識があると言い、同一の役割で幾通りにも分光出来る存在でもある。
(太陽の法には、「意識の作用の数だけの数が存在するのであり、それを統一する意識体のみがその実態を知っている。」とあるため無限に近い概念でもある。ただ、八次元はまだ地球圏の中での役割が主とも言われている。)
それら次元の持つ特徴からも、パラレルワールドを真に認識出来るのは九次元からであると思われ、それはこの世界から”別の役割で無限に分光出来る存在”であると推測出来ることからもわかる。
認識出来るのはメシア級、だから巷に解き明かされた本がない。
(九次元よりももっと宇宙の遥か上の上には、裏宇宙の意識と表宇宙の意識を統一する高次な意識体があって、その実態を知っているのだろう)
パラレルワールドは、ロバート・モンローが少し体験したくらいで、インドヨガの世界でも聞かないのはよっぽどのことである。
個人で垣間見ている世界線移動の多くはバグの世界線のように見える。
これは私も実感のある夢を通して何度か体験がある。
主旋律の世界線移動は、個人ではなくグループソウル単位となっている。
※これはSTEINS;GATE(シュタインズゲート)というアニメを見た人ならわかると思う。
主人公・岡部倫太郎の幼なじみである椎名まゆりを生かそうとすると恋を抱いている牧瀬紅莉栖が死に、牧瀬紅莉栖を生かそうとすると椎名まゆりが死ぬ。
一人が幾ら頑張っても、そのどちらも生きていけるハッピーな世界線(シュタインズゲート。造語)には到らなかった。
いついかなる時代でも形を変えこそすれ側にいるラボメンたち(岡部倫太郎が主催するサークル「未来ガジェット研究所」のメンバー)。
岡部倫太郎がその一人ひとりの力を信じ、彼女らが目覚め、各自が主体的に動いたことで最終的にシュタインズゲートにたどり着いている。
自分ひとりでなく、それぞれが皆の未来を背負いたいと覚悟した時、シュタインズゲートの扉は開いた。
原案は、
宇宙はソウル単位ごとにテーマ(創造主が込めた理念。動的意識と目的意識を宿したとある)があり、それぞれに掴むべき智慧がある。
また、グループソウル単位ごとにクリアすべきテーマがある。
だから、世界を変えるため、主旋律を輝かすためには「愛」がキーになっているとも言える。
先に述べたように、裏宇宙を表宇宙に転換するためには「創造」がキーになっているとも言える。
人間は決して個人で完結した存在ではない。
ここから、宇宙の仕組みの一端、そして、特に愛からの創造がとても大切なことがわかる。
愛で黄金に輝いた生命の樹(グループソウルはその枝葉の一つ)が、創造力を発揮することで宇宙は光輝に包まれていく。
また、宇宙は数学的でもあると述べたように、人類の集合想念の状態によって、微細な調整から創造的破壊まで行われて来た。
それはアーカシックレコードに記憶されていると言われるが、個々の想念を集める仕組みも見える。
アーカシックはアトランティスの王アガシャーのことで、イエス・キリストの宇宙意識(エネルギー体)である。
日本には霊界の竜宮界の象徴として琵琶湖があるように、世界にも湖や海などそれを象徴するものがある。
それらは、この世界の様々な想念をキャッチし、アーカシックレコードに送るシステムになっていると思われる。
だから、その世界の住人は鏡のように穏やかな心を求められ、秘された役割を担っている。
銀河系で言うならば、その集まった想念を調整、コントロールしているのが琴座のベガなのだろう。
※金星と地球の会合点を結ぶと五芒星になるように、地球から見た夜空に描かれる配置には意味がある。
星の配置は年々変わっているが、琴座は紀元前1200年にはいまの形となっており、ギリシャの吟遊詩人の物語には象徴的なものが込められている。
幸福の科学の霊査によると、哲学者より、詩人、文学者の方が総じて霊格の高い人が多い。
例えば、司馬遼太郎が竜馬がゆくを書いた時、竜馬の気持ちや何を成さんとしていたのかがわからなければ描けないだろう。
作曲家、作詞家もそうだが、よく「降りて来た」と表現される。
竜宮の世界では、乙姫は舞を舞い、歌を歌う。
芸能の世界がその国の文化醸成(エートス)を促しているように。
ただ、それも表向きの姿であり、本来の仕事は異なると思う。
そのため、一部はとても霊格が高い。
豊玉姫、玉依姫の表向きの姿のように。
ヒントになる人もいるかもしれないので。
※エートスはギリシャ語で、習慣、慣習、風土、気質、性格などと訳される言葉である。
アリストテレスに詳しいが社会集団文化のことを指す。
仏教の唯識派では、人間の魂は、末那識(四次元領域)、阿頼耶識(五、六、七次元領域で経験することのすべてが入っている蔵識)、阿摩頼識(ダイヤモンドの如く穢れていない八、九次元領域)という構造となっており、この阿頼耶識=蔵識が、転生を繰り返す時の業(カルマ)の主体であり、それは習慣が熏習したものでもあると説いた。
この唯識派の説と照合すると、ギリシャのエートスという概念は仏教の共業(集団の業)のことだとわかる。
これらから、ここがアーカシックレコードに繋がっていることや、芸能の世界の秘した役割も見えて来る。
グループソウル単位で生まれることの仕組みを考える上でもこの概念は重要となっている。
※阿摩頼識は、後に天台宗が法華経にある「久遠実成の本仏」としての釈尊の立場を補完するために加えたもの。
瑜伽行唯識派は、眼耳鼻舌身意の六識と、末那識の七識、そして、阿頼耶識の八識の八識説を説いたが、瑜伽行はヨーガのことであり、この宗派は瞑想の中で確実に掴んだもののみを書に記したため、第九識ははっきり認識出来なかったものと思われる。
《追記》
パラレルワールドの世界線移動が起きると過去改変が起きるとも言われる。
人類の集合想念が変わるとそれに合わせて過去の振り幅も変わる。
すると、これまで発見されていなかった遺跡の発見や気付きなど、歴史自体埋もれていたものが明らかになったりもする。
過去改変が言われ始めたのは2009年であるが、この時、マンデラは獄中死したのでは?とネット上で騒がれた。
実際のマンデラは存命であり、2013年マヤの終末予言が過ぎた後、亡くなったが、それ以降、地図のオーストラリアの位置が違うなど違和感を覚える人が様々に報告している。
これをマンデラエフェクトと言う。
私も記憶ではマンデラは獄中死しており、この時、不可解な感情を抱いたことを覚えている。
幸福の科学では最近、マンデラは獄中に長くいて、成功するか失敗するか賭けでもあったと述べられた。
ネルソン・マンデラは死後間もない時のご本人の霊言では、導きの霊にあなたはモーセであると言われていた。
地球の中での最高位の意識体のひとつで、九次元のエネルギー体の一部であり、2009年に一度、成功の世界線に改変されたのではないかと感じている。
この現象がマンデラを冠していることにも意味があると思う。
ほか、考え方の補足となるものを貼っておきます。
二重スリット実験
この世界が仮想現実であることを示す証明式
この世界が仮想現実であることを示す証明式(続)
過去改変 クババの遺跡が突如現れた仕組み(関氏は微妙だと思っているがこの考え方は図式でわかりやすいと思う)
量子もつれのような現象は、幸福の科学では1989年発刊のニュートン霊示の中でニュートン霊が少し述べている。
これらは幸福の科学の教えでまだはっきりと開示されていることではなく、断片から読み取ったあくまで私の個人的見解です。
混迷の時代にある今、これを読んだ方の思想、哲学、宇宙観の一参考になれば幸いです。
《追記》
幸福の科学では、大いなる源である創造主は、1000億年の記憶があると言われている。
400億年前ビッグバンによりこの三次元宇宙が誕生し(現在物理学では138億年前とされる)、その間、600億年の間、何もしていないわけがない。
その一部として宇宙人リーディングでは、表宇宙より先に裏宇宙が出来ていたことがわかっている。
それは弱肉強食の宇宙で力こそがすべて、表宇宙が出来ることで自分たちの勢力圏が狭まると思い、ワームホールを通って表宇宙の侵略に乗り出しているというもの。
裏宇宙を滅ぼして表宇宙を新たに創ろうとしている上位の神の意図が読めず、イノベーションが出来ずに抵抗している。
上位の神から見ると、裏宇宙は下水道のようなものとも表現されている。
トス神は、宇宙は完成されておらず、宇宙は若く、神が宇宙をつくり初めてまだ日が浅いという認識を持たれていた。
例えるなら、建物を建てる時、配管設備を作り、土台を作り、母屋を建てる。
配管設備が裏宇宙、土台をいま作っているところであり、母屋が表宇宙とも言えるのでないかと思う。
道教でも太極が陰陽に分かれたと説明するように、陰極あって、陽極がないとは考えづらい。
陰極の中から陽極は生まれないからである。(含まれてはいる)
一霊人の視点からはそう見えるということなのだろう。
三次元宇宙が分かれるビックバン以前。
宇宙のカオスとしての段階では、裏宇宙の住人は裏宇宙しか見えないのでそう思う。
その時、表宇宙は表宇宙として完全な存在として別の何かをしていたのかもしれない。
母屋の建築は後回しだったとしても。
宇宙の時間はある意味幻想であるが、原因・結果の縁起は存在する。
幸福の科学は、1986年「人生の大学院構想」から始まっています。
いまの世界は社会制度上の制約もあり、現存する制度のいずれかに属することが求められて来ます。
物事はステップを踏むことで、見えてくることも多いものです。
例えば、真偽を宗教として、善悪は政治・経済・教育、美醜の芸術・芸能・メディアの一部をいま楽曲、小説として開示し始めました。
そのような流れの中で、この宇宙の法は、「聖俗」(或いは聖邪)に当たるものだと私個人では思っています。