自分のこと①

↑これの続きです

私が、夫に対して自分の気持ちを伝えられなかった理由
私が、自分の気持ちを言えない性格だったから

争いになることが恐くて
自分の気持ちを言えなかったから

なぜそんな性格になったのか

私の家族は
父、母、祖母、姉、兄、そして私

もの心ついたときから
すでに母と祖母の関係は悪かった

母の機嫌が良いことは少なく
私も姉兄も
いつも母親の顔色を伺いながら
暮らしていた

母はヒステリックに怒る

今でも鮮明に覚えている光景がある
多分、保育園の年中か年長さんだった私
家族全員で晩御飯を食べていた
寒い地方なので、こたつで

お椀をもつ私の手がすべり
味噌汁がすべて
私とこたつ布団の上にこぼれた

その瞬間、母の
「なにやってるの!!!」
という声と

祖母の
「大丈夫かい?」

という声が重なった

そして、食卓に沈黙が続き
私は涙が出てきた


この頃から
母に甘えることができなくなった

してほしいこと
伝えたい気持ち

何も言えなくなった

空気を読むことだけはうまくなって

それはもう癖になってしまい
いくつになっても
どんな場所でも
波風たてず、うまく立ち振る舞う
もちろん、自分の意見なんて言わない
とにかく人を怒らせたくない
言い争いになるくらいなら
自分の気持ちを抑える方がらく
人に対して怒れない

言い争いになりその結果
嫌われることが
自分の存在を否定されることが
恐い


こんな感じになった
自分の分析でだけど


結婚してからもそうで
夫に対しても
同居してる夫の両親にも
本音で向き合うなんて
したことなかった
とにかく争うことが、こわかった



の状況の中で、
自分の思いを全く夫に伝えられず

なにひとつ納得できない日々
いつしか

私の人生なんてこんなもんだ
お金に困らないだけありがたい

ってなってた





そんなだった私が

今の彼と出会い

彼には
ありのままの気持ちを
伝えることができる


それについては
またそのうちに記事にできるかと
半年ぐらい先になっちゃうかもだけど





大人になって
結婚、姑との同居を経験した今なら
あの頃の母がどんな状況だったか
なんとなくわかる

今は前より
母に甘えることができるし

母も祖母の死をきっかけに

憑き物が落ちたように
穏やかになり
じぶんの人生を楽しむ余裕も
出てきた

せっかく穏やかな老後を楽しんでいるのに
末娘が
「好きな人ができたから」
って、離婚して
お金を貸して
日々、心配はつきないのかも

ごめんね
これからも頼りにしてるから

元気でいてね