こんにちは。
大阪南船場の早起き税理士・公認会計士(船戸明)の
「本業ブログ」にようこそ。
一昨日、川上浩司さんの「不便益」をご紹介しました。
そうしたら、昨日(2019/6/27)の日本経済新聞に、
今度は山極寿一さん(京都大学総長)のインタビュー記事が掲載されました。
「多くの人は「わかること」が「学び」だと勘違いしている。「わからない」ということを「知る」ことが学びだ」。
何かを知ることだけではなく、
自分が何を知らないかを知ること。
多様で、複雑で、変化の激しい現代社会。
その中で溺れないためにも、必要なことだと私は思っています。
「友達ならずっと付き合っていけばわかりあえると思っている人がいるが、人間なんてわかりあえない。わかりあえないことをいろいろやり取りしていることこそが学びだ」。
劇作家の平田オリザさんに、
『わかりあえないことから』(講談社現代新書)という著書があります。
「その本の中では、分かり合うことを前提にした「会話」型のコミュニケーションから、分かり合えないことを前提にした「対話」型のコミュニケーションに、日本人のコミュニケーションに対する考え方自体を少しずつでも変えていかなければならないといったことを、あちこちと寄り道をしながら書いてきた」(『下り坂をそろそろと下る』講談社現代新書、P.16)
この記述をはさんで、
山極さんの最後の言葉を読むと、
スーッと腑に落ちる感覚をいだきます。
「学んでも学んでも、情報社会のなかに絡め取られる。昔は学べばそれだけ頭がよくなって、世界を知って広がった。しかし、今は莫大な量の情報の中に浮かんでしまう。絶望的ですらある。だからこそ、違う人間のことをわかろうとするのではなく、違うことを前提に自分1人ではできないことを一緒に作りあげていく、という社会のあり方を学ばなければならない」。
川上さんの話に通じる点として、
山極さんは、人間の脳は意識と知能でできている、としたうえで、
知能に偏りすぎた世界は危ういと警鐘をならします。
「AIは知能の部分を外部化する。意識の部分はデータ化できない。情報社会で意識の部分は置き去りにされている。共感するよりは知識で解決した方がいいという知能至上主義は危うい」。
川上さんの著書で言えば「過熱社会」。
そこに不便を取り入れるという話でしたが、
山極さんの提言も、変化が激しい時代だからこそ、
少し立ち止まって考えることの重要性を説いたものだと思います。
「変化を追いさえすれば良くなると考えるのは、現代資本主義、新自由主義の悪弊かもしれない。日本も明治以降、とにかく変化を求めてきた。そのために科学技術は使われてきた。今は大きな転換期。私たちが捨て去った19世紀や20世紀に起きていたものをもう一度見直して再現する方が幸せかもしれない」。
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