戦国時代に、今川軍・武田軍・徳川軍が衝突した戦場となった城跡で、現在の野面積み(のづらづみ)の天守台の遺構が、天正18(1590)年に堀尾氏によって改修されたものとなっていて、徳川家康の長子(ちょうし)にあたる松平三郎信康が、この地で切腹した悲劇の場所として伝えられている「二俣城跡」に差し掛かった
ここの城跡も桜の名所として知られていたが、肝心の桜が何も咲いておらず、今日は地元のお婆ちゃんとお爺ちゃんたちによるグランドゴルフで賑わっていたのだ
僕はそんな中、お婆ちゃんとお爺ちゃんたちの邪魔をしないように本丸広場の端っこを歩きながら、ここの城跡散策を約20分ほど楽しんでいった
その後、天竜川に沿って30分ほど北上して行くと、天竜川の最下流にある発電及び農業用水専用のダムで、1つの門の大きさが高さ15.3メートル、幅20メートルの世界最大級のものとなっていて、その出水ゲートが9つもある大規模な構造となっていた「船明ダム(ふなぎらだむ)」に到着した
ここのダムの周辺には、「船明ダム運動公園」があり、天竜球場や多目的グラウンドが整備されていたため、野球少年やサッカー少年たちに利用されていたのだ



ここの城跡も桜の名所として知られていたが、肝心の桜が何も咲いておらず、今日は地元のお婆ちゃんとお爺ちゃんたちによるグランドゴルフで賑わっていたのだ
僕はそんな中、お婆ちゃんとお爺ちゃんたちの邪魔をしないように本丸広場の端っこを歩きながら、ここの城跡散策を約20分ほど楽しんでいった
その後、天竜川に沿って30分ほど北上して行くと、天竜川の最下流にある発電及び農業用水専用のダムで、1つの門の大きさが高さ15.3メートル、幅20メートルの世界最大級のものとなっていて、その出水ゲートが9つもある大規模な構造となっていた「船明ダム(ふなぎらだむ)」に到着した
ここのダムの周辺には、「船明ダム運動公園」があり、天竜球場や多目的グラウンドが整備されていたため、野球少年やサッカー少年たちに利用されていたのだ



しかし、ここの桜並木からは、放流が行われていた「船明ダム」を一望することができ、迫力のある放流シーンを見れて凄く良かったのだ
そんな「船明ダム」の北側には、全長6㌔にも及ぶ「船明ダム湖」が広がっており、僕はここの湖を訪れたのが初めてだったので、ここからコースを一旦外れ、湖畔を7㌔(片道3.5㌔)ほど散策してみることにした


そんな「夢のかけ橋」を渡ると、「道の駅天竜相津花桃の里(みちのえき てんりゅうそうづ はなもものさと)」があり、野菜の直売やお土産販売、レストランなどが併設されていて、多くの観光客で賑わっていたのだ
僕はそんな中、ここのレストランで一番人気の「花桃カレー(大盛/750円)」を食べ、野菜が溶け込むまでじっくり7時間以上もかけて煮込んだ絶品のカレーが凄く美味しかった
なんせ、地元のお母さんたちが試行錯誤をしながら、研究に研究を重ねてできたカレーらしく、お母さんたちの真心がつまった凄く優しい味となっていた
そして、お腹がいっぱいになったところで、500メートルほど山を登って「花桃の里ガーデン」に行ってみると、約500本の桃の花が満開に咲いていて、相津(そうづ)の里をピンク一色に染め上げていたのだ
ある日、浜北で花卉栽培(かきさいばい)を営む人が相津地区を訪れ、

