皆さんこんにちは。 今回からお届けする画像は、1978年の夏休みに撮影した画像です。 この年の10月に 国鉄全国ダイヤ大改正が控えていて 今で言う 葬式鉄を初めてした時のことです。

 

いきなり露出不足のひどい写真ですいません。 小学生で親のカメラを借りている身分としては ストロボなどと言う高価な物は所持していませんでした。 あったとしても使ってないと思いますが。

普通須磨浦公園行 6012Fです。 当時私は、今津線沿線に住んでいたんですが、早朝の寝台特急を撮影するには 今津線の一番電車では間に合わないので またまた 自転車で西宮北口駅まで行き、神戸線の始発で大阪に向かいました。 その梅田駅での1枚。 普通須磨浦公園行は、早朝に走るだけでしたので 撮影しました。

 

寝台特急安芸 新大阪行です。 ホームに上がった時は、動き出していました。

 

下関と新大阪を結んでいた 寝台特急で 広島から呉線を経由していました。列車名の安芸は 広島県の旧国名です。寝台特急になる前は 同じく呉線経由の東京ー広島間を結ぶ 伝統の急行列車で1970年ごろまでは 呉線ないはSL牽引の客車急行で その後 153系電車化 大阪ー広島間になって 1975年に山陽新幹線開通に伴って 新幹線新大阪連絡の 寝台特急になりました。

 

1975年10月の山陽本線東海道本線の時刻表。 当時は、岩国ー米原間で掲載されていました。 

寝台特急安芸は、大阪駅に一番最初に到着する寝台特急でしたが、 ページ上段の岩国駅の発車時刻をを基準に掲載されていたため、 最後のページに掲載されていました。 広島駅を23時29分の発車。 4分後にに東京行の 寝台特急さくらと 17分前の名古屋行寝台特急金星にはさまれていました。 安芸が呉線を経由している間に さくらに抜かれています。

大阪には 5時29分 新大阪には5時36分到着 東京行の始発のひかりに接続していましたが、 利用客は伸びず わずか3年半で 1978年10月に廃止に。 その直前に撮影に行った次第です。

掲載されている場所も 東京や名古屋への直通寝台特急の間に挟まれて目立たず。

早朝に乗り換えて 東京名古屋に向かうなら 前後の直通の寝台特急に乗るでしょうから 利用はかなり少なかったようです。しかし 安芸には A寝台も連結されていました。

 

寝台特急明星1号新大阪行です。博多発の列車で 安芸と同じく 新大阪で ひかりの1番列車に接続していました。博多を東京行最終寝台特急さくらの後に出発して 東京には2時間ほど早い9時すぎに到着する東京ー九州間の速達列車としての使命を持っていました。 

これで 583系の文字幕時代の 特急3本を記録できました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。