皆さん こんばんは。 時系列では 逆戻りしています。1995年の状況紹介。 今回は、 阪急電車ファンの人には かなりショッキングな画像かもしれません。 ご注意ください。

 

 

前回の正雀工場の画像は 3月26日でしたが、その二週間ほど前になります。 2251号車以外の車両は、まだ修理が始まっていないようでした。  3103号車と奥は 京都線の2346号車が停められていました。

 

2251号車は、被災直後のままみたいです。 3103号車の方は、台車がかり台車になっていました。 雲雀丘の車庫内で脱線した車両があると聞いたことがあるので その編成だったかもしれません。

 

2087号車。 伊丹駅で被災した 3159Fの中に組み込まれていた 元2021系のT車。 

 

駅舎の崩壊とともにくの字に曲がっていた編成です。  この2087号車は、修復されることなく 損傷激しかったため 廃車になりました。

 

工場北側の道路に回りました。 先ほどの3103号車の編成の中間に位置していた3102号車です。 被害がなかったのか一番奥の方に留置されていました。

 

そして もう一両 3100系の先頭車。 3159Fの伊丹方先頭車。 先ほどの2087号車の隣の車両です。

 

一見 そんなにはひどく傷ついてはいないようですが、現役に復帰することはありませんでした。

この3109号車が 3000系列で初の廃車となりました。

 

車両を 大切に使い続ける阪急電車ですが、 震災では、この3109と2087 そして 2721号車の3両が廃車となりました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。