皆さん こんにちは。 月末月初は 少し忙しく 夜の更新滞っていますが そのうち。
さて 時系列は 逆転しますが、 1997年1月末に 甲子園口駅での撮影を。221系 新快速米原行。 国宝彦根城のPRマークです。
快速米原行 113系は11両編成。
快速大阪行。 東海道山陽本線でも 113系がどんどんやってきました。 221系223系は、4両6両8両12両と偶数組成されていますが、113系は 基本が7両編成。 それに4両編成を増結した11両編成が多く見られました。 当時は 乗車位置案内で 白い三角印 4~10番や2~10番の7両や11両の案内だと ほぼ113系がやってくると 行った感じでした。
普通京都行。 普通列車の主力は 201系でした。 甲子園口駅は 特殊な線路配置で、上り線は、201系の走る内側線と外側線の間に島式ホームが1面2線の配置ですが、下り線は、ご覧の通り行き止まり線があり、これは 大阪からやってきた 下り内側線は、2線に分かれて直進した線路は ご覧の通り行き止まり 分岐した通常は待避線に当たる線路が、そのまま駅をすぎると 元の内側線の配置に戻っていくと感じで おり内側線が変則1面2線の島式ホームで。 外側線には ホームはありません。 内側線が膨らんだ分だけ その外を遠回りする感じで配置されています。
なぜ 内側線を中途半端に行き止まり線にしたのかはわかりませんが、 現在でも一日数本 甲子園口折り返しがあり、 列車の遅れがある時も 急遽 甲子園口で折り返す時があります。
しかし 待避は出来なんですよね。 この写真で見ていると 下りの場合は 真っ直ぐ繋げると 快速の待避ができたり、 上りの場合も、ここに渡り線を設けると ダイヤ乱れ時の 上り列車の折り返しや 快速の待避もできたり 柔軟な対応ができると思うんですが。
これは 1997年だけの話ではなく 現在も行き止まりのままとなっています。
今年の1月末に 行ってきました、 同じ位置です。25年経っても 行き止まりのままです。
御覧頂きましてありがとうござました。