皆さん こんにちは。 三河安城駅からは 次のこだま号で一駅 名古屋に到着。ここで 最後の撮り鉄に。

 

特急ひだ9号高山行。まだ登場間もない頃なので ピカピカのキハ85系特急型気動車。

 

後は貫通型先頭車。 そういえば、JR東海の特急型車両は、小さいながらもヘッドマークが付いていますね。

 

特急しらさぎ9号富山行。北陸特急の中でも 名古屋地区の「しらさぎ」号とはあまり縁がなかったので その中でも ボンネット車を記録していたのはよかったです。

 

特急しなの23号長野行。 ほぼ日中1時間に1本運転されている 特急しなの号。 ホームでの折り返しの場合、係員がついて給水?作業が行われていたようでした。

 

快速2129M米原行。 JR東海色になった117系。 1982年に関西地区に続いて 名古屋地区の153系を置き換えるために投入されました。 当初は、関西地区と同じ クリームにマルーンの帯の塗装でした。

 

東海道線下り普通美濃赤坂行。 車両は、211系5000番台。 JR東海になってから 普通電車の置き換え用に投入されました。

 

新快速大垣行。 最近引退した 311系近郊型電車。 こちらも当時は、バリバリの現役。

 

特急ひだ11号富山行です。

快速みえ54号名古屋行。 1990年の運行開始当初は、キハ58+キハ65の2両編成で運転されていましたが、キハ75系登場後は、臨時列車で運転されていました。

 

キハ75 快速みえ15号鳥羽行が入線 新旧快速みえ号が並びました。

 

普通1443M関ヶ原行。 湘南色113系もわずかながら残っていました。 

日中に数本運転されていた レアな「関ヶ原」の表示幕を記録していました。

EF64-6号機牽引 貨物列車。 多分 EF64が珍しくて撮影していました。

中央線 快速中津川行です。211系の7両編成でした。 

 

高山から到着した 臨時特急 ひだ82号です。 臨時列車だからか 先頭車が2両連なっていました。

国鉄時代の長野鉄道管理局で 1983年に製造された 12系客車改造のお座敷客車 白樺 です。 塗装は、晩年の深緑色となっています。

 

牽引機 EF64- 41。 この41号機 よく見ると パンタグラフが前後で形状が違いました。 前が 下枠交差式に交換されています。 

 

117系 15時20分発の快速米原行。

 

地元 JR東海のジョイフルトレイン キハ80系特急型気動車改造の リゾートライナー。

 

キロ82-801+キロ80-701+キロ80-801の3両編成。 キハ58系を2両連結していました。 これは、増結ではなく キロ80系列の方の走行機関が不調で、補機代わりの連結だったそうです。

 1988年に登場し 1995年にひっそりと引退しました。 短命に終ったジョイフルトレインだったようです。

 

新快速大垣行。

 

311系と211系の並びを撮影。 この後 新幹線で帰ったのかと思いきや こんな切符が残っていました。

JRで岐阜駅まで行って 折り返しは 名鉄特急に試乗していました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 前回の続き的な感じになります。 

寝台特急北陸で 北陸から関東に移動して 撮り鉄していたんですが、その際 寝台特急北陸乗車時の切符が出てきました。

 

この時は北陸ワイド周遊券で大阪を出発。 氷見線や呉羽山で撮影後 寝台特急北陸の発車まで 

 富山~福井~金沢と 雷鳥 しらさぎの自由席を乗って 時間つぶし兼 485系特急電車を堪能しました。 金沢からは、夜の475系の普通電車 往年の夜行急行自由席に乗った気分で 高岡に。

高岡からは 特急北越で 金沢に戻りました。

 その際 北越号の車掌さんに 糸魚川から東京都区内までの乗車券を発行してもらいました。

 

大宮到着後は、前回の通り。 尾久から東京駅へ移動して 東京から西に向かいました。

その際 快速アクティーのグリーン車で移動しました。 国府津で降りて 御殿場線に乗り換え この日は御殿場駅前のビジネスホテルで泊まりました。

 

翌朝。駅近の撮影スポットに。この日も快晴でした。

特急あさぎり2号 小田急新宿行です。 車両は、JR東海 371系直流型特急電車。

1991年にJR東海が特急あさぎり号用に用意した車両で 画像の7両編成1本が製造されました。  中間の2両が2階建て車両で 上界がグリーン車 1階が普通車となっていました。

 

普通635M沼津行。 115系が富士山に吸い込まれていくような光景でした。 115系の先が 御殿場駅になります。

 

特急あさぎり1号 沼津行です。 車両は、小田急20000系RSE車です。

1991年特急あさぎり号運転開始時 小田急側でも あさぎり号用特急電車を製造しました。 それまでの小田急特急車両は、連節車体でしたが、20000系は、JR371系と基本的に共通仕様となりました。 中間の2階席は、スーパーシートと呼ばれて 371系と同じ 1+2列の3列大型シートとなっていました。

 

 

御殿場ー名古屋間の乗車券。 名古屋からは 北陸ワイド周遊券が使えるので 名古屋まで買いました。

 

沼津駅を経由して 三島駅に。

ホームから 100系と富士山。

100系は、ひかり80号東京行です。 JR西日本グランドひかり編成使用の広島発の列車で 新大阪まで各駅停車 新大阪からは 京都 名古屋 浜松 静岡 三島に停車する列車でした 

当時の のぞみ号は、300系で1時間に1本 東京ー博多間で運転されるのみで 東海道新幹線は、100系全盛期でした。しかし こだま号には、0系が使用されていて 三島に止まる100系は珍しい時代でした。

 

通過する ひかり225号新大阪行です。

その後 こだま421号に乗って西に向かい 1時間40分ほどで着いた三河安城駅で途中下車。 ここで1本遅らせて 少し撮影しました。

 

300系のぞみ10号 東京行。 最初で最後の300系走行中の写真でした。 300系の写真は本当に記録していませんでした。

 

こだま420号東京行。こだま号は0系がメイン。 時刻表を見てみるとまだビュフェ車がほとんどの定期こだま号で営業していたようです。 ただ 利用したことはありませんでした。

 

ひかり108号東京行。 当時の東海道新幹線の主役は、100系G編成で 2階建て車2両組み込みでしたが 食堂車ではない カフェテリア車連結のグループでした。

 

先頭車は 小窓の1000番台車でしたが、中間部分は大型窓の0番台が多く組み込まれた編成でした。

 

今思うと この頃の東海道新幹線は バラエティーがあったんですねえ。 もっとしっかりと取っておけばよかった。

 

つづく

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

旅と鉄道2月号 久々に買いました。

本誌の中で 大井川鐵道を訪れている イラストレーター大崎めぐみさんかいた イラストの2026年版カレンダーが付いていました。

 

首都圏だけなのが残念ですが、 駅そば も写真いりで紹介されて 食欲 旅欲が刺激された1冊です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。  現在では、寝台特急サンライズエクスプレス号に設置されて 争奪戦にもなっているシャワーカードですが、 上野と金沢を結んでいた 寝台特急北陸号にも設置されていました。

 

寝台特急北陸は、同区間を走る 急行能登号との差別化のために 編成中の個室寝台車の比率を高くしていました。2000年代でも8両編成中 A寝台個室シングルデラックス1両 B寝台個室ソロが3両と 半分が個室車となっていて シャワー室は、2号車スハネ14−700番台車に2室設置されていました。 ソロの割合が多かったので 人気の個室も取りやすく シャワーも利用できました。

 

 

個室カードキー。 この時のソロを利用した時のものだったと思います。

 

早朝大宮駅にて 寝台特急北陸 上野行。 

この時は、呉羽山で撮影後 「北陸」に乗車 大宮に到着後は、

スーパーホリデーパスを購入しました。 

大宮駅からは 東北新幹線 あおば201号に乗って宇都宮駅乗り換えで片岡駅に行きました そこから徒歩で雑誌で紹介されている撮影地に向かいました。

新特急なすの4号新宿行。 新特急 東北本線バージョンは、新特急なすの号。新宿ー黒磯間に一日1.5往復の変則運転した。 車両は185系0番台 斜めストライプの特急踊り子号用に投入された車両でした。

 

寝台特急北斗星4号 上野行。

 

臨時快速フェアーウェイ号 黒磯行。 週末運転の沿線のゴルフ客輸送用に設定された 新宿ー黒磯間運転の臨時快速でした。

車両は、夜行快速ムーンライト号(のちのムーンライトえちご)用の165系改造車。

ムーンライトで新宿到着後折り返し 快速フェアーウェイ号となっていました。

 

などを撮影。次は 尾久駅に向かいました。

特急あさま19号長野行です。

 

L新特急 草津5号 万座•鹿沢口行です。

 

L新特急 谷川7号 水上行です。 草津5号と新前橋まで併結されていました。 

 

EF58-61号機。 大宮工場からかの回送列車みたいでした。

 

DE10かと 思っていたら よく見るとDE11でした。これも、私のコレクションの中では、唯一のDE11となりました。

DE11とは、DE10から 客車列車用の暖房蒸気発生装置を設置せず 貨物ヤードや機関区内での入れ替え専用の機関車です。

お座敷客車の 江戸。 和風客車なのに、洋風の展望席が編成両端に設けられていました。 これが EF58に牽引されていました。

 

快速アーバン上野行。快速アーバンは、上野ー高崎間に1時間に1本運転されていた快速に相性がつけられていました。車両は、普通の115系を使用していました。

 

特急白山 上野行。 わかりにくいですが 後から4両目に国鉄色ユニットを2両増結しての11両編成みたいでした。特急 白山号で上野に到着したこの編成は、夜の夜行急行能登号で金沢に向かいました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 今回は 家族旅行で北海道に行った時の写真です。 家族旅行でしたので鉄分少なめでした。

 

行きは 関空から人生初の飛行機で 女満別空港に そこからはレンタカーで札幌まで観光しながら移動するという行程でした。

その北海道からの帰りはトワイライトエクスプレスを利用しました。

上から 朝食予約券、シャワーカード、個室カードキーです。

今では プラチナカードの シャワーカードも 争奪戦ということはなかったと思います。

食堂車での朝食については、乗車後に係員が回ってきて予約を取るという方式でした。A寝台側から回ってくるのでB寝台個室でしたが、余裕で和朝食などもキープできたような気がします、逆にB寝台2段式のBコンパートメントは最後になるので売り切れになる可能性が多かったかと 特に数量限定の和朝食は人気でした。

特急券・B寝台二人用個室券

 

車内で購入した、乗車記念テレフォンカード。

 

女満別空港からは、サロマ湖 網走 摩周湖 釧路 帯広と回って ここに立ち寄りました。

 

1987年に廃線となった 国鉄広尾線 幸福駅。 記念切符の台紙には幸福駅の由来も書いてあります。

同じ広尾線にあった 愛国駅から幸福駅への乗車券が「愛の国から幸福へ 」とブームになり 

廃線後も 幸福駅周辺は 交通公園として整備されて 現在に至っています。

その公園内には、当時の線路とホームが残されて キハ22が2両が静態保存されていました。

当時は、廃線から8年 ほぼ野ざらし状態で保存されていたようでした。

 

しかし 車内に入ることができました。

 

ただ 現在は、化粧直しはされたようですが、車内に入れるかどうかはわかりません。

 

その後は 襟裳岬をまわって 札幌まで行き一泊、翌日は トワイライトの発車までに少し撮り鉄しました。

オハフ51系客車改造の キハ141系の普通列車です。主にJR学研都市線(札沼線)で走っていました。

キハ141系は 定期運用は終わったようですが、一部が JR北海道の新しい観光列車に改造中だそうです。

https://www.jrhokkaido.co.jp/CM/Info/press/pdf/20250918_KO_star_train.pdf

 

1967年登場の 日本初の国産量産 交流専用近郊型電車711系。 近郊型でしたが 北海道の気候に対応するために デッキ付きの2扉車でした。1970年代は、北海道発の電車急行かむい号として 札幌ー旭川間を走っていました。 

1995年の当時も 現役でしたが、クーラーは設置されていませんでした、 この編成は、両先頭車が中間に片開き扉を増設した 片側3扉に改造されています。

 

特急スーパーとかち。 釧路方面特急のうち 札幌ー帯広間運転列車を 特急とかち号とし そのうち グレードアップ改造 ダブルデッカーのグリーン車 キサロハ182ー550番台を連結した列車を 「スーパーとかち」と名付けられていました。

 

キサロハ182ー550番台は 4両が製造されて 一階は、二人用普通個室、2階が1+2列のリクライニングシートの展望グリーン室でした。

 

特急北斗との並び。

 

 

この時の トワイライトの写真は1枚のみ。

敦賀駅での機関車交換中にホームに出て1枚。撮影していました。 この後は お昼前の湖西線を琵琶湖を眺めながら大阪を目指していました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。前回の続きです。

 

阪急仁川駅。

仁川駅上りホーム。 競馬場側改札口からの階段を上がって 西宮北口方面の壁面。 かつて ここに 阪急そば 仁川店がありました。 カウンタースタイルですが、回転いすがあって 通常時は座って食べれました。普段は 結構閑散としていましたが、阪神競馬開催時は、かなりの混雑となっていました。

2014年に閉店してしまいました。

 

今も現役の 電光の発車案内表示器。枠の左側が 先発 次発の案内。 右側が、上段が 急行梅田行。真ん中が普通西宮北口行となっています。 阪神競馬開催時の夕方に使用されているみたいです。

 

軒下の乗車位置案内。今も現役みたいです。 ただ、臨時急行の運転もかなり減っているようで、先日G1が開催された 14日の日曜も臨時急行の運転はなかったようで 仁川ー西宮北口の普通が増発されたみたいだけでした。 今津線は 増発されていましたが、神戸線の方は、増発なしで10分間隔の特急と普通で乗り切っていました。

ただ この丸急の看板も出番が減ったようですが、平日朝の準急で活躍しているみたいです。

 

準急大阪梅田行1002Fと 普通宝塚行8200F。

 

準急大阪梅田行1002F

 

準急大阪梅田行9002F。

 

準急大阪梅田行1016F。

 

普通西宮北口行5010Fと普通宝塚行7004F。 

 

普通西宮北口行8200Fと普通宝塚行5002F。  5000系も忘れた頃に 少しづつ引退していっているので 要注意です。

 

8032F+7003F準急大阪梅田行と6025F+6026F普通宝塚行。

 

8032F+7003F 準急大阪梅田行です。 増結編成+6両編成の組み合わせは、今津線の予備編成と神戸線の予備編成を兼ねているのか 昔から 数編成確保されているみたいで 30年以上前の1991年の撮影の時も走っていました。  フルマルーンの頃です。

 

6022F+6012F準急梅田行。 山王電鉄の乗り入れ運用が残っていた時期で 6000系も数編成神戸線で走っていました そのうちの一編成が 2+6で走っていました。

 

フルマルーン リニューアル前の7007F準急梅田行。 1991年は、フルマルーンの7000系が主力でした。

 

2025年。

準急大阪梅田行1000F。 この日は、ほぼ1000系が運用についていました。

 

普通西宮北口行5010F 5000系で唯一貫通扉に車番が残る編成です。

 

この日は カービィ号も準急運用に。

1005F準急大阪梅田行。

 

5006Fと並びました。

 

最近は、装飾だけでなく ぬいぐるみの添乗も定番になりました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 先日 平日朝のラッシュの仁川駅で曇り空だったのですが、5000系と準急などを撮りに行ってきました。 その際 撮影後 朝食には、塚口駅構内の蕎麦屋サンジに行きました。

 

店内で製麺するゆがきたて 蕎麦が食べられる店です。3年ほど前にオープンしたそうで 蕎麦好きの私は、阪急船内で撮り鉄した時は よく食べに行っています。

盛りそば大盛りと昆布ご飯が定番でした。 ただ 最近の物価高で メニューの改変があって これがなくなったのは残念ですが。

 

と ここで 私ごとですが、今から40年前 1985年 大学生だった私は、ここでアルバイトをしていました。 その時、ここは、阪急そば 塚口店と言っていました。  

当時は、10人ぐらいが食べれるカウンターで 店内では、大きな釜で湯を沸かし 麺をほぐして出汁と具材を乗せて 提供していました。 出汁も店内で鰹節と昆布と醤油でとっていました。

3年ほどバイトをしていたのですが、 就職活動で少し休んで復帰した時に こちらに転勤しました。

若菜そば 西宮北口店。 当時は、もちろん阪急そばでした。 こちらの店は リニューアルしていますが、ほぼ当時のままのレイアウトですね。

 

阪急そば というのは、阪急園芸という会社が、1967年(昭和42年)に十三駅で関西私鉄で初めてオープンさせた立ち食い蕎麦屋でした。 阪急沿線に 最大37店舗あったそうです。

2015年に十三店で フライドポテトをセットにした ポテ蕎麦 ポテうどんがブームになりました。

その後2019年に 阪急阪神グループの事業再編で 大阪の平野屋さんという会社に事業譲渡されて 一部店舗が 「若菜そば」という屋号で引き継がれました。

 

若菜そば 十三店。 関西私鉄立ち食いそば店の元祖ですね。 阪急そば時代から数えて 58年となります。 その58年というと、この電車、

鶯の森駅で撮影しました。

能勢電1700系 1757F。レジェンド1700。 旧阪急2000系電車で この編成の両先頭車は、阪急時代1967年製造の車両です。 阪急そばと同じ歳ですね。

 

記念装飾が実施されて 現在最後の活躍中の1757F。 当初は、装飾の終了と同時に来年1月末で引退の予定でしたが、 1年ほど引退が延ばされたということです。

 

能勢電公式チャンネルで 1757Fの最新の動画がアップされてみたいですが 埋め込みがうまく行きませんでした。 すいません。

 

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 今回は、810系の現役だった頃の写真を。

 

仁川駅宝塚方の踏切で撮影。

普通今津行 817Fと 普通西宮北口行5104F。 5104Fは、阪神競馬開催時の臨時です。

 

仁川駅宝塚方面ホームから。

普通今津行814F。

 

普通宝塚行 817F。 当時は ダイヤモンドクロスが健在でしたので 西宮北口ー宝塚間の運行標識板は、区間運転を示すタイプになっていました。

 

門戸厄神駅。

普通宝塚行 820F。 810系の終盤。今津線では、814F・817F・820Fの6両編成3本が走っていました。

 

ダイヤモンドクロスをいく 普通今津行820F。

 

伊丹線稲野駅。

普通伊丹行810F。

 

伊丹線では 4両編成で運用されていました。

 

続いては、810系の先代になる800系の写真が2枚ありました。

806F普通西宮北口行。 仁川駅北踏切にて。805F普通今津行と2060F臨時急行梅田行。ホームに人がいますが、阪神競馬開催時15時半ごろから16時半ごろまでの 宝塚から来た電車は、臨時ホームで停車、仁川駅で降りる人はここで降車していました。

 

805-855・806-8564両は、全面非貫通構造でした。 能勢電に移籍した600系と違って 真ん中の窓が大きくなっていました。

 

この800系の写真が、私の阪急電車最古参の車両なんですが、 先日 帰宅時に現時点の阪急電車の最新編成に出会いました。

十三駅。

普通西宮北口行2001F。

 

武庫之荘駅。

 

普通大阪梅田行 2001F。 待望の神戸線2000系の登場。 NEW MODEL 2000 のヘッドマーク 宝塚線の2000Fにもついていますが、 NEW MOD ELの文字色が こちらは神戸線カラーの青になっています、

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 今回は 阪急電車810系についてです。

810系は、阪急電車で最後の旧型吊り掛け駆動車でした。 1985年に全車引退しています。

 

さよなら 記念乗車券が見つかりました。

ケースの両面。

 

乗車券は3枚。

新製当時の写真。

 

今津線 ダイヤモンドクロス通過。

 

形式図。

 

廃止直前の1985年3月にさよなら運転も実施され 西宮北口ー十三ー嵐山間で運転されました。

 

武庫之荘駅。

豪快に吊り掛け音を響かせて爆走して行きました。

820-870+822-872+821-871の6両編成でした。

 

この後さよなら列車は 十三駅でスウィッチバックするので その間に先回りして 京都線の相川駅に向かいました。

京都線に入ると先頭になった 871号車の方には、京都行の看板が付き 2枚看板となっていました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 今回は、3日目と4日目となります。 

 

1996年3月13日。 三宮駅からスタート 西に向かって 姫路駅に行きました。

当時の姫路駅は、まだ地平ホームでした。

急行但馬1号 播但線経由鳥取行です。  

 

地上駅時代の姫路駅 播但線専用ホームは、東1番〜東3番ホームと呼ばれていて 急行但馬1号は、東2番ホームから発車していました。

 

最盛期は、特急はまかぜ号と同じく 大阪始発で運転され グリーン車も組み込まれていましたが、

晩年は、姫路始発で 全車自由席の3両編成でした。

1日2往復運転され 姫路発8時の1号鳥取行と姫路着20時1分着の4号が、関西圏から山陰地方への旅客向けに。 姫路発18時9分の3号豊岡行と朝9時17分着の2号が、北近畿地区からの 日帰り利用客向けの運転でした。

 

先頭は、キハ58-1128号車。全国を走り回ったキハ58系の中で 一番最後に製造されたグループの車両 前面窓が側面に回り込む パノラミックウィンドウが特徴で それまでのキハ58系とは 印象が大きく変わっていました、どちらかというと 後輩の キハ65ににた印象です。 

 この顔のキハ58は、この時ぐらいしか記録していませんでした。

 

続いて 姫新線ホーム。

8時29分発の 姫新線1849D播磨新宮行です。 朝ラッシュなので、キハ40にキハ47を3両連結の4両編成でした。

 

キハ40-2035。  塗装は 確か 姫路鉄道部色と呼ばれていたような。 姫路駅発着の姫新線・播但線の普通列車に運用される気動車がこの色になっていました。

 

この後は、青春18きっぷを有効活用して 播但線の香呂駅付近に移動しました。

普通639D 和田山行です。 

車両は、キハ58、28の5500番台。 姫路鉄道部色の5500番台は、姫新線、播但線での通勤輸送用に ロングシートに改造された車両でした。

 

急行但馬2号 姫路行です。 基本駅撮り派なのですが、この日は、駅間で急行但馬2号の最後を撮影。 急行但馬号は、この2日後の3月15日にダイヤ改正で廃止。 一往復は、特急はまかぜ号に格上げされました。

 

姫路駅に戻って 地平ホーム時代を1枚撮影。

左から 特急はまかぜ1号浜坂行。 真ん中は 113系普通網干行。 221系は 新快速近江舞子行です。 特急はまかぜ1号の左側に留置線が何本かあって その左に山陽新幹線ホームがありました。 現在は、その留置線部分に高価の在来線ホームがあって 写真のホーム付近は現在駅ビルや駅前広場になっているようです。

 

現在の播但線・姫新線ホーム。

手前の103系が播但線列車で2番ホーム。奥のキハ127系が姫新線列車で4番ホームになります。手前の写真を撮っているホームが、5番線で本線上りとなっています。

 

現在も播但線の普通列車は、103系2両編成が運用についています。

九州地区にも103系が運用されていますが、この播但線の103系が一番オリジナルの雰囲気が残っていますね。

 

さて 続いて4日目 4月5日。この日は、四条畷駅の駅印になっていますが、現在は、学研都市線と呼ばれている 写真は、2枚だけなのですが片町線に行きました。

片町駅に停車する207系。左が普通松井山手行。ラインカラーの黄緑の帯。

右は、到着した 快速片町行。 快速幕は、207系登場直後のもの。 最後に片町の行先も記録できました。

1997年3月開業のJR東西線の工事のために 仮設ホームに移転されていました。

奥のダイエーの看板は、今はなくなったダイエー京橋店のものです。

片町駅は、JR東西線開業と同時に廃止になり、JR東西線上の至近に大阪城西詰駅が開業しています。

 

多分京橋駅で撮影したと思います。

103系の普通松井山手行。 片町線には、大阪環状線と同じのオレンジ色の103系が運用についていました。

 

最後の4月10日は、写真がなく、残り券消化のために 大阪駅への買い物に使ったのかと思います。

 

御覧頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 今回は、青春18きっぷ旅の続きになります。

 

ご案内文。 こちらもマルス発券でした。

 

今回は 二日目 3月6日です。 右側に 緑の日付印がありますが、 途中で検察が来て押してもらったのかなと思います、 JR福知山支社 営業推進チームとなっています。

 

この日は、宝塚駅で乗車し 福知山経由で綾部駅に。

特急あさしお4号 京都行。

 

最後尾先頭車 キハ181-18。 キハ82系の改良版で 細かいところは変更されていますが、大きくは、キハ82のデザインを踏襲していました。 そのデザインは、現在の特急はまかぜ用 キハ189系にも引き継がれていますね。

 

グリーン車 キロ180-4。1桁台は  1969年特急つばさ号用に製造された車両です。

キハ181系といえば 中間車の屋根に設置されたラジエーターが特徴でしたね。

 

特急タンゴエクスプローラー1号。 久美浜行と並びました。

現在綾部駅は橋上駅舎になって雰囲気が変わりました。

 

この日も 電化前廃止寸前の 特急あさしお号と急行丹後号が目的で 撮影地として雑誌に載っていた 立木駅付近に向かいました。

 

 綾部駅から園部行のキハ47の普通に乗車 2駅めの立木駅で降りました。駅からは雑誌の地図を見ながら この場所に。線路より少し高くなった地点で見晴らしのきく場所でした。

特急あさしお3号 舞鶴線・北近畿タンゴ鉄道経由 城崎行です。

昨日の保津峡の次の日だったので 雪が残っているかと思いましたが、背後の山の斜面に少し見える程度でした。 逆に 薄陽が差して 3月らしい気候でした。

 

続いて20分後。

新しい電化区間を走る 183系試運転列車です。

園部ー綾部間を この日は2往復程度の試運転をしていました。

 

普通福知山行131D。 当時は、未電化で残っていた 園部ー綾部間には、気動車の普通列車が 約1時間に1本走っていました。

 

普通園部行136D。 立木駅の向こうの山家駅で 先の131Dと行き違ってきました。

この区間の当時の普通列車は、基本的に気動車2両編成で こういう キハ47+キハ28という編成もありました。 夏場は、冷房のある前の車両が混みそうですね。

 

急行丹後1号。前4両が舞鶴線北近畿タンゴ鉄道線経由 網野行。 後の2両は、西舞鶴で別れて 東舞鶴までの1駅は急行。東舞鶴からは普通列車になる 敦賀行でした。

グリーン車を含む6両編成のキハ58系急行列車、 最高でした。

 

綾部駅で折り返してきた 183系試運転列車。 線路によって撮影。 試運転の幕を記録できました。

 

急行わかさ+急行丹後6号京都行です。 前の2両が敦賀から来た 急行わかさ号でした。 急行丹後1号と立木駅で行き違ってきました。

立木駅は、トラス鉄橋のすぐ向こうに位置します。

 

次の優等列車まで 少し時間があったので 一度立木駅まで戻って トイレ休憩。

立木駅を発車した、普通園部行138D。 現在の地図を見ると 丁度この真上付近を京都縦貫自動車道の高架が通っているようです。  キハ47の2両編成でワンマン運転でした。

 

急行丹後3号 城崎行です。キハ58系4両編成でした。

 

特急あさしお6号 京都行きです。

 


アップで車体を強調。いやあしびれますねえ。 

 

 普通135D福知山行きです。ここに来たときに園部に向かった編成です。

 

特急あさしお5号 城崎行です。 朝に 綾部駅で撮影した編成でした。

 

この場所に3時間ほどいたのですが、前日と違って小春日和の良いお天気で 最後のキハ181系 特急あさしおが記録できて 最高に楽しいひとときでした。

 

これにて 帰途につきました。

 

帰りの途中 綾部駅にて。 ひどい逆光ですが 急行丹後5号 豊岡・敦賀行です。

 

急行丹後5号は、この綾部駅で折り返し舞鶴線に入って 次の停車駅 西舞鶴で 敦賀行の2両と豊岡行の4両に分かれて それぞれ 普通列車となって目的地に向かいました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。