皆さんこんにちは。 今回は、1991年の札幌駅での撮り鉄分です。

 

洞爺湖温泉を離れて もう一度札幌駅に戻りました、あの列車に乗るためです。 その発車までの待ち時間です

特急スーパーホワイトアロー6号 札幌止まりです。1989年にデビューした785系電車です。当初は、特急スーパーホワイトアローのみに運用されて 札幌ー旭川間 岩見沢 滝川 深川にのみ停車。1日13往復 全列車1時間20分で走っていました。 

 

回送のキハ400形急行型気動車。 キハ40系気動車を 車内とエンジンを改装して登場しました。 客車で運転されていた、急行宗谷と天北の高速化を実現しました。

 

札沼線(学園都市線) 普通あいの里教育大行きです。 

 

千歳空港から到着した 特急ライラック11号 旭川行です。 781系は 国鉄時代に製造された 初の交流専用特急形電車でした。

国鉄特急色時代は、赤帯が正面まで回り込むデザインでした。

 

11時30分 特急北斗8号 函館行。

 

同時発車の特急ライラック11号旭川行。 今のデジカメなら ガシャシャシャシャシャ と連写したんでしょうが。。。

 

急行宗谷1号 稚内行です。 11時32分に ライラックに続行するように発車しました。

旭川には、13時16分の到着、所要時間1時間44分 特急ライラックより14分遅いだけで 12時発のスーパーホワイトアローをギリギリ逃げ切っていました。

 

DD51とDE10の4重連の回送がやって来ました。 回送とはいえ 4重連を見たのは この時が最初で最後です。

 

特急スーパーホワイトアロー9号 旭川行です。 30分ほど前に発車した 急行宗谷1号に4分差にまで迫ります。

 

特急おおぞら2号 札幌止まりです。 先頭車は キハ183ー100番台。 中間車だったキハ184形から改造されました。 前面は 角ばっていましたが どこか キハ82を意識した感じでした。

 

ここで1986年の一枚。 5年前の札幌駅は まだ地平駅でした。

特急北斗8号函館行。 国鉄特急色時代のキハ183ー100番台です。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

皆さんこんにちは。 前回の続きになります。 午前の北斗3号に乗車して 札幌に到着 その後札幌では 定期観光バスに乗って 宿泊。翌日も午前中は 札幌市内を巡って 昼過ぎに札幌駅から 洞爺駅に向かう直前に撮り鉄。

 

臨時特急はこだてエクスプレスです。  展望リゾート列車のニセコエクスプレスを使用した、函館ー札幌間の観光臨時特急でした。  定期の北斗号に途中で抜かれるダイヤでした。

 

発車直前の寝台特急トワイライトエクスプレス 大阪行。 北斗星色のDD51重連の牽引。

 

時刻は14時16分。大阪まで22時間20分ほどかかっていました。

 

快速空港ライナー 千歳空港行です。 JR北海道721系電車1988年に製造されました。1991年は まだ指定席車の設定はなく 列車名も 「空港ライナー」でした。

 

まだまだ 現役だった1968年に登場の 711系近郊型交流電車。 1968年に登場。 1980年まで少しづつ 増備が続けられた 交流専用電車で 721系が登場するまでは 北海道の普通電車はこれだけでした。

最後の編成は、約10年前2015年まで走っていたそうです。  今気づきましたが 非冷房のままですね。

この後は 特急北斗12号と路線バスに乗って 洞爺湖に向かい宿泊しました。

 

翌日 路線バスで有珠山に向かいました。

ロープウェーに乗って山頂から眺めた1枚。 右手の水蒸気の上がる山が 昭和新山です。

洞爺湖と昭和新山 新山の向こうに 壮瞥町の街並み。 1944年頃普通の畑が 突如噴火して 隆起してできた昭和新山。 三松さんという方が その模様を全て 記録され また 昭和新山とその周辺を買い取られたそうです。 ですので 昭和新山は 私有地の中にある火山らしいです。

新山の頂上の左手付近に見える 道路付近に 画面右下から 新山の背後を旧国鉄胆振線が 左上に向けて走っていたようです。 麓には新山の隆起によって 持ち上げられた橋脚と橋台の遺構が保存されているそうです。

 

反対方向 有珠山の火口方向。 これを撮影した9年後の2000年 有珠山は大噴火 しかし 噴火前に付近の避難が完了していて 人的被害はなかったようですが、建物 国道などはかなりの被害が出たようです。

 

麓から見た 昭和新山。

 

路線バスで 洞爺湖湖畔に戻って 遊覧船に乗りました。

洞爺湖遊覧船から 眺めた 洞爺湖温泉街と有珠山です。

 

正面が 有珠山。 左手に、濃緑の山並みにぽこっと出ている茶色の山塊が 昭和新山です。 

昭和新山。

この日も 洞爺湖温泉に泊まりました。 学生時代から 一度は行きたいと思っていた 洞爺湖周辺。社会人になって念願かないました。

 

ホテルから眺めた 洞爺湖。

 洞爺湖自体も 火山カルデラで大きな火山でした。正面の山は、湖の中央にできた溶岩ドームなどの火山群。

 左手奥の少し霞んで見える円錐形の山は 羊蹄山です。 連絡船の羊蹄丸は この山に因んで名付けられました。

 

この日は、また、洞爺駅から 特急北斗に乗り 帰路に着くのですが、行先は 札幌でした。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。今回は、1991年9月にまた 北海道方面に旅行した記録です。 前回の一年後です。

 

大阪駅を寝台特急日本海3号青森行で出発。

奥羽本線 多分 八郎潟駅 上り急行よねしろ号との行き違い待ち合わせ中に撮影。

そのあと9時46分到着の東能代駅で降りました。 あと2時間で青森に着きますが 表題の列車に乗るためにここで下車しました。

 

普通ノスタルジックビュートレイン1号 五能線経由弘前行。 始発駅は 秋田駅で 日本海3号の直後を走って来ました。 牽引機は DE10-1204号機

 

東能代駅から 約2時間 深浦駅に到着。 ここで上りの2号と行き違いで15分停車しました。

1990年に 五能線の活性化のために 50系2両を眺望・展望客車に改造(最後尾の展望車・側面が固定窓になって冷房付の指定席車。)未改造の通常のオハ50 2両と連結して 写真のような塗装で運転されました。

2編成が改造されて 1日2往復運転されていました。 1997年から 運転開始になった キハ40系気動車改造の「リゾートしらかみ」を経て 2010年からは 新型HB-300系気動車で運転されている 観光列車の前身となる列車でした。

 

ダイヤは、通常運転されている普通列車を置き換えていたので 通常気動車2両を代替えする 自由席車2両を連結した3両編成で運転されていました。

1991年7月号時刻表 五能線下り。

 

上り ノスタルジックビュートレイン2号。 牽引機は DE10-1112号機。 牽引機も専用塗装のDE10が用意されて 夕日をイメージした 大型のヘッドマークとテールマークがついていました。

側面の行き先サボも専用の茶色。

 

展望指定席車ではなく 窓の開く 自由席車に乗りました。

東能代から五能線の終着 川部駅まで 4時間。現在みたいにイベント・車内販売はなく ただただひたすら 日本海を眺めるという 客車旅でした。海岸線から離れた 五所川原からは2両の自由席もほぼ満席になり 一般のお客さんも多かったです。

弘前に向かう ノスタルジックビュートレイン1号とは、川部駅でお別れ 奥羽本線の客車普通633レで青森駅まで行き 青森からは 快速海峡13号で函館に向かいました。 大阪から函館まで 客車列車だけで移動するという 贅沢な?移動でした。

 

函館で一泊後 翌日は市内観光。

市電 谷地頭電停付近。 立待岬に行った途中で撮影。

 

函館山ロープウェーに行く途中?

青函連絡船メモリアルシップ 摩周丸を坂の途中から。 連絡船の現役時代も撮影スポットでした。

 

夕方 摩周丸を見学しました。 なぜか この時の船内の写真は一枚も撮っていませんでした。。。

あれから35年 もう一度行くことがあるかどうか。

 

翌日 函館駅。

特急北斗3号札幌行。 右の列車は、快速海峡4号青森行です。 北斗3号に乗って札幌に向かいました。

 

最後に 涼しい1枚。 1988年1月の撮影。

真冬の函館駅。 上の写真の海峡4号の停車している4番線での撮影です。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。今回は 北海道に家族旅行に行った時 その隙間に撮影した分です。 36年前になります。

 

まずは 青森駅。

寝台特急ゆうづる3号青森止まり、と 特急はつかり8号盛岡行です。 この時は、ゆうづる3号で青森まで来ました。

 

ホームから撮影した、 青函連絡船メモリアルシップ 八甲田丸。 この1990年7月に改装工事終えて メモリアルシップとしてオープンしたところで 記念の装飾がされていました。

 

側線に止まっていた ED75-766号機。

 

この時は、本当に鉄分の写真が少なく、行程もはっきりしていません。  札幌のテレビ塔に登って1枚だけ。

どの付近かはわかりませんが、 711系の普通電車。

 

この後は 小樽に移動し、手稲駅にあった 小樽交通記念館の写真です。 国鉄時代から 保存されている車両群を少し撮影していました。 

 

複線用ラッセル式除雪車 キ1567。

 

手前が スユニ50-501. 奥の茶色の客車が、オエ60-309かと思われます。右端は、スハフ44。 一番奥の黄色の車両は、ソ34 操重車と呼ばれる 国鉄時代の昭和初期に製造された 線路を走る大型クレーン車だと思われます。 現存するのは この1両だけで現在も保存されいます。

 

キハユニ25-1

 

キロ26-107

 

 DD16-17

 

DD51-615号機。

 

1990年に訪れたときは、 あまり保存状態も良くなく 野晒しに近い状態でしたが 現在は、この保存車両群は、2007年ごろに再整備などがされて 開館した 小樽市総合博物館に展示されています。

 

 
御覧頂きましてありがとうございました。
 

 

皆さんこんにちは。 4回も続いてしまいましたが 今回で終わりです。

 

2005年から 十三駅

普通梅田行

 

その折り返しで

普通雲雀丘花屋敷行 5146F。  もみじの赤が際立つヘッドマークでした。

 

快速急行宝塚行 5132F。 連写しました。

 

豊中駅 2006年。

普通梅田行 5146F。 PITRA ICカード定期券スタート PRヘッドマーク。 今では 当たり前の存在になった ICカードですが、それが始まって まだ20年ほどしか経っていないんですねえ。

 

普通宝塚行 5136F。 現在では、普通宝塚行は 日中ほぼ見ることはできませんね。

 

清荒神駅。

普通梅田行 5132F。 祇園祭ヘッドマーク。

 

川西能勢口駅 2009年。

急行梅田行 5132F。  2006年 過剰気味だった 日中の雲雀丘花屋敷以西の快速急行・普通の運転を 快速急行を急行に格下げ 普通を雲雀丘花屋敷折り返しに変更 特急運転開始前の急行は 豊中・蛍池は 通過でしたが、豊中からは各駅に停車するようになる 現在のパターンになりました。

 

2010年

急行梅田行 5146F。 2010年は 阪急電車が開業100周年でした。

 

2012年

普通宝塚行 5136F。 この普通宝塚行は、平日朝ラッシュ時の列車です。 

 

2014年

普通梅田行 5146F。側面の乗降扉の窓が下方に拡大されています。 2004年に この5146Fが 5100系で初めて 5000系と同等の大規模リニューアルが施行されました。 しかし 5000系とは違って フルマルーンのままだったので 外観上はほぼ変化なしでした。 このリニューアルは、5128Fも施行されていますが、そのほかの編成はされませんでした。

 

十三駅

急行宝塚行 5136F。 この時期には、組成が4+4に戻されていました。

 

岡町駅

普通梅田行 5132F。

 

通勤準急 梅田行 5146F。 

 

通勤準急箕面行 5136F。

宝塚線での 通勤準急という種別は、1997年〜2000年と 2003年〜2015年までの2期間運転されていました。 この写真の通勤準急は 後期の方で 梅田ー箕面間の運転でした。

 

急行宝塚行 5146F。

 

急行宝塚行 5132F。

普通雲雀丘花屋敷行 5146F 。

 

いよいよ大詰めです。梅田駅

回送 5132F。 この写真が、私が撮った8両編成時代の最後となりました。

 

急行梅田行 5146F。 2015年2月の撮影。 この編成は、この2015年の夏に能勢電譲渡に向けた改造工事に入りました。

 

おまけ。 水浴びする5100系。

2015年4月 能勢電5138F。ひと足さきに能勢電デビューしていた 5136F5138Fが、オールドルーキーとして紹介されていた時、レールウェイフェスティバルで洗車体験に使用されている様子です。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

気になる情報が、ネットで 雲雀丘花屋敷の車庫で 5106Fらしき編成が 休車札がつけられていたとか・・・

今年の4月に 5106Fを見かけた時 色褪せ具合が気になっていたんですが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 前回のつづき 2000年代の画像です。 2014年に5136Fが運用を外れて 改造工事に入り2015年に能勢電に移籍しました。 その2015年までを振り返ります。

 

清荒神駅です。

通過する 特急宝塚行 5146F。 淡路花博のヘッドマークです。 2000年6月の撮影。 この6月のダイヤ改正から 日中の宝塚線で 特急が運転開始しました。 停車駅は 十三駅・豊中駅・石橋駅・池田駅・川西能勢口駅・山本駅で 庄内駅と雲雀丘花屋敷駅で 普通宝塚行を追い抜いていました。

 

十三駅

ぶれていますが、臨時特急宝塚行  5146Fです

 

曽根駅

臨時特急梅田行 5146F。 2000年代初めは、春秋の行楽期は、 日中臨時特急の運転が よりしげにありました。

 

石橋駅

臨時特急の並び。

 

臨時特急宝塚行 5146F。この頃の宝塚線は、 箕面 宝塚歌劇 宝塚ファミリーランド 能勢電方面などへの 行楽需要が旺盛にありました。

 

箕面線にて

普通箕面行 5134F。

 

普通石橋行 5132F。2003年1月の撮影 この日も5132Fが分割されて両編成が運用に入っていました。

 

宝塚駅にて

急行梅田行。 洛西口開業記念ヘッドマーク付き。

 

特急梅田行 5136F。 日中の特急は 宝塚ー川西能勢口間は ほぼ空気輸送に近い感じでした。

 

雲雀丘花屋敷駅

急行梅田行 5132F。 

 

 


快速急行 梅田行5146F。 

 

快速急行宝塚行5132F。 

特急の運行は3年ほどで終了 2003年には、蛍池と雲雀丘花屋敷に停車して 快速急行となりました。

 

蛍池駅にて

準急梅田行 5146F。

 

回送。 5132F。

 

すいません 多分続きます。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 前回の続きです。 1990年代になって 字幕改造された後の写真です。 ただ5132Fの写真が少ないので 能勢電移籍前の5136Fと5146Fも加えています。

 

まずは 1990年の冬。

急行宝塚行 5136F。 かなり薄暗いですが、14時頃です。 この日は、ご覧の通り梅田駅でも積雪になりました。

隣の神戸線の車両は、2800系の2882号車が写っていました。

 

別な日 急行宝塚行5146F。

 

池田駅

急行梅田行5136F。

 

石橋駅 ぶれていますが。

急行梅田行 5136F。 後ろから2両めが 5138号車で 5138+5139で2両編成を組んで 10両増結運用者の予備編成となっていました。 この時の5138Fは、 梅田方から Mc-T-T-Mc-T-T-Mc-Mcと 変則編成となっていました。

 

急行梅田行 5136F。 宝塚ファミリーランドで開催の 木下?大サーカスPRマーク付きです。 5136号車の次に 中間車が5両続いてるのがわかります。

 

普通雲雀丘花屋敷行 5132F。 

 

普通宝塚行 5136F。

 

川西能勢口駅

通勤急行雲雀丘花屋敷行 5136F。 現在夕方に復活した通勤急行は、1998年は 朝のラッシュ時に運転されていました。

 

普通曽根行? 5136F。 曽根行ではなく 豊中駅で折り返しの幕回しの途中です。 本当は 普通豊中行を撮っているつもりでした。

 

箕面線。

普通石橋行 5132F。 石橋阪大前駅に改称前の 箕面ー石橋 の字幕です。 この時は、 箕面線専用ではなく 検査代走運用だったと思います。 

 

フイルム時代の写真は以上です。

 

おまけ。 シングルパンタ車ですが。

特急梅田行 5106F。 回送幕に変わってしまっていますが、 宝塚線10両編成特急運用の5100系です。

5100系の10両編成運用には、ダブルパンタの5132F・5136F・5146Fは、 連結器の関係で入ることはありませんでした。

 

次回は、デジカメ時代の2000年代前編の予定です。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 阪急電車の話題が続きますが、 先日 しばらく休車だった 阪急5132Fが廃車となりました。

5100系の後期型? 先頭車に下枠交差型パンタグラフを2台搭載するスタイル人気があった?車両でした。 下枠交差型パンタ2台搭載というと 6000系や7000系がありますが、フルマルーンや 運行標識板仕様などを考慮すると 5100系と京都線5300系だけでした。 京都線5300系と能勢電に移籍した5100系は、今しばらく見られますが、神宝線系統からは消滅したことになります。

 

それにちなんで 過去の写真から 5100系ダブルパンタ車を特集したいと思います。 1999年までのフイルム時代でも20枚以上出てきたので 2回に分けます。

 

一番最初に撮影したのは、1980年代前半 今津線でした。

仁川駅 普通宝塚行 5132F。 この頃今津線には、5104F5130F5132Fの3本の5100系が走っていて その中でダブルパンタの5132Fはお気に入りとなりました。 しかし 中学生だった私には、あまりほとんで撮影機会がありませんでした。

 

今津線での写真は、これ一枚でした。

 

十三駅。

特急須磨浦公園行5132F。  しかし 神戸本線での特急運用では 数枚ありました。

 

夙川駅にて

特急梅田行 5132F。

園田駅にて

特急梅田行 5132F。 この日は、西宮球場で 阪急ブレーブスの日本シリーズの開催日 応援ヘッドマークとの2枚看板でした。

 

6両編成 神戸線時代はこれで終わり。

次は 8両編成となって 宝塚線に移籍しました。

雲雀丘花屋敷えきにて 急行梅田行 5132F。 特急マークも 急行マークも記録。 となると 準急マークも。

 

梅田駅。

準急雲雀丘花屋敷行 5132F。

 

最後は、箕面線にて。

準急箕面行 5132F。

 

準急梅田行 5132F。

 

最後は 石橋駅。

準急雲雀丘花屋敷行 5132F。

 

この日は偶然5132Fの準急運用に当たりました。

 

おまけ 5132Fではありませんが。

臨時特急宝塚行 5146F。 1970年代後半ぐらいの撮影。 「春の臨時特急」となっていました。

 

 

御覧頂きましたありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 今回は、あまりまとまりのない感じの記事です。

先日 今津線方面に出かけた際 この編成が運用に入っていました。

 

普通宝塚行 7003F。 

 

今年の4月

快速神戸三宮行 7003F。 7003Fは、最近、8032Fと組んで8両編成の運用に入っていた編成です。

 

その編成が、6両編成に戻って今津北線の運用に入っていました。

普通宝塚行7003F。

 

宝塚方先頭車の7103号車には、 通勤特急運用時は、女性専用車両のステッカーは ついたままでした。 

 

女性専用車のステッカーがついたままだったので 急遽の代走運用だったかもしれませんが、

 

西宮北口駅で7003Fというと この写真が見つかりました。

1983年ごろの撮影。 普通宝塚行7003F。   1981年に製造された 7003Fは、当初は、6両編成で今津線を走っていました。今津線の冷房化率向上に役立っていました。

 

仁川駅にて。 普通西宮北口行7003F。

 

競馬開催日の臨時運用ではなく 平日朝ラッシュ時に運転されていた、西宮北口ー仁川間の区間普通運用です。

 

その後1986年の園田駅にて。

急行梅田行 7003F。 1984年に中間車2両が増備されて 8良固定編成になっていました。

 

ところで フルマルーンの7000系といえば 復刻編成の7000Fが 現在走っていますが。 そのお姿は、こんな感じですね。

1986年 普通三宮行 7013F。 7013Fから、運転室背後に小窓が設置されて Hマークが小窓上に移設されるようになりました。

 

もう一枚 フルマルーンの7000系の写真を。 1990年の宝塚駅。

急行梅田行7002Fと7018F。高架工事が始まって仮設ホームになった宝塚駅の3号線4号線ホームです。 36年前もこの両編成は 宝塚線を走っていました。

 

さて この両編成ですが、2026年5月池田駅。

急行宝塚行7002F。 7002Fの方は、アイボリーの帯が入っただけで 車番の移設はなく原型のままです。

 

7018Fの方は、

普通雲雀丘花屋敷行 7018F。 改装の際に 車番が移設されました。

 

普通大阪梅田行 7018F。 宝塚ホテル 100周年記念ヘッドマーク付き。 側面にもステッカーが貼ってあります。

 

最後に池田駅にも このポスターが。

来年6月末に 完成予定だそうです。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 5月末の午後に少し時間があったので 1757Fを撮影に行きました。 この時は、前回記事にした 末端区間の新編成導入1周年のことは失念していました。

 

1757Fの運用は、日々公式HPにアップされているので撮影はしやすいですね。

まずは 滝山駅で。  能勢電の各駅には、ほぼ鳥居型の駅名標があります。 各駅の駅名にちなんだイラストも入っています。

 

普通川西能勢口行 5108F。  阪急電車線の方では、5132Fがついに 正雀車庫に回送されてしまい 突然のことで大変ショックなのですが、能勢電の方では、いつまで活躍するのでしょうか。 

 

普通日生中央行 5136F。  5100系は、 5132号車以降製造の 先頭車が パンタグラフ2機搭載になっています。 5132号車と5134号車は 阪急線にずっと残っていましたが、それ以外の車両は 能勢電に譲渡されています。

 

続いて 本命が来ました。

普通川西能勢口行 1757F。 3323Fとともに 最後の菱形パンタグラフ搭載車。 冷房改造当時からのクーラーカバーもこの編成で最後になりますね。

 

Legend と呼ばれるに相応しい編成です。

 

この日も ふおふおふお〜 と コンプレッサーを起動させて発車していきました。

 

1757Fの川西能勢口からの折り返しは、鶯の森駅で。

ホーホケキョ と鳴く イラスト入りです。

 

最新型 7201F 普通川西能勢口行。 

 

普通日生中央行 1757F。 この 行き先と種別が一体となった方向幕車も終わりですね。

 

前後でヘッドマークのデザインは 変わっています。

アップにしました。 イラストの電車は、 左側が能勢電時代の1707号車 そして 右側は 阪急時代の2020号車になっていました。

 

できる限り 訪れたいと思います。

 

のせでん1DAYパスの PRポスター。

 

御覧頂きましてありがとうございました。