皆さんこんにちは。 西鹿児島で一泊した次の日は、 撮り鉄をしつつ 帰途につきました。

 

特急にちりん26号 博多行です。 485系RED  EXPRESS6両編成 デザインは ともかく 赤一色の485系もかっこいいですね。 先頭は改造車の クモハ485-8です。

 

後は、 クロ480-4 こちらも中間車からの改造です。

 

にちりん26号は 西鹿児島を7時10分発車 宮崎9時23分 延岡10時29分 大分12時33分 小倉14時16分 終点博多には15時15分に到着しました。  日中に8時間ほどかけて走る長距離特急でした。  当時は、博多ー西鹿児島間の特急にちりん号は 全部で4往復走っていました。  

 

と この時 背後で ドーン と音がしたと思います。 あまり聞こえた記憶はないのですが。

振り返ると 桜島が噴火していました。

この後は、787系特急つばめ4号で熊本に向かいました、熊本まで2時間半 途中ビュッフェにも行ったように思うのですが、混雑していてすぐに引き返したと思います。

 

熊本駅にて。 当時は、国鉄時代の雰囲気たっぷりの地上駅でした。

豊肥本線 普通1737D 宮地行です。

 

青い キハ58。 宮崎にあった フェニックスリゾート シーガイアのPR塗装  急行 えびの・くまがわ用気動車でした。 座席は リクライニングシートに換装されており 急行の間合い運用の乗り得鈍行ですね。 しかし、塗装と車内は改装されていても 行き先や種別案内は 昔のままの サボを使っていました。

 

回送列車。先頭はキハ47-1126 となっています。 左奥にブルートレインが 写っています。 寝台特急はやぶさの基本編成です ロビーカーが写っていました。  この時は、将来寝台特急がなくなるとは思ってもいなかったので まともに撮っていませんでした。

 

特急 有明14号博多行 783系と回送キハ47。 この旅の前半で撮った 783系特急かもめは 登場当時の塗装でしたが、この特急有明号用の783系は、銀色の塗装に塗り替えられていました。 この特急有明14号は、水前寺始発で、まだ現在と違って 豊肥本線電化前なので水前寺ー熊本間はDE10牽引の普通(客車列車??)として運転されていました。 当時の私は反対側に行って DE10を撮るという考えは思い浮かばなかったようです。

 

地平駅時代の熊本駅西側には、熊本機関区がありました。

キハ52-1132。 キハ52と言えば、まだ観光列車が走る前 このキハ52で矢岳峠を越えたことがあります。

 

キハ52の後には ジョイフルトレインの アクアプレスが留置されていました。 1988年頃 アクアエクスプレスは、博多近郊の香椎線の観光客輸送のイメージアップのためにキハ58系から改造されました。 この1992年からは、熊本に移動して 晩年は、急行くまがわ で活躍したらしいです。 後の緑色のタンクは SL時代の給水塔です。

 

シーガイア色のキハ65。

 

その奥には、煉瓦造りの古い機関庫があり キハ47が顔を出していました。

現在は、この辺りは 新幹線のホームになっているのでしょうか。

 

キハ31系の普通531D三角行です。 キハ31は、国鉄末期に 九州地区のみに投入された、軽量ステンレス車体の気動車で 車内は0系新幹線の廃車発生品の転換シートとなっていました。 車体長が17mで、他の車両より短いのが特徴でした。同時期には、北海道や四国地区のキハ54が製造されています。

 

この後 発車直前の特急有明14号に乗って 鳥栖駅に移動。

到着して すぐに反対方面からやって来た 特急かもめ11号長崎行です。

 

赤いかもめ号の後に、色どり鮮やかな 特急ハウステンボス7号ハウステンボス行が併結されており

 

最後に 特急みどり7号佐世保行が併結されていました。

特急みどりなのに 赤い車体の485系でしたが 専用のロゴの入った 485系4両編成が使用されています。

 

編成全体が入っていませんが、特急かもめ11号長崎行 特急ハウステンボス7号ハウステンボス行 特急みどり7号佐世保行と 肥前山口まで3本の特急併結 485系13両編成の多層立て特急でした。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 前回では、一旦西鹿児島駅まで戻り 数枚撮影して昼食をとってから 特急つばめ14号に乗り 阿久根駅で普通電車に乗り換えて 東シナ海を望める 牛ノ浜駅に来ました。

撮影地ガイドを参考に 鹿児島本線と東シナ海が俯瞰できる場所に。

 

連写しました。

牛ノ浜駅を通過して 西鹿児島に向かう 下り寝台特急はやぶさ号です。 東京駅を昨夜の18時16分発車、19時間30分ほどかかって 牛ノ浜駅を通過。終点西鹿児島まではあと1時間半ほどでした。

 

特急つばめ11号西鹿児島行。 次の列車のことも考えて 駅近くの踏切付近で撮影。

車体は陰になってしまいましたが、海を背景に走る787系を撮れました。

 

その次の列車。

上り寝台特急はやぶさ 東京行。 先ほど撮影した 下りはやぶさと1回目の行き違いをして これから20時間近くかけて東京に向かいました。

 

上り「はやぶさ」を牛ノ浜駅で待ち合わせていた 下り貨物列車。牽引機はED76-58号機でした。

 

牛ノ浜駅ホームから臨んだ海。

海岸線の絶景に魅かれて シャッターを押しました。 牛ノ浜駅から 鹿児島方面になります。 線路は左端の白い建物付近を通って行きます。

これで 牛ノ浜駅を離れてしまうのですが、今思うと もう少し粘ってもよかったのになあと。。。。

しかし、 もう1箇所訪れたい場所がありました。

牛ノ浜駅からは、今度は、普通電車のみで 西鹿児島駅に戻りました。

特急つばめ24号門司港行です。グリーン車 グリーン個室 ビュッフェ車などを連結した9両編成で 門司港まで所要時間5時間10分でした。

 

指宿枕崎線 快速なのはな14号です。25分停車のち 日豊本線 普通列車国分行になりました。

この1994年の時点で 九州新幹線の乗り入れに対応した 新駅舎への改良工事が始まっていたようです。

ちょうどこの辺りが新幹線ホームの下になる感じでしょうか。

 

475系は 鹿児島本線上り普通電車の出水行です。 赤いキハ200と白い475系の並びです。

 

普通444D国分行きです。 当時も 鹿児島本線川内駅~西鹿児島駅~日豊本線国分駅まで、終日20分〜30分に1本の普通列車が運転されていました。

この列車に乗って 西鹿児島から3駅目の重富駅まで行って すぐに折り返して 竜ヶ水駅に行きました。

普通446D宮崎行。 

 

竜ヶ水災害復旧記念碑。 ここを訪れた前年の1993年の夏に 鹿児島県地方を記録的な集中豪雨が襲い この竜ヶ水駅付近では、大規模な土石流が発生、駅で抑止されていた 上下の普通列車が直撃を受けました。 しかし、乗務員の機転で 先に乗客全員は列車から脱出していて難を逃れました。 

多分 2000年代にテレビの 九死に一生スペシャルなどの特番で再現ドラマとして放送されて みられた方もいるのでは?

この石碑に使われている石は、土石流の中から取り出したもので 土台が9トン 石碑が5トンあるそうです。

 

この付近から 日豊本線は、桜島を海越しに眺める 眺望のよい区間なんですが、 海と反対側は ほぼ断崖に近い地形で、土砂災害の多い区間だったようです。

竜ヶ水駅ホームから見た、 錦江湾と桜島。 この日は 空気も澄んだ快晴の日でした。

 

この日は、西鹿児島駅前のホテルに泊まりました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 肥前大浦駅から 長崎駅に移動して 長崎ちゃんぽんなどを食べて 深夜の博多駅に戻りました。

 

この日の宿は、 特急ドリームつばめ グリーン車を奮発しました。 新型787系使用列車で グリーン車は 1+2の3列シートでした。  ですので A 席は1人掛け、 結構満席に近かったのですが、快適に過ごせたように思います。

 

終点の西鹿児島に6時5分の到着でした。  西鹿児島駅からは すぐに折り返し熊本行き普通電車に乗って 薩摩高城駅で降りました。  東シナ海をバックに撮れる 有名撮影地付近?を訪れました。

特急つばめ1号 西鹿児島(現 鹿児島中央)行です。 当時のつばめ1号は 熊本7時始発の列車で783系使用でした。 鹿児島本線系統で使用の783系は、先頭車付近も赤帯です。

 特急つばめ6号 博多行です。

 鹿児島本線の特急列車は、西鹿児島行きは、この787系登場の1992年から 特急つばめ号に改称。 熊本・水前寺行きが 特急有明号と区別されていました。

そして この787系は つばめ型特急電車とも呼ばれていました。 ロゴマークも入って ビュッフェ車も連結して 485系特急が主力の関西圏の私にとっては、かなり羨ましい特急電車でした。 この旅でも ワイド周遊券を使っていましたので可能な限り乗っていました。 ただ ビュッフェはあまり利用した記憶はないのですが  確か いつも混雑していたかと。

 

783系 787系と 続いて 最後はこの列車。

寝台特急 なは 西鹿児島行(現在の鹿児島中央)です。  当時の寝台特急なは号は 西鹿児島まで走る基本編成に 座席指定車 B1B2の個室寝台車も含まれていました。新大阪を20時26分発 西鹿児島には10時31分の到着でした。現在では 始発の九州新幹線みずほ号に乗ると 新大阪6時 鹿児島中央には9時46分に着いてしまいます。 いかに 新幹線が早過ぎるか分かりますね。

 

さて 「なは」号を撮影した後は、次の撮影地に移動のために駅に戻りました。

薩摩高城駅で 交換する上下の普通電車。 でか目の475系元急行型電車が南九州地区ローカル輸送の主力でした。 私は左側の普通2125M西鹿児島行きに乗りました。 その後は川内駅で2125Mを降りて 特急つばめ3号に乗り換えて 西鹿児島まで30分の特急旅。ワイド周遊券を存分に活用しました。

 

西鹿児島駅にて。 おそらく 今しか知らない方だと どこの駅?になるのかも。

快速錦江8号 宮崎行です。 西鹿児島ー宮崎間の都市間連絡急行だった列車を 車両はそのままに快速に格下げしましたが、愛称はそのまま引き継がれ 桜島の噴火をモチーフにしたヘッドマークがつきました。 その後は、現在の特急 きりしまに昇進しました。

 

先頭のクハ455-606。  475系を普通電車に転用する短編成化の際に不足する先頭車の埋め合わせに 中間グリーン車を改造して誕生した車両で、 写真の606号車は なんと 直流急行型のサロ165からの改造です。 座席は、出入り口付近はロングシート。中間は、元のリクライニングシートを、向かい合わせに固定した状態になっていました。

リクライニングはしないようになっていましたが 普通のボックスシートよりは 乗り得車輌でした。

 

少しぼろぼろ感のでた キハ58系の724号車。 指宿枕崎線普通列車の山川行です。 当時の普通列車に運用されていた JR九州のキハ58系は 車内外とも結構老朽化が激しかったような気がします。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 1994年の写真から 過去に記事にしておりますが、九州旅行の時に訪れた時の写真です。

 

最初の一枚は、寝台特急。

日豊本線 臼杵駅。寝台特急富士 南宮崎行きです。

時刻は10時15分ごろ待避線となる3番線に停車中です。ここで 特急にちりん5号に追い抜かれ 同時に上り普通5520M杵築行との行き違い待ち合わせ中でした。

 

この時の旅行は仕事終了後直接 大阪駅から23時55分発の「富士」号に乗りました。  食堂車は 残念ながら前年に営業終了して売店として営業していたようです。 大分までは、B寝台1人用個室ソロに乗り 大分からはB寝台の昼寝で南宮崎に向かいました。 なぜかというと 食堂車やA個室B個室寝台車ロビーカー連結の基本編成は大分止まりで 南宮崎へはB寝台2段式のみ4両をつないだローカル特急となっていました。

 7時22分に門司着、そこから6時間かけて13時35分に南宮崎に到着しました。大阪を日付の変わる直前の深夜に乗っても12時間以上もB寝台車に乗っていられるという時代でした。

 

その時の寝台券はもらい忘れたのですが、

マルス発券の 九州ワイド周遊券B券がありました。

 

その後 2泊3日の家族旅行の後 単独で撮り鉄行動に向かいました。

 

特急かもめ15号長崎行です。

 

場所は、肥前田浦駅から 駅前の道を北の方に歩いたところです。

車両は、485系5両編成で RED EXPRESS編成です。 この頃のJR九州の特急の半分?は、赤い485系が占めていました。

 

この後 もう少し北に移動し 長崎本線を俯瞰できる場所に出ました。

特急かもめ22号 博多行です。画面左上の方向に走っています。

 

続いて。

特急かもめ19号長崎行きです。

現在は、西九州新幹線が開業して特急の運転がなくなってしまった区間ですが、 かつては485系REDEXPRESSを中心に30分間隔で 「特急かもめ」 が運転されていました。 駅間の場所によっては 上下の「かもめ」で15分に一回撮影チャンスがありました。

 

特急かもめ21号 長崎行です。 783系ハイパーサルーン使用のかもめ号でした。 783系は、1988年登場で JR九州だけでなく JRグループ初の新型車両となりました。 

 特急かもめ号に運用されていた783系は、かもめ号専用編成で先頭車の運転室側の帯が青色になっていました。

 

特急かもめ20号 博多行です。 後追いだったんで 油断していて走行音で気付いた時には 目前に来ていて 編成全体を入れる事が出来ませんでした。。。

 

当時の特急かもめ号は、 肥前山口(現在の江北)まで 佐世保行特急みどり号と併結運転する系統と 特急かもめ号単独で 博多ー長崎間運転の系統と1時間に各1本 合わせて30分間隔で運転されていました。 併結運転の 特急かもめは、基本的に485系5両編成。  単独運転の特急かもめ号は、787系783系や485系の7両編成が使用されていました。

この頃の787系は 特急かもめ号では5往復に運用されていて 787系の特徴だった ビュフェも営業していました。 後から4両目が ビュッフェ車のサハシ787でした。

 

駅への帰り道。

特急かもめ22号 博多行です。

かもめ22号は 肥前山口で 特急みどりと併結されて 485系の9両編成で博多に向かっていました。

 

まだ 陽が高かったので もう少し撮影できたのでしょうが、この後も何箇所かいく予定で フイルムの在庫も乏しく 引き上げました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 今回は、1994年に戻り 塚本駅での撮影 後編になります。

 

普通新三田行です。 JR東西線開業前の1994年、JR宝塚線への普通列車は、日中は15分間隔 大阪ー新三田間での運転でした。 使用車両は、 写真の113系湘南色の4両編成の他に 113系800番台 黄色の103系 JR宝塚線専用の207系4両編成で運用されていました。

 

快速大阪行です。 篠山口からの列車。

 

特急はまかぜ4号大阪行です。 米子10時5分発 大阪15時36分着の長距離特急でした。

 

普通高槻行。 207系も走り始めた時だったので珍しい存在でした。

 

新快速姫路行です。 日中の運転パターンは、ほぼ現在と同じ15分間隔 新快速1本快速1本 普通2本で

普通のうち1本が西明石行 1本が神戸行でした。

 

快速米原行。 113系もまだまだ現役。

 

特急北近畿12号新大阪行です。

 

普通西明石行です。 JRでビーチへ。須磨海水浴場のPRです。

 

新快速姫路行。 223系が新快速にデビューしたのが1995年。 この1994年は、221系が一番新快速で活躍していた時期でしたね。

 

普通大阪行です。 JR宝塚線の電車です。 207系の4両編成も今となっては 貴重ですねえ。

 

快速長浜行です。 221系も8両編成は、新快速 6両編成が快速で運用されていました。

 

快速篠山口行です。 新快速からは ほぼ外れていましたが、JR宝塚線 快速では 主力だった117系です。

 

この日の最後は 大阪駅で。 雑誌の運用情報で知りました。


117系岡山車 快速サンライナー塗装車です。 ヘッドマークにもありますが、夏の高校野球岡山県代表の関西高校の応援列車として運転されました。 

背後に阪急17番街のビルが写っているので 大阪駅だとわかってもらえますでしょうか?

右の113系は、新三田行の普通電車です。

岡山には何回か行っているのですが、117系もこのサンライナー色にも出会っていませんでした。  

 

最後に103系を一枚。普通天王寺行です。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 さあ いよいよ 廃線跡ハイキングコースの 『入り口』に向かいます。

 

温泉橋付近の案内板。 おっと 350m進むのに記事一回分使ってしまった。。。 

 

進行方向。

 

温泉橋バス停。 駅から バスで来ることもできます 😀

 

そのバス停付近に自販機があります。 武田尾駅で気軽に水分補給できるのは、この自販機と駅にあった自販機だけのようです。

 

その後の建物は、『ひなったぼっこ』さん。 Googleマップの検索では、 アイスクリーム中心のカフェだそうです。 土日祝日に営業しているようです。

 

その先に 左に曲がっていく県道と正面に赤い祠が見えてきました。

 

左手2車線の道路が、宝塚市西畑地区へ向かう県道 バスもこの道を行きます。 車で武田尾駅に来る場合は、この道から来ることになります。

 

武田尾稲荷神社。 かなり歴史のある石碑と石の柵 と 柱のない石灯籠。それと不釣り合いな綺麗に整備された敷地 鳥居 社。 ネットで検索していたら 2014年の台風による土石流で被災 その後に再建されたそうです。 

 

社の横は 武田尾公園。 トイレがあります。

 

武田尾駅側から来た場合 最後の公衆トイレになります。 次は、生瀬側ハイキングコース入り口付近にある 工事現場によくある仮設トイレまでありません。

 

そのトイレの横のこの橋を渡ります。

 

ここからが 廃線敷ハイキングコースのスタートです。 

 

注意事項。 万が一 事故があった場合 すぐには助けは来ません。武田尾駅付近に消防署などはなく、このハイキングコースの入り口まで 来るだけでも30分ほどかかるのではないでしょうか。

 

すぐに 武庫川が見えるようになりました。

危険・転落注意。 コース沿いの柵は、少なくとも40年以上前 列車が走っていた頃からあると思います。

 

 

ここで一度来た方向を振り返りました。

温泉橋と水道管、JR宝塚線の鉄橋が見えました。 生瀬方向から登ってくると最後に見える景色になりますね。

 

柵だけ新しくなった 小さい鉄橋。

 

その橋を渡ったところが少し開けていて 休憩スペースになっいます。

 

もう少し進んでみます。

トンネルが見えてきました。

 

長尾山第三トンネル。 全長91m。 

この区間が開業したのは、今から127年前の 1899年、阪鶴鉄道という私鉄が開通させたそうです。 その後1907年に国有化されました。

時刻は 夕方の16時半ごろ。 当初は 入り口付近までと思っていたので 懐中電灯も持っていなく ここで引き返すことにしました。

 

トンネルの向こうに続く 廃線敷。この付近で武庫川は、右に大きくカーブして 南下していきます。

 

武田尾駅に戻ります。

コース沿いの木。 根っこが枕木を持ち上げていました。 ということは 廃線後40年で 育ったということですね。

 

途中でつまづいた 埋められたレール。 何のためにあるのか見当もつきませんでした。 気になる方一度探してみてください。

 

コース入り口の橋は 鉄道橋に似たガーター橋。

この辺りは、台風被害のあったところ 両岸の補強工事が完了後にかけられたようです。

公園まで戻ってきました。

 

正面に立つ建物は、「畑熊商店」さん。 猪肉や 鹿肉などのジビエ料理を提供する食堂です。

屋内とテラス席があり コース料理から一品料理 アイスにソフトドリンクとメニュー豊富な食事処みたいです。

 

河川敷までは降りられませんが、階段上に広場になっていました。

 

帰りは 県道ではなく川沿いの道を歩きました。

 

温泉橋。 最大限雑炊した時は、橋の欄干付近まで来たようです。

 

321系が見えてきました。  4扉通勤型電車が走るような場所ではありませんねえ。

 

駅まで戻ってきました。 武田尾駅に着いて 第3トンネルまで行って戻ってくるまで 1時間弱の散歩でした。

 

お帰りは 「うれしート」は いかがでしょうか?

 

完。

 

長々と御覧頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 廃線敷の入り口に向かいます。

 

さくらの名所 たけだお 案内図。  詳しくは分かりませんが、ずいぶん昔から さくらの名所として知られていたようです。

 

駅前の案内棒。 桜の園 えきらく山荘で検索してみたください。

 

ホームからも見えていた 水道橋。

 

神戸市水道局 管理用地。 上ヶ原浄水事務所が連絡先とのこと。 宝塚市と西宮市の中に神戸市の施設が。。。

この武田尾駅の次の駅 道場駅は 神戸市北区になります。 その道場駅の近くに千刈ダムというダムがあり そこで貯められた水が この水道管を通り 阪急甲東園駅が最寄りの関西学院大学の近くにある 上ヶ原浄水場まで運ばれています。 1900年代の半ばに完成していたので 福知山線の列車もこの下を走っていたことでしょう。

 

振り返ると 武田尾駅はこんな感じ。 将来は エレベーターのタワーが立ちます。

 

さくらの名所ということもあってか さくらの種類が掛けられていました。

 

駅からゆっくり歩いて5分ほどで 少し開けてきて 定期駐車場が見えてきました。 多分 この付近からが旧武田尾駅跡になるかと思います。

 

車で武田尾に来ると こちら側が玄関口になります。 トイレと歓迎武田尾温泉と書かれた看板の橋があります。

 

福知山線が新線に切り替わるまで武田尾温泉に行くには ここで川を渡って 右折して向かっていました。

そして この付近が 旧武田尾駅の駅舎があった付近だと思います。

 

橋を渡ってみました。 欄干の低いかなり古い橋です。

対岸に渡りました。

 

対岸から 旧武田尾駅方向。 

 

駅前の看板にもあった 温泉橋でした。

 

昭和9年(1934年)2月に完成したようです。

 

 

武田尾温泉方向の道。 新線が開業後 旧線路跡が道になってからは あまり利用されなくなったのか かなり荒れてきていました。

 

上の写真の真ん中付近に見えた看板まで来ました。 名塩 と書いてあります。

 

この対岸の急峻な山を登って よみうりカントリークラブのふちをぐるっと回って クラブハウス付近までのハイキング道の入り口でした。

 

道が雑草で覆われて あまり歩く人がいないような 歩くにはかなり勇気がいる感じでした。

 

温泉橋から見た 武田尾駅。

 

望遠で。 普通新三田行 321系。 大阪から40分のところです。

 

温泉橋から見た 東方向。画面の右端が廃線敷入り口になります。

 

すいません 続きます。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 武田尾駅にきました。

 

区間快速大阪行。(2月に撮影)武田尾駅もトンネルとトンネルに挟まれた駅で トンネルの外の部分は武庫川の上にかかっています。

 

ホームの三田方6両分ほどは完全にトンネルの中。青信号の右横には、トンネルの出口が見えています。

 

大阪方。(2月に撮影) このトンネルの向こうが 西宮名塩駅。そして正面の山の上には、ゴルフ場の よみうりカントリークラブが広がっています。

 

今回は駅の東側に向かいます。(2月に撮影)

駅の西側の模様の記事は こちらから

 

 

階段の途中から 改札口を見ました。 武田尾駅は無人駅です。

 

ICカード対応の簡易改札機。 入出場のICカードタッチと磁気乗車券にも対応しています。

 

簡易券売機が一台。

 

改札横には、簡易レストスペース。

自動販売機が一台あります。

 

時刻表。 秘境感たっぷりの無人駅ですが、 大阪近郊なので 終日1時間に3~4本の電車が発着します。

 

駅トイレ。しかし このトイレ 近々取り壊されるようです。 

なぜかというと

4月より バリアフリー対応工事が開始。 上下ホームとを結ぶエレベーターを設置し それに合わせて 多機能トイレの設置及び 改札口周りのリニューアルがなされるようです。

 

武庫川の上流方向 駅西側には、武田尾温泉があります。 現在営業しているのは、張り紙が開いてある 「別庭 あざれ」さんと 「元湯」さんだけ見たいです。

 

 

元湯さんのHP
http://www.motoyu.com

 

今回は こちらと反対側に向かいます。

正面の自動車が止まっているところが バスロータリー。

 

宝塚市北部西谷地区とを結んでいます。 ただし 利用客が少なくなり 赤字路線のために 来年2027年3月末で阪急バスからは廃止になると発表されており、その後の代替え交通手段について協議中とのことです。

 

宝塚市西谷地区観光案内板。  バスでは行けませんが、新名神高速道路 宝塚北ICは 自動車で5分のところになります。

 

では 舗装された 旧線路跡を通って ハイキングコースの方に向かいます。

 

つづく

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 以前に冬の武田尾駅の模様をお届けしましたが、 今回は、初夏になりましたが、駅の東側 廃線跡ハイキングコースの入り口の方を 散策してきました。

 

と その前に 武田尾駅の一つ大阪より 西宮名塩駅から。

駅名標 西宮名塩駅もトンネルとトンネルに挟まれた駅になります。

上りホームの三田方から宝塚方面を撮影。この写真は2月に撮影。 奥にトンネル。その手前に橋上駅舎。線路上の高架道路は、国道176号線から駅前広場を通って 斜行エレベーターで有名な名塩ニュータウンの東山台方面へ向かう道路です。 右手茶色の建物は、西宮市塩瀬支所です。その向こうに国道176号線と中国自動車道が通っています。

 

反対方向 このトンネルの向こうが武田尾駅です。

 

西宮名塩駅のホームは8両編成対応ですが、トンネルの中にあと2両分ほど延長できるスペースが確保されています。

ホームから見えていた 高架道路から撮影。普通高槻行の321系。 ホームは、名塩川を跨いで設置されています。この名塩川は、武庫川の支流で 廃線跡ハイキングコースの南側入り口付近で武庫川と合流しています。

 

改札口。有人のみどりの窓口がありましたが、廃止されてしまいました。

 

そのかわりに 係員と交信できる みどりの券売機プラスと 定期券の買える桃色の自動券売機が追加されました。

改札口向かいにあった セブンイレブンキオスクも閉店してしまいました。

食料の確保などは、駅東側すぐのスーパーで買えます。 但し開店時間は9時30分です。

 

 

 

改札口正面には、パンフレットが用意してあります。

 

パンフレットを拡大したポスターもあります。

廃線跡への入り口には、武田尾駅からが一番近くなります。 西宮名塩駅 生瀬駅からは 国道176号線の歩道を歩いていくことになります。 交通量が多いので排気ガスが気になるかも。

入り口付近に 木ノ元(このもと)バス停がありますが、 これは 阪急宝塚駅前から 生瀬駅付近を通って 西宮名塩駅を経由 有馬温泉方面に向かう 阪急バスです。 日中は1時間に1本しかないので あまりおすすめはできません。

 

普通新三田行です。

 

区間快速新三田行。 武田尾駅には、日中運転の区間快速か、普通電車しか止まりません。

 

つづく。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。  前回の続きになります。 湯尾駅付近での撮影後 長浜行普通電車に乗り 長浜で新快速、大阪駅で普通に乗り換えて塚本駅まで戻ってきました。

 

新快速姫路行です。 221系8両編成。 関西空港開業 特急はるかデビュー PRヘッドマーク付です。

当時の新快速は、221系オンリーで 日中は8両編成が主流でした。

 

 

快速を追いかけてきた 普通西明石行です。こちらも関西空港開業記念ヘッドマーク付です。

 

上り列車線を 大阪方面に向かう 12系客車です。 たぶん 団体列車だったと思います。 

この頃でも オール12系の編成は希少だったと思います。 

 

快速長浜行です。  ヘッドマークは 「平安遷都1200年祭PR」 1994年は 平安京が出来てから1200年目に当ったらしく、その記念イベントが京都で行われていたのを PRしたヘッドマークです。

 

快速福知山行です。 こちらは、但馬四季彩94 PRヘッドマーク付です。  但馬地方で 半年間開催された ミニ博覧会のPRみたいです。

 

特急雷鳥31号の 送り込み回送です。

 

特急スーパー雷鳥4号の入庫回送です。 確か 先頭車は 元特急くろしお号の短編成化増発時の改造車で クハ481-801です。 貫通扉に平面特急マークが特徴でした。 

 

普通高槻行、関西空港マーク付です。207系6両編成です。

JR京都・神戸線系統に207系が投入されたのが この1994年で 当初は、6両+2両の8両編成となっていました。 日中は6両編成で走り ラッシュ時に8両編成となっていました。

この編成で運用されていたのは、1997年3月のJR東西線開業前までで、それ以降は、7両編成に統一されました。

 

205系の普通西明石行です。

広島県で開催されていた、 「第12回アジア競技大会広島1994」のPRヘッドマークがついていました。 ポッポ&クックというマスコットが描かれています。

 

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