それでも野球が好きだった。 | スポーツ障害 運動療法専門施設 麻生スポーツ理学センター

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ってお決まり説明ですが、日々蛇足を書き綴るブログです。w

選手の気持ちに寄り添えぬ者など指導者とは言えぬ。

 

それでも野球が好きだった。
http://www.kakio.com/archives/2018/05/25-0845_journal.php

 

子供の頃、両親はずっと共働きで、それでも家庭は裕福ではなかった。 今考えればかなりの我がままだったのだが、友だちのユニフォーム姿がカッコよく見え、親に頼みこんで小4からリトルリーグに入れてもらった。

 

過去にも幾度となく書いたが、オヤジに蹴られながら小一から毎朝走らされ、そのお陰で足も速く体力も人一倍あった。 当然チームでも飛んでも投げても走ってもそれなりに優秀。 だが試合に出るのは他の友だちで、みな親が毎週グランドに来ている奴ら中心。 常にそれを横目に腐って練習。 そして態度はどんどん悪くなり、さらに試合からは遠ざかるという悪循環...

 

当然野球は旨くならず。 ある時ピッチャーをやってる友だちに「どうしたらコントロール良く投げれるの?」と尋ねたら、その彼は丁寧にボールの握り方と、最後までキャッチャーのミットから目を離しちゃダメだよと教えてくれた。 その通りに投げてみると、今まで経験した事が無いくらい、ボールは速く真っすぐ飛んで行った。 その感触は今でも忘れない。

 

だがコーチや監督は一度たりともそのように教えてくれた事は無かった。

 

そしていつの日にか野球が嫌いになり、やめる最後の日を数えるようになった。

 

中学生になり、リトルやってたなら一緒に野球部入ろうと友だちに言われ、野球部に入部した。 きっとあれは自分のリトルが悪かったんだと思い入部したが、それは淡い期待で終わり、そして皆でつるんで野球部を辞めてしまった。 根性が無いと言えばその一言で終わりなダメ自分な話し。 だがその頃から指導って何だ?!と考えるようになった。

 

指示するだけではインストラクションでインストラクター。 真の指導とは程遠い。 筋肉つけて鍛えて、プラスプチうんちく。 そんなの指導者でもトレーナーでもナンでも無い。 単なる好きで始めて商売にした人。

 

その気持ちは自分に一番向き合っているのか、選手に一番向き合っているのか。 これ以上、いろんな事故やトラブルに繋がりませんように。