続・ウメハラの言葉に本当に価値はあるのか? | 朝岡プロのブログ

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前回の追記で、結論としてウメハラの勝負論なるものは、エンターテイメントとしての価値はあるかもしれないが実用性としての価値は無い。

と付け加えたら、「そんなんいまさら言わんでもプロ野球の長嶋さん」
というコメントをいただいた。

たしかに、長嶋茂雄の勝負論という本が出てもエメターテイメントマックスで実用性は皆無だろうね。

ただ、私が長嶋さんやウメハラのことを好きなのは、おそらく彼らは勝つだけじゃなくてプロなら魅せてナンボということをわかっているプレイヤーだから。

麻雀の小島武夫がよく桜井章一を批判するんときに言うのが「強いのはいいけどさ、それを宗教にして嘘言って金もうけしちゃいけないよね」という言葉。

そんな小島武夫は、大会とかで、「絶対勝ちます」とかの類のセリフを期待されてアナウンサーに「自信は?」と聞かれて毎回答えるのが
「短期の勝負事なんてしょせん運だから、絶対勝つとはいえませんけど、見ている人が楽しめる麻雀を精一杯うちます」

というもの。彼が桜井章一を凌ぐはスターになれなかったのは、このことを正直に言っちゃうからじゃないかな。


長嶋にしてもそうだけど、ウメハラよりも強いプレイヤーなんていると思う。

でも、小汚いオタやおっさんがそのバージョンの強いキャラ使ってガチで勝ってるとこを金出して見たいと思う人はいないよね。

だからそいつが10の強さだとしたら、ウメハラな8とか美人の女ゲーマーとかなら5でも、その10を凌ぐ商品価値がある。

だからメディアも意図的にそいつが人気が出るようにする。
「ウメハラ準決勝で負けたよー」「へえー、優勝は?」「知らん」
とか
「浅尾美和また残念また三位」「優勝は?」「なんか知らんけどベテランの人」とかね。


もちろんその10の強さの人本人に悪気は無いだろうし、本物の強さというものにも美しさがあるのは認める。

よく切れる刀みたいにね。

でも1万円と100万円のワインの差。10万円と1000万円のヴァイオリンの差が分かる人は10人に一人もいないんだよね。

それよりも「ボジョレヌーボー」とか「ストラディバリウス」という名前を宣伝して売ったほうが、売れるんだ。


最近、格闘ゲーム以外の世界でもこの傾向はよく見られて

麻雀なら二階堂姉妹とかビーチクバレーなら浅尾美和とか男子ゴルフより女子ゴルフとかね。

汚らしいオッサンやオバハンにガチで勝たれても、ギャラリーは金落とさないんだよね。

そして、娯楽が人間の生きるためには本来不必要である以上、なんとかして魅せて金を落とさせる必要があるんだろうね。