昨日は「自然派四柱推命上級講座」と「月一勉強会」の日……

 毎日、こうして大好きな四柱推命と関わって過ごせることに、本当に感謝しています。

 

 よく、四柱推命のことを統計学だという方がいらっしゃいますが、僕は四柱推命を統計学だとは思っていませんし、そもそも言葉の定義からして、四柱推命と統計学とは別物です。

 

 まあ、統計学ということにしておいた方が、一般の人に受け入れてもらいやすい風潮があるように思いますが、僕からしたら、その呼び方で呼んでしまうと、逆に四柱推命の本当の価値がわからなくなってしまうように感じるんですよ。

 

 だいたい、本当に統計学ではありませんし(笑)

 

 四柱推命の真骨頂は、命式を大自然にあてはめて見ていくという所にあります。

 

 この前のブログで、ペイントソフトで僕が描いた下手な焚木(ふんぼく)の絵を紹介しましたが(2024/6/7ブログ「四柱推命は大自然の摂理」参照)、翌日に開催した2週間前の上級講座で焚木のことを解説し、偶然に1週間前のOnline中級講座でも、この焚木の命式についての質問を受けて解説しました。

 

 そして、昨日の月一勉強会でも、焚木の命式についてのお題が出てきました。

 ここの所どういう訳か、一週間おきに焚木の命式について解説していますね。

 

 焚木とは、日主が甲・乙で、火の五行がものすごく強い命式のことを言います。

 

 講座の中で、焚木の命式を取り上げる度に、焚木の人の性格の特徴を説明するのですが、やっぱり当たっていると言われます。

 

 その命式の人の性格をうまく説明しようと思ったら、自然の象意を思い浮かべればいいんですね。

 

 例えばですが、水が無くてカラカラに乾いてしまっている植物をイメージして、その植物の気持ちになりきってみるなら、その形の命式の人の性質を言い当てることができます。

 

 もちろん、性格を言い当てることなんかはどうでも良くて、本当に大切なのは、その人が人生を切り開くための処方箋を知ることです。

 

 例えばですけど、土の五行がものすごく強くて、流れがせき止められて濁っている水(壬・癸)が日主の命式であったなら、庚・辛の金の五行で土の濁りを解いて、次に水の五行を補って、水の流れを作り出すようにします。

 

 自然をイメージして思い浮かべると、自ずと解決策が分かったりするんですね。

 

 この大自然の処方というのが、その人が運を切り開くためのヒントになる訳で、四柱推命の中で最も重要な部分ですが、もしも「四柱推命は統計学だ」と言ってしまうと、こういった一番大切な部分の説明ができなくなってしまいます。

 

 大自然の処方箋が、統計によって割り出されるなどということは、ありえませんから……

 

 むしろ「四柱推命は占いだ」とストレートに言い切ってしまった方が、言葉に説得力が出ます。

 

 とはいえ、僕もこの四柱推命というものを、単に「占い」のカテゴリーに押し込めてしまうのは、過小評価のような気がしています。

 

 だからといって、短絡的に「四柱推命は科学だ」などと言うつもりもありませんが……

 

 最近はむしろ、この四柱推命の土台を成り立たせている東洋の陰陽五行思想を、さらに深く探究していく必要があるのではないかと、思い始めています。

 

 これは単に、古い文献に記されている、過去の人々が陰陽五行をどう認識していたのかという歴史的観点からだけではなく、さらに応用的な観点からです。

 

 この分野を深めていけばいくほどに、四柱推命が自然哲学と呼ばれる理由がより明確になるでしょうし、一見、無関係のように思われる物理学や自然科学、もしかしたら人類や地球の歴史なんかとも、陰陽五行がつながっている可能性さえある気がしているんです。

 

 一度に答えを知るのは難しいでしょうけれど、この分野の探究をするのは、夢とロマンがありますね。

 

 これから一生を掛けて、少しずつ少しずつ取り組んでいけたらなあと、思っています。