脳天大神龍王院からの階段を、月美結貴さんと共に上がって、蔵王堂までたどり着いた時には、二人ともすっかり息が上がってしまい、ゼイゼイしていました。

 

 大峯千日回峰行の阿闍梨(あじゃり)になるには、まだまだ程遠いようです。

         いや、絶対になれないから(笑)

 

 これから向かう予定の吉野神宮は、ここからかなり離れた所にあるのですが、バスは土日だけで、平日は通っていません。

 

 月美さんがタクシー会社に電話して調べてくれたのですが、どのタクシーも満席で出払っていて、送迎をするのは無理だとのことでした。

 

 蔵王堂から吉野神宮まで、距離にすると2.5kmなんですね。

 ただし、歩くのは起伏が激しい山道ですから、普通に街中を歩くのとは事情が違います。      

 

 そう考えると、千日回峰行の行者というのは、毎日毎日48kmの山道を草履で歩き続ける訳ですから、想像を絶する苦行だということがわかります。

 

 とはいえ我々は一般人ですし、たかだか450段の階段だけで、息が上がってしまうほどです。

 

 月美さんが道沿いで、あゆとあまごの塩焼きの露店をやっているおじさんに、本当に吉野神宮まで歩いていけるものなのかどうかを、聞いてくれました。

 

 おじさんの答えは「吉野神宮まで歩くって?  いや、絶対にやめた方がいい。危険だから」というもの……

 

 二人でしばしの間、どうしようか悩みました。

 

 あゆの塩焼きのおじさんは止めたけれど、昨日は「吉野神宮までなら、バスを使わなくたって歩けるよ」と言ってくれた人もいたんです。

 

 せっかく吉野神宮に行ける場所に来ている訳ですから、僕はやはり行くべきだと思い、計画を断行することを月美さんに提案しました。

 

 毎日48km歩く千日回峰行の行者だって、我々と同じ人間なんですから、たかだか2.5kmぐらい歩けない訳がありません(笑)

 

 

 

 ということで、千里の道も一歩からですね(^^)

 

 千日回峰行の行者が歩くのは、こんなアスファルトで舗装されている道ではなく、そのほとんどが獣道(けものみち)です。

 

 最初はどうして、おじさんが危険だと言ったのか、理由が分かりませんでした。

 

 すると、歩いている僕らの横を、車がビューンと通過していったのです。

 

 この道、歩道がちゃんと整備されていないんですね。

 なるほど、これは危険です(笑)

 

 とはいえ、それほど車が頻繁に通る訳ではないので、気をつけていれば大丈夫そうです。

 

 

 

 それに、この道沿いの緑の木々が美しいというか、本当に癒されます。

 

 時折、うぐいすが「ホーッ ホケキョ♪」とか鳴くんですね。

 

 都会に住んでいると、こんな素敵な光景は絶対に味わえません。

 

 歩くこと50分ぐらいでしょうか……

 

 

 

 ついに、吉野神宮にたどり着きました!!

 

 上り下りの坂があると言っても、圧倒的に下り坂の方が多かったので、想像していたよりもはるかに楽でした。

 

 ……ということは、帰り道がキツいのだと思います(笑)

 

 吉野神宮は、後醍醐天皇が御祭神の神社です。

 

 

 

 クリスタルな折り鶴に彩られたお手水に、癒されました。

 

 やっぱり、優雅な後醍醐天皇のお宮だけあって、何もかもが雅(みやび)です。

 

 建武の新政を断行し、鎌倉幕府から政権を取り戻したまでは良かったものの、やがて武家の御家人を味方につけた足利尊氏によって、後醍醐天皇はこの吉野の地に追われてしまいました。

 

 

 

 神宮の中の空気はすごく濃くて、後醍醐天皇の生涯がしっかりと刻まれているような、気骨のある心地良い空間でした。

 

 月美さんも、吉野神宮に祭られている後醍醐天皇の大ファンで、 かなり長い時間、二人で吉野神宮の境内で過ごしました。

 

 さあ、これから蔵王堂までまた歩くのか…… と思っていたら、月美さんがタクシー会社に電話して、なんとタクシーを一台調達してくれました。

 

 ちょうどタイミングよく、たった一台だけ空いたのだそうです。

 

 少し前まで「満席で送迎はできない」と断られていたのに、本当に奇跡です。

 

 もしかしたら、後醍醐天皇が我々のために奇跡を起こしてくれたのかも知れません。

 

 ということで、タクシーに乗って、あっという間に蔵王堂へたどり着きました。

 

 行きの道は下りの道が多かった分、帰りの道を2.5km歩くのは、相当大変だったはずです。

 本当、感謝しかないですね。

 

 

 

 お腹がすいたので、吉野名物葛うどんをいただきました(^^)

 

 時間に余裕ができたので、もう一度、金峯山寺蔵王堂を拝観して回ることにしました。

 

 あの緑のチケットを持っていれば、ありがたいことに何度でも中に入れます。

 

 蔵王堂の三体の金剛蔵王大権現の前に、それぞれ小さな障子のブースが設けられていて、参拝したい人はそのブースに入って、人目を気にすることなく、心ゆくまで参拝させていただけます。

 

 ブースに案内してくださる年配の男性がとても優しくて、改めて何て素敵な空間なのだろうと思いました。

 

 三体の金剛蔵王大権現の周りには、数多くの貴重な仏像が安置されています。

 薬師如来像や聖徳太子像…… 中でも、やはり迫力があるのは、巨大な蔵王権現立像でしょうか。 

 

 金峯山寺は、神仏習合のお寺……

 

 

 

 こちらは、蔵王堂の前にある威徳天満宮(いとく てんまんぐう)です。

 

 修験僧・日蔵が菅原道真を祀った社ですが、現在の社殿は豊臣秀頼が改修したものです。

 

 あの当時、徳川家康は秀頼に、父(秀吉)の菩提をとむらう為にと、さかんに寺社の造営・修復を勧めていましたから……

 

 お寺の中に神社があるというのは、現代からするととても奇妙な感じですが、神仏習合の昔は普通のことでした。

 

 蔵王堂の裏には本地堂という新設されたお堂があって、そこには、元のお姿の(憤怒の相ではなくて、優しいお顔の)釈迦如来様・千手観世音菩様・弥勒菩薩様が安置されていました。

 

 こちらは本当に柔和なお顔で、金色に光り輝いていました。

 撮影禁止なので、ご紹介できないのが少し残念ですが……

 

 月美さんと一体ずつ参拝していると、そこに金峯山寺のご住職が現れて、読経と法話が始まりました。

 

 元々のお姿の仏様も、役行者がお祈りしてお出ましになられた憤怒の相の三体の仏様も、仏像そのものは単に物でしかない……

 けれども、仏様というのは物ではなく、例え自分が仏像の前にいなくても、意識して助けを求めれば、時間を超越してどこへでもすぐにいらしてくださる。

 だから、この人生の中で、自分の心が怒りや不安などといった感情に囚われて、身動きができなくなった時には、いつでも蔵王権現様をお呼びしたら、すぐにいらしてくださいます。

 

 そんな感じの素晴らしい法話でした。

 

 

 

 こちらは、聖仏舎利宝殿(せいぶっしゃりほうでん)……

 

 仏舎利(ぶっしゃり)と呼ばれるお釈迦様の米粒大のお骨が安置されていて、その仏舎利は、昭和42年にインド政府から贈呈されたものだそうです。

 

 月美さんから教わった話ですが、お釈迦様のお骨は仏法を象徴するものということで、仏法を信じる人たちに細かく分けられて持ち運ばれ、やがて代替わりして子孫が増えるたびに、さらに細かく分けられて、最後は米粒大の大きさになってしまったそうです。

 

 とはいえ、今現在世界中に散らばっている仏舎利の数を計算すると、その仏舎利が全て本物のお釈迦様の骨だと仮定するなら、実在していたお釈迦様の体の大きさは、超巨大な巨人になってしまうそうです。

 

 ご飯のことをよく「シャリ」とか言いますけど、その呼び方の由来は、そういうことだったのですね。

 

 金峯山寺は、本当に見どころだらけで、どれだけ時間があっても足りないほどです。

 

 ちなみに僕が一番、見入ってしまったのは、蔵王院に安置されていた天海僧正の像……

 

 慈眼大師と呼ばれた家康の参謀の天海僧正ですが、本当に優しそうなお顔で、ずっと像のお顔を見つめている内に、いつしか時間を忘れてしまい、月美さんとはぐれてしまいました(笑)

 

 ふと気がついてみると、とんでもない時間になっていました。

 

 月美さんから「今から、𠮷水神社に参拝してしまうと、帰りのモノレールに乗る時間に間に合わなくなる可能性が高い」と告げられて、またしても、自分の時間配分の悪さに反省させられました。

 

 この後に予定が詰まっていなければ、このままここに滞在すれば良いだけの話ですが、日曜日(4月28日)には自然派四柱推命の中級講座と月一Zoom勉強会が控えています。

 

 一体どうしたら良いものかと、頭を抱えました…… このお話の続きは、また明日のブログに続きます(^^;;