台風1号の影響か、外は湿った風がふきずさんでいます。
今年の梅雨入りも、もうすぐですね。
ジメジメとして湿った空気は、普通の人はあんまり好きではないと思うのですが、僕はなぜかノスタルジックな気持ちになって、幸せに満たされます。
雨上がりの太陽だったり、天気雨だったり、さりげない自然にふれていると、その場所がたとえ新宿の高層ビル街のど真ん中でも、何だか心地よく感じたりします。
あとは、お布団で横になること……
今の僕にとって、これほど至福の喜びはないです。
この喜びは、眠いのを我慢して仕事や勉強を頑張った人へのご褒美ではないかと思いますね(笑)
人間が感じる幸せというのは案外、相対的なものだったりします。
毎日たっぷり眠ることができる人は、布団で横になって寝ることなんて別に嬉しいことでも何でもないと思いますし……
何百億の資産家になってしまったら、多少のお金をもらってもあまり嬉しくなくなってしまうでしょうし、ありあまるお金で豪遊をし尽くしても、最初は楽しいかも知れませんが、その内に空しくなってしまうのではないかと思います。
だから必ずしも、世界の億万長者が幸せであるとは限らないんですね。
使い切れないほどのお金がある大富豪でも、悩みがつきなくて不幸な人はたくさんいます。
結局の所、幸せというのは、自分の心が決めるのだと思います。
荘子(そうじ)の斉物論に「朝三暮四」という格言が出てきます。
猿の飼い主が、飼っている猿たちにいつもあげてる餌の分量を減らして「朝にとちの実を三つ、夕方に四つあげよう」と言ったら猿たちが激怒したので、「それでは、朝に四つ、夕方三つにしよう」と言ったら、猿たちは大喜びしたというお話があるんです。
結局は同じことなのに目先の餌につられて一喜一憂する猿たちに、人間の性をなぞらえた格言ですが、我々も時々、ここに出てくる猿たちとよく似たことをしていたりします。
特に所有欲に振り回されて生きると、こういったことが起こりやすくなる気がしますね。
もちろん、欲があることは人間が健全である証ですし、所有欲そのものが悪い訳ではありませんが、これは自分のものだとか、そうではないとか、境界線をひいてあまりに相対的にしてしまうと、どんどん苦しくなっていきます。
猿たちの一喜一憂と同じで、そういったこと自体が、実態を持たないことのように感じることがあるんですよ。
究極を言えば、自分の体だって、本当に自分のものだと言えるかどうか怪しいです。
どのみち百年後には、この自分の体だと思っている有機体は、この世には存在しない訳ですし……
だから、二年前に全ての財産がなくなった時には、本当に苦しかったですけど、今ではあの経験が宝物のように思えてなりません。
こうして奇跡が重なって元の状態に戻れたから、そんなことを言っていられるだけで、そうじゃなかったら、未だに恨みの世界の幻の中をさまよっていた可能性がないとは言い切れませんけど……
でも、あの経験をしたことで確信を持って言えることがあります。
それは、お金とか所有物とか名誉とかいったものは、確かに幸せになるための一つの手段ではあるとは思うのですが、決して未来永劫に続く幸せを保証してくれるものではないということです。
むしろ、それにしがみつくことによって、人というものは不幸になってしまいかねない……
二年前の僕が不幸だったのは、僕自身がそれまでずっと自分の所有物だと思い込んでいたものにしがみついて、心ががんじがらめに縛られていたからです。
もちろん、お金そのものは決して悪ではないし、たくさんあればあるほど良いに決まっています。
問題になってくるのは、そこに過度に意識が行き過ぎて、周りの人の気持ちすら感じられなくなってしまうことではないかと思うんですね。
「人の気持ちなんか考えていたら、お金は手に入らない」などと言っている人がいますが、それは完全に間違った価値観です。
その価値観のまま生きていれば、人はみんな離れていくし、やがて誰からも相手にされなくなるでしょう。
どんなにそのスタイルでお金を貯め込むことができたとしても、心が幸せに満たされることはないと思いますね。
それに経営者として大成功している人に話を聞くと、そういったやり方で一時的に財産を築き上げた人はいるものの、やがて周囲からつまはじきにされて、そういう会社は必ず倒産してしまうと言います。
僕は、本当に心を満たしてくれる幸せというのは、それとは反対側にあると思うんですよ。
もちろん「みんなの人気者でいられること」とか、「たくさんの人から尊敬されること」とか、そういったことでもありません。
そういったものも永遠に続くものではないし、むしろお金よりも早く、消えてなくなってしまうと思います。
それでは、本当に心を満たしてくれる幸せは何なのかと問われたなら、今の僕なら「みんなと一緒に感じられる幸せ」と答えますかね。
なんだそりゃ…… って思われるかも知れませんけど(笑)
自分の中のいらないものを全て手放した時、ほんの一瞬だけ感じられる至福感のようなものがあるんですよ。
その感覚はほんの一瞬しか持続できなくて、すぐにわからなくなってしまうのですけど……
あえてその感覚に近いものは何かといえば、雨上がりの太陽だったり、天気雨だったり、湿った空気が肌に触れる心地良さだったりします。
何となく、心の奥のうんと深い所で、全ての人と一緒に、そんな幸せを感じているような気がするんですね。
幸せは心が決める……
そして誰もが、その至福の幸せにたどり着くことができる…… そう確信を持って感じるんですね。