誕生日を迎えたというのに、バタバタと慌ただしく過ごしていて、まるで実感がないです。

 

 たくさんのお誕生日メッセージ、本当にありがとうございます。

 僕自身がちゃんと人の誕生日のお祝いやご挨拶もできていないという状態で、少し心苦しくもあります。

 

 でも、たくさんのお世話になった方から、久しぶりに連絡をいただけたりして、とても嬉しかったです。

 

 開運方位を使って仙台に引っ越された「十干十二支気学」の笹木龍一先生は、もう十年以上のつき合いの盟友ですが、お気遣いいただき本当に感謝です。

 

 そして、高天麗舟先生、小田原の朱紅先生、Iさん、Kさん、Mさん、Yさん、Oさん、Aさん、モスクワの木下順介先生、本当にありがとうございました。

   携帯ろくに見てなくて、すっかり返信遅くなりました……

 

 こうやってご縁のあるたくさんの人と一緒になって、大好きな占いの世界をやりたい放題に突き詰めていけることを、心から感謝しています。

 

 「四柱推命な日常が聞こえる」のちぐささんのご主人は、予備校の先生のキャリアと四柱推命の知識を生かして、受験生を抱える家族のために、受験推命なるプロジェクトを始めたのですが、夫婦そろっての四柱推命のコアなファンで、その探究に余念がありません。

 

 そして、僕の誕生日である4月17日に、ある素晴らしい企画を立ち上げられていました。

 

 そのプロジェクトとは「四柱推命で@zoom井戸端会議」という、流派を問わない四柱推命の座談会……

 

 いろんな異なる流派の四柱推命ファンが、一同にZoomに集まって井戸端会議をするという、夢のような企画です。

 

 僕が「六十干支講座」のテキストの発送に時間を追われて、死にもの狂いで100問テストの問題を作成していたちょうどその頃、その四柱推命のZoom井戸端会議は、開催されていたんですね!!

 

 その話を、ちぐささんからメールでお聞きして、僕は最高の誕生日プレゼントを受け取ったように感じました。

 

 というのは、そういった流派の垣根を超えた四柱推命の研究というのは、僕の将来的に実現させたい夢の一つでもあったんです。

 

 とはいえ、これは簡単なようで簡単なことではないんですよ。

 

 流派が違うということは、根本的に四柱推命のとらえ方が違うという訳で、話し合いに参加する人の性格にもよると思うのですが、口論に発展する可能性も否定できません。

 

 四柱推命に限らず、東洋の占術界において、複数の流派が存在し、その考え方が全く異なるといったことは良くあります。

 

 例えば姓名判断もそうなのですが、流派によって、特定の漢字の画数の数え方が異なったりします。

 

 その結果、ある名前が一方の流派では大吉なのに、他方の流派では凶になってしまうということは、良くあることです。

 

 こうなってしまうと、自分の考え方を強く主張したところで、考え方の違う流派の人に受け入れられることは絶対にありませんし、話し合いをどんなに深めたところで結局は平行線のまま、やたらと疲れる時間を過ごすことになります。

 

 かと言ってずっと黙ったまま、考え方の違う流派に自分を合わせて話を聞き続けるのも、ストレスが溜まるだけですし……

 

 姓名判断のように、白黒をはっきりさせないと先に進めない占術は特にそうですが、結局最後は、感情論になってしまうと思うんですね。

 

 でも、四柱推命には、どの流派でも共通している認識というものがありますから、こういった流派を超えた研究で得られるものはたくさんあるはずです。

 

 蔵干の取り方とか、干合や支合のとらえ方とか、いろいろな認識の違いはありますが、例えば「子」という十二支を、水以外の五行に当てはめるような流派は一つもないと思うんです。

 

 「四柱推命で最も重要なことは五行である」という認識も、ほとんどの流派の根底にあります。

 

 だから、細かい枝葉末節に囚われて、そこで白黒をハッキリさせようとしなければ、お互いに発展の余地は十分にあるはずです。

 

 僕は、命式の五行をとらえる際に、もちろん自分の基準とするものはないといけないとは思いますし、誤解される言い方かも知れませんが、一つの命式の五行バランスに複数のとらえ方が合って、両方正解ということはあると思っているんです。

 

 もちろん、理論上絶対にありえないようなとらえ方は論外ですが、そこに何らかの考え方の軸があるならば、その複数の五行バランスの認識がそれぞれに正しいということだって、存在すると思うんですよ。

 

 三次元の立体の事物を視覚でとらえる時に、どちらからその事物を見てとらえるかによって、全く別のものに見えるのと、同じことだと思うんですね。

 

 現在開催している自然派四柱推命の講座でそんな話をしていたら、ある受講生の方から、子平館の梅川泰輝先生も僕と全く同じような認識を持っているというお話をお聞きしました。

 

 そんな時には優しい声で、「どっちも正解」とおっしゃるのだそうです。

 

 そのことをお聞きして、僕は梅川先生の考え方にとても共感を持ちました。

 

 正解は絶対的に一つでコレなんだ…… とやっている内は、根本が自然哲学である四柱推命の真髄には絶対にたどり着けないと思うんですよ。

 

 もちろん、真髄などというものに到達すること自体、人間である限り不可能ではあるのですが、少しでもそれに近づいていくためには、様々な考え方の良い部分を受け入れて、それを吸収していくという姿勢が大切になってくるはずです。

 

 流派の垣根をこえて……

 

 様々な考え方の流派が手を取り合って、さらにこの四柱推命という素晴らしい学問が発展していく、そんな素敵な時代が来る予感を、今ひしひしと感じています。