土日の2日間の四柱推命講座と、月一四柱推命勉強会を終えて、気を失うようにぐっすりと眠り、いつものように月曜日の爽やかな朝を迎える……

 このパターンが、毎週のルーティンのようになってしまいました。

 

 大好きな四柱推命の研究に思う存分に没頭する毎日をこうして過ごせることを、心から感謝しています。

 

 勉強会のスライドの記述に致命的なミスがあったり、届いているメールを読んでいなかったりと、時折どうしょうもないミスを繰り返す自分が嫌になったりもしますが、そんな自分もありのまま、開き直ることなく反省しつつも、受け入れていこうと思います。

 

 目は覚めたのに、頭がぼーっとしているので、気合いを入れようと下の自販機でオロナミンCを買って飲んでみました。

 

 めちゃくちゃ元気になりました!!

 

 まあ、別にオロナミンCにそこまでのすごい成分は入っていないと思うし、単なる気のせいですよね。

 一緒のゲン担ぎのようなものだと思いますが、110円でできるなら、安いものです。

 

 テーブルの上にある、先日Hさんから頂いた「みんなの暦 運命の明鑑」と、Yさんからニシーネ スペースのオープン日に頂いた卓上胡蝶蘭……

 

 

 オープンの日からもう5ヶ月が過ぎるというのに、Yさんから頂いた胡蝶蘭は、ずっと花を咲かせてくれています。

 

 Hさんから頂いた「運命の明鑑」を、なにげなくパラパラとめくってみました。

 

 僕は、たくさんの万年暦の中で、この増井佐羊子さんの万年暦が、一番しっくりと手になじむというか、気に入っています。

 色が緑だからとか、そういう理由でなくてですよ(笑)

 

 何というか、この暦には細部にわたっていろんな配慮がされているというか、本当にこだわりを持って作っている、というのが、伝わってくるんですね。

 

 ずっと続いている悠久の時の中で、我々はたまたまこの時代に生を受けて、ここにいる訳ですけれど、暦をめくっているとそんなことを実感したりします。

 

 僕がまだ生まれていない時代も、時は続いているし、僕が居なくなってしまった時代も、やっぱり時は続いていくんですね。

 胡蝶蘭の花が、たまたま今この時に生を受けて、そしていずれは枯れていくように……

 

 僕自身、両親はすでに他界していますし、近しかった人も何人か、亡くなりました。

 

 だから、近しい人を失う悲しみなんかも、それなりに体験していて、身近な人が亡くなったという話を聞くと、例えそれが人のことであっても、いたたまれない気持ちになったりします。

 

 人は誰しもいつかは死ぬ…… とは頭ではわかっているし、おそらく肉体がなくなっても魂は永遠に残っているであろう、とは思うのですが、そんな時、何とも言えない寂しさを感じたりしますね。

 

 でも逆に言うと、我々が今、ここに生きているということが、何物にも代えがたい、すごい奇跡だということだと思います。

 

 悠久の時の中で、たまたまこの時代の時の狭間に舞い降りて、100年ほどの間こうして生を受けて、この場所に存在することができるのですから。

 

 生と死と時の狭間で……

 

 このたかだか100年あまりの軌跡を、思う存分、楽しんでみたいと思います。