昨日は、僕にとって今年の最後の鑑定日……

 

 8月22日にニシーネ スペースを開店させて、4ヶ月ちょっとの間でしたが、素敵なお客様をたくさん鑑定させていただく機会に恵まれました。

 

 こうやって今年、再び鑑定を始めることができたことを、心から感謝しています。

 

 このニシーネ スペースの今年最後のお客様は、プロの四柱推命鑑定師でもある、しょうこさんでした。

 

 しょうこさんはインスタグラムインターネットラジオなどを通し、四柱推命の鑑定だけでなく、講師としても活躍していて、その腕前はすでに50名以上の受講生を教えているほどです。

 

 実を言いますと、しょうこさんは、僕のサロン ド シルフィーユ時代の四柱推命講座を受講してくださっているんです。

 

 とはいえ、全てZoom講座だったので、お会いするのは昨日が初めてでした。

 

 実際にお会いするのは初めてでしたけど、これまでにZoomで何度もお話ししているので、あんまり初めてという感じはしなかったですね。

 

 しょうこさんと忌憚なく、四柱推命のお話をしながら感じたのは、しょうこさんの実践鑑定に基づいた経験と知識からくる、確かな実力でした。

 

 そして、しょうこさんの見解は、僕が持っていた見解と見事に一致していました。

 

 例えば、庚(かのえ)という日主は「鉄塊」の象意で、鍛えられれば鍛えられるほどに強くなる名刀であり、自ら苦労にぶつかっていくような気概を持ったたくましい星…… と通常は解釈されるのですが、あんまり若者でそういった感じの人は見たことがない…… と、しょうこさんは言われるんですね。

 

 これ、本当にそうなんです。

 確かに、昭和の高度成長期時代をかけ抜けた世代の人ですと、自ら苦労にぶつかっていくような、たくましい「庚」の人は結構いたりします。

 でも、今の若者の「庚」で、そういうタイプというのは、ほとんどいないのではないかと僕も思います。

 

 とはいえ若者の「庚」の人にも、庚の独特の芯の強さというか、こだわりのようなものは、ちゃんと存在しています。

 

 少しだけ専門的な話になりますけど、昔は、身旺の庚の用神法といえば、甲(偏財)と丁(正官)で、焚き木と火で鉄塊を精錬していくのが定石でした。

 

 でも、今はどちらかというと、身旺の「庚」は、社会運のポジションに「丁」があったり、元から火の五行がある程度強かったりしない限り、鍛えたりはしないで、壬(食神)と甲(偏財)で日本庭園の置き石みたいに、ありのままの良さを活かしていった方が、案外良かったりします。

 

 こういった例を「庚」だけに限らず、しょうこさんとたくさん共有しながら、改めて納得することができました。

 

 身旺の命式を中和に持っていくのに、今の現代では、どちらかというと「官」で剋すよりも「食傷」で漏らした方が良かったりすることも多いです。

 

 もちろんこれはケースバイケースなので、命式を見た上で、その方の現在の状況をお聞きしなければ、何とも言えませんが、四柱推命学が成立した頃とは違って、現在はもう、正官という星がもっとも高貴とされるような時代では、なくなってしまっていると思うんです。

 

 星の読み方をその時代の認識と一致させると、四柱推命は良く当たるし面白い…… もちろん、本当に大事なことは、当てることではなく、その人の人生をさらに良くするために活かすことであることは、言うまでもありませんが。

 

 しょうこさんと積もる四柱推命のお話をしていたら、楽しすぎて、あっという間に時が過ぎてしまいました。

 

 時代とともに、星の読み方も変わる……

 

 現代においてはもう、昔の原書に書いてあることに忠実に従っているだけでは、実践の鑑定の場に通用しなかったりします。

 

 だいたい中国の四柱推命の原書自体にも、さまざまな時代に書かれたものが存在していて、その時代によって大きく内容が変化していたりしますから……

 

 今年最後のニシーネ スペースでの鑑定で、改めて大切なことを再認識させていただきました。