今もこの場所で眠り続ける、衆生の救済を願うお大師様の温かい気に包まれながら、いよいよ奥の院を後にします。

 

 小さなお堂に収められている、片手で持ちあげられたら願いが叶うと言われる「みろく石」に手で触れてから、最初の橋である「御廟橋(ごびょうばし)」を渡り、戦国武将たちが眠っている墓石群が立ち並ぶ長い道を歩いていきます。

 

 ここは長い日本の歴史が物語る場所…… 日本の歴史が好きな人には、たまらない場所でしょうね。

 特にマニアックな歴史好きには……

 

 織田信長供養塔、脇坂家墓所(関ヶ原で家康方につき、所領安堵された脇坂家)、筒井順慶墓所(「洞ケ峠(ほらがとうげ)を決め込む」という日和見主義の語源を作った人)、豊臣家墓所、松平家墓所、結城秀康(家康の次男)石廟・於万の方(家康の側室で秀康の母)石廟、法然上人供養塔と続きます。

 

 法然上人は浄土宗を立てた人で、真言宗の高野山からすれば「他宗派」ですが、普通に供養塔がある所がすごいです。

 宗旨宗派を問わないというか、そういったものを超えてしまっているのでしょう。

 

 その後には、浅野家の供養塔が続きます。

 いきなり何で浅野家…… と思われそうですが、時は元禄時代…… そのころ一番世間をにぎわせたのは、浅野内匠頭の切腹と、大石内蔵助を筆頭とする赤穂浪士の吉良邸への討ち入りでした。

 

 浅野内匠頭は何もあんな場所で刀を抜かなくても、子孫がお家断絶になって困らないような別のやり方はなかったのかなあ…… などと思うのですが……

 まあ、僕が言うのは、余計なお世話ですよね。

 

 言い伝えられているその人の歴史を振り返りながら、一つ一つの墓所を丁寧にお参りしていると、かなりの時間が掛かってしまいます。

 

 さらに、加賀前田家墓所、久松松平家墓所(家康の母・於大の方の子の松平家)とあり、この奥の院のお墓の中で最も大きな墓所であるお江の方(お市の方の三女で、徳川秀忠正室・家光の母)の墓所がありました。

 

  

 

 それぞれの故人の一般的に歴史で知られている生涯を思い出しながら、祈りを捧げました。

 

 そこから少し先に行くと、長州毛利家墓所、信州真田家墓所と続きます。

 いや…… これ、全部書ききれないですね(笑)

 

 その墓石群を越えた所には、衆生の身代わりとなって責め苦を受けているお地蔵様と伝えられる「汗かき地蔵」、井戸をのぞいて自分の姿が水に映らなければ三年以内の命と言われる「姿見の井戸」がありました。

 

 ちゃんと井戸に姿は映りました。

 少なくとも、まだ三年以上は生きられると思います(笑)

 

 そして、二番目の橋である「中の橋」を渡ります。

 

 この後も墓石群は続くのですが、比較的知名度のある戦国武将だけをピックアップすると、Nさんお気に入りの武将・本多忠勝(徳川四天王)、柴田勝家、庄内藩酒井家(徳川四天王・酒井忠次の子孫)、石田三成、明智光秀(石田三成公の墓所の隣りにあったようなのですが、見落としてしまい拝めませんでした)、薩摩島津家、鳥取池田家(家康の婿・池田輝政の子孫)、伊達政宗、榊原康政(徳川四天王)、岩国吉川家(吉川広家の子孫)、上杉謙信、武田信玄、武田勝頼、徳川頼宣(家康の十男・紀州家)、小田原北条家…… などです。

 

 月美結貴さんさんから「ここには何基ぐらいの墓石がると思いますか?」と聞かれて、僕は「一万基ぐらい」と答えたのですが、なんと正解は「見えるものだけでも二十万基~三十万基、地面に埋もれてしまった石を合わせたら、百万基ほどある」とのこと……

 

 まさに、驚きの墓石の数です。

 

 墓石群の道を通り抜けて、最後の橋である「奥の院一の橋」を渡ると、観光案内所や建物が立ち並ぶ場所にたどり着きました。

 

 それでですね…… お墓を拝んでいる時には、気づかなかったのですけど……

 

 実は、二日酔いのように頭がくらくらして、すごく気分が悪いのです(笑)

 

 月美さんは、墓石はパワーが強すぎて、あんまりそばまで近づけないとおっしゃっていました。

 ところが僕は鈍感だから、僧侶でもないのに、一つ一つの墓石の前で感情移入して拝んでいたのですから、無理もありません。

 

 僕のことを心配してくださった月美さんの提案で、前日にも参拝させていただいた壇上伽藍(だんじょうがらん)に、もう一度行ってみることにしました。

 

 壇上伽藍の根本大塔にある、巨大な大日如来と金剛界四仏のパワーはものすごいですし、あそこには、弘法大師を高野山に導いた丹生都比売(にうつひめ)と高野明神(こうやみょうじん)の神様もいらっしゃいます。

 

 早速バスに乗り込んで「金堂前」まで行き、壇上伽藍へと向かいました。

 

 

 

 丹生都比売が祀られている丹生明神社に手を合わせていると、気分が悪いのが少しずつ収まってきました。

 高野山というのは、祓いの力も強いです。

 

 ここには、三社の神社が立ち並んでいて、一番右が丹生津比売が祀られている「丹生明神社(一の宮)」、真ん中の神社が狩人姿で弘法大師を山に案内したという丹生都比売の子・高野大神が祀られている「高野明神社(二の宮)」、左側が十二王子百二十番神を祀られている「総社(三の宮)」とのことです。

 

 

 

 これは、六角経堂というお堂で、これを時計回りに一周させると「一切経」を読経した功徳が得られるとのこと……

 でも、基壇の軸の部分が壊れてしまっているとのことで、回すことができませんでした。

 

 修理が終わったころに、またこの場所に来させていただきたいです。

 

 この後、根本大塔に参拝させていただきました。

 そしていよいよ、高野山での旅も最終段階へと近づいてきました。