今日の東京は、どんよりとした曇り空が広がっています。

 

 それにしても、昨日のブログの「グリーン」の記事をまとめるのは大変でした。

 僕自身が、グリーンの考え方に染まっている人間だから、きっと簡単に書けるだろうと書き始めてみたのですが、半日近く時間を掛けても、文章が一向にまとまらないんですね。

 何というか、これまで気づかなかった自分自身の思考の限界や矛盾点があぶりだされて、いてもたってもいられないような感じになりました。

 

 書いている途中で、今書いているこの内容は、オレンジの考え方の人からは「きれいごとを言う偽善者だ」と思われるだろうな…… とか、アンバーの考え方の人からは「ずいぶんと身勝手な人だ」と思われるだろうな…… とか、いろんな思いがよぎったりして、さらに、もしかするとオレンジやアンバーの人が主張していることこそが正しいことかも知れない…… などという思考が浮かんだら、頭がショートして、そこから文章が進まなくなってしまいました。

 

 でも、そのおかげで、本当にたくさんの気づきが得ることもできました。

 この気づきがなかったら、今日のブログの記事を、ちゃんと書き始められなかったと思います。

 

 さてさて、今日のブログは、グローイング・アップの第7段階「ティール」についてです。

 

 ティールという色がどんな色なのか、僕も最初は良くわかっていなかったのですが、日本語に訳すと「鴨の羽色」となり、ちょうど「青緑」に相当する色のようです。

 

 元々のダイナミクス・ドミナントでは、この第7段階は「イエロー」と呼んでいましたが、ケン・ウィルバーはこの第7段階の色にティールをあてはめています。

 

 これまでに見てきたインフラレッドからグリーンまでの6つの段階は「第一層」と呼ばれるものですが、このティールと次回にご紹介する「ターコイズ」の2つの段階は「第二層」と呼ばれています。

 

 ケン・ウィルバーは第一層と第二層の違いについて、次のように説明します。

 

 この区別は、マズローが「欠乏欲求」と「存在欲求」という言葉で表現した区別と同じであり、それぞれ、第一層と第二層に対応しています。

 第一層の段階では、部分的で、視野が狭く、排他的で、お互いに孤立しており、その主な動機は、不足や欠乏の感覚です。

 それに対して、第二層の段階は、包括的で、インクルーシブで、統合的であり、豊かさや充足の感覚に基づいて活動します。

 歴史上、このような意識が大規模に出現したことは一度もありません。現在でもなお、こうした意識は珍しいものであり、今日、統合的段階の意識に到達しているのは、世界人口の5%程度であると推計されます。

 しかし、この段階に位置する人々は、大変革をもたらす人なのです。

(ケン・ウィルバー著 門林奨訳「インテグラル理論を体感する」より)

 

 ダイナミクス・スパイラルの発案者のクレア・グレイプスは、この第二層の出現のことを「極めて重大な飛躍」であると延べ、「そこでは、信じられないほどの大きな意味の隔たりが超えられる」と言います。

 

 「ティール組織」という組織のスタイルをご存じの方は、結構いらっしゃることと思います。

 

 ティール組織を提唱したフレドリック・ラルーは、このケン・ウィルバーの理論を元にして、組織のフェーズを五段階に分けて捉えました。

(レッド組織・アンバー組織・オレンジ組織・グリーン組織・ティール組織)

 

 ティール組織のその大きな特徴は、全ての意志決定が、そこに所属するメンバー一人一人に委ねられている所です。

 ティール組織では、リーダーに相当する人は、メンバーを管理したり指示を出したりするのではなく、ただその聞き役に徹します。

 

 とはいえ、最初からそういった組織を作ろうとして、できるものではありません。

 ティール組織とは、組織が必要なものを組み込んで、その結果生まれた組織だと言えます。

 

 ティールという段階が、これまでの第一層の6つの段階と決定的に違うのは、これまでの第一層の全ての段階の考えを包括しているという点だと思います。

 

 基本的に、第一層の6つの段階(インフラレッド・マゼンタ・レッド・アンバー・オレンジ・グリーン)は、他の段階が持つ考え方に対して否定的です。

 

 自分よりも下位の段階に対しては、見下しがちになりますし、自分の段階よりも上位の段階に関しては、その本質が全く理解できず、取り違えてしまいます。

 ことグリーンの段階に至っては、その特有の平等思考から、段階というものに上位とか下位とかという概念を作ることに対しても、不信感を抱きかねません。

 

 ところが、ティールの段階になると、そういったグリーンの独善的な平等思考からも解放されます。

 なぜなら、ティールは全体が見えているので、本当の意味で、段階の序列の必要性を知っているからとも言えるでしょう。

 

 本当のことを言うと、少し前までの僕は、このティールの段階の考え方に対して「なんて上から目線なんだ」などと思ったりしました。

 やっぱり自分より上位の思考段階の本質をちゃんと理解するのは、容易ではありません。

 

 実は昨日、悪戦苦闘しながらブログを書いていて、ふと一瞬だけ、ティールの世界観が見えた気がしたんです。

 ティールの段階には、グリーンの段階のような、平等を主張しながらも他の思考段階に対して閉鎖的な部分がないんですね。

 

 ティールにとっては、オレンジの思考段階も、アンバーの思考段階も、もちろんグリーンの思考段階もですが、全ての段階の考え方が世界にとって必要だということが良くわかっていて、その全部を自分の懐(ふところ)に包括し、受け容れることができているんですね。

 

 そしてティールは、レッドの段階の人を圧倒するパワーが時に役立つことを知っているし、マゼンタの段階の目に見えないものを信じる力も、時に必要なことも知っています。

 

 美味しいものを食べているや、眠りにつこうとする時、誰かを愛し合っている時には、インフラレッドの段階の思考に切り替えて、思い切り楽しむことも必要だということも……

 

 ティールには、これらの異なる思考段階をグリーンが主張するように「一律に同じように価値がある」と考えるには無理がある、ということが良くわかっています。

 あらゆる思考の深さは、決して均等ではない、ということも……

 

 それは決して差別的な考えではなく、大きな全体性を見ているがゆえに、その深さを的確に推し量ることの重要性に気づいているからだと言えます。

 そして、お互いのそれぞれが役割分担をして得意分野に徹することで、さらに発展的な世界ができることを、知っているのだと思います。

 

 ティールの段階は「しなやかな流れ」の段階などと呼ばれています。

 少し前の僕は、この言葉の意味がよくわからなかったのですが、今では多少わかるようになりました。

 

 ティールの世界観は、五行でいうと、紛れもなく「水」のものです。

 高次の水は、あらゆるものを包み込み、全てのものをつなげていきます。

 

 これまでの僕は、グリーンの土の五行に縛られ、グリーンと自己同一化していましたが、そこから開放されると、ふっとティールの水の世界観が内面から浮かび上がってくるんですね。

 まるで、土の重みに解放された水が、元気を取り戻すような感覚です。

    すみません、完全に意味不明な発言です……

 

 ティールの世界観は、常に全体を俯瞰し、あらゆる人の価値観をその深みを的確に推し量ると同時に、あらゆる価値観を拒絶することなく受け入れます。

 

 ケン・ウィルバーが言う、ティールが大変革をもたらすことができるというのも、うなずけるような気がします

 

 グリーンの段階が、ティールの思考に至るためには、おそらく、自分の中の独善的なこだわりや、上下関係のようなものに対する視野の狭い偏見を、完全に克服しなくてはいけないでしょうね。

 

 そして、自分以外の段階の欠点だけではなく、それぞれの段階の良い部分に目を向け、本当の意味で全ての人を包み込んでいけるような大きな器を手にする必要がありそうです。