外はだんだんと冷え込んできて、確実に冬が近づいているのを感じます。
ありがたいことに、毎日本当に充実した日々を過ごさせていただいています。
さて、2週間近く続けてしまった「インテグラル理論」のグローイング・アップについてのテーマですが、今日で最終回です。
このグローイングアップの良さは「考え方には、たくさんの段階がある」ということを認識することで、目の前の相手を理解できるという点だと思います。
相手の段階が自分と段階が違うと、どうしてもすれ違いになりやすいんですよ。
ケン・ウィルバーの著作「インテグラル理論を体感する」には、段階の異なるカップルが一緒に過ごした場合のケン・ウィルバーが考えたショートストーリーが書かれています。
これは、男性が「オレンジ段階」で、女性が「グリーン段階」だった場合のユーモアを交えたストーリーです。
オレンジ段階の男性は、達成すること、優秀であること、成功することを求めて、絶えず努力しています。
男性は「どれだけのことを達成したか」によって自分を評価していて、どんな時も突出した存在でありたい、さまざまな事柄について、誰よりも優秀でありたいと思っています。
一方の女性の関心事は「どのように在りたいか」ということで、男性に次のようなことを述べます。
「どうして私たちは、仲良く暮らすことができないんだろう?」
「どうして私たちは、全ての人のためになることができないんだろう?」
「どうして私たちはみな、友達になれないんだろう?」
「どうしてこんなに意地汚い競争ばかり行われるんだろう?」
男性はそれを聞かされているうちに、うんざりしてこうつぶやきます。
「こんな負け犬とは、運命を共にしたくはないね」
二人とも、自分が抱いている根本的な真実(それぞれの段階の真実)に、まさか同意できない人がいるとは、夢にも思っていません。
グリーンの多元的段階においては、「考えること」よりも「感じること」が重視されるようになります。
そして、達成に向けての努力よりも、お互いが仲良く暮らすことの方が優先されます。
他方、オレンジの段階の世の中の批評家は、常識的な道徳や科学的な態度を身につける上で「考えること」の重要性に気づいているので、こういった感情重視のあり方を非難する傾向となります。
ケン・ウィルバーは、グリーン段階に対してとても手厳しいので、グリーンの僕は本当に反省させられるのですが(笑)
こんな風に、グリーンとオレンジの考え方の違いというのは、水と油のように混じり合うことができません。
そうはいっても、段階の順番でいうと、オレンジ(第5段階)の後にグリーン(第6段階)が来ているんです。
つまり、グリーンの段階というのは、長かれ短かれ、現在の思考段階にいたる前にオレンジ段階を体験していたことになります。
僕自身も、ミュージシャンを目指して東京に上京してきた時代を振り返ってみると、あの頃はオレンジの思考のまっただ中にいました。
いつも成功することを求めて、絶えず努力もしてきましたし、オレンジの思考だったから、必死に頑張れたように思います。
もし、あの頃にグリーンの思考だったら、とっくに押しつぶされてしまっていたでしょう。
結局、全ての段階が大切なのだと思います。
自分が進化して、次の段階の価値観が現れる時というのは、現在の段階の自分を「超えて含む」ようになると言います。「超える」ことによって、現在の自分の価値観を手放し、「含む」ことによって、その価値観を客体として見つめることができます。
そうすると、それまでは「これが普通だ」と思っていたものが、少し離れた場所から客観的に見えてきて、ウィルバーの盟友ロバート・キーガンの言葉通り「ある段階の主体が、次の段階の主体にとっての客体になる」ということになります。
そして、今がどの段階であっても、基本となる新しい自己感覚は、まさに「その段階と同一化しながら」現れます。
まるで生物が脱皮するように、前の段階の薄皮がむけてみると、次の段階の皮膚がそこにできているといったところでしょうか。
もちろん、脱皮が多ければ良いというものではなく、むしろそれぞれの段階において、どれだけ一生懸命に学べたかということに価値があるように思います。
中途半端にしか学んでいないのに、次の段階に進んでしまっても、学びの足りなかった段階の部分だけが取り残されて、後で何かと弊害になるような気がします。
今回、ケン・ウィルバーのインテグラル理論をブログにまとめるにあたって、何度もウィルバーの本を読みました。
訳のわからない内容のブログが続いてしまいましたが、僕自身、ここから本当にたくさんのことを学ばせていただきました。
自分の器を広げて、もっと相手のことを理解できるようになって、この学びを日々の暮らしの中で活かしていきたいです。