昨日の夕方はニシーネスペースに、山口県から水木杏香先生がお越しになってくださいました。
水木先生は五気調整術協会の代表で、東洋占術の専門家であるだけでなく、中医薬膳指導員でもあり、さらに今では、スパイスの講座やクリスタルボールの奏者もされていらっしゃいます。
まだ僕が、中野坂上のサロン ド シルフィーユのお店を開店して間もない頃に開催した、四柱推命講座の初級編と中級編にも、山口県から飛行機で通ってくださいました。
今から3年前に、全30話連載で西日本に旅行をした時のことをブログを書きましたが、その時には、水木先生が山口県の名所のあちこちを車で案内してくださり、おかげで山口の旅はとても充実したものになりました。
水木先生は、ニシーネスペースにお越しになるなり、「前よりもうんと広いし、東京とは思えないほど静かなオフィスですね」とおっしゃってくださいました。
「前の中野坂上のオフィスは、外の大通りを走る消防車や救急車のサイレンの音や通行車両の音で、講座を受けている時も落ち着かなかった」と、おっしゃいます。
確かにそうでした。
中野坂上のオフィスを構えていた頃には、それが普通だと思っていたので、気にも留めなかったのですが、こうして静かな場所でオフィスを構えて、あの交通量が多くて騒がしい中野坂上のことを思い出すと、天と地ほどに違いがあります。
改めてこの場所に来られたことを感謝しました。
実は、水木先生とはこの一年半の休業中にも、何度か連絡を取り合っているんです。
水木先生は「あの頃は顔色が悪くて、痩せこけていたので心配したけれど、今はすっかり元気になられて本当に良かったです」と、おっしゃってくださいました。
思い出してみれば、僕はこの一年半、精神的にかなり追い詰められて、本当に疲れ切っていました。
その苦しみに耐えながら、何とか歩き続けてきたら、今、この幸せな場所にたどり着くことができました。
積もる話をしている内に、あっという間に、日が暮れてしまいました。
この後、近くのレストランで水木先生とお食事をし、久しぶりにお酒を飲みました。
ワインを飲みながら、水木先生は「人は、いつか死ぬから良いと思うんですよ」と、おっしゃいました。
例え、人生で何か重大な失敗をしてしまったとしても、死んだのち三年もすれば、それを口にする人はいなくなるけれど、もし人間に寿命というものがなくて、永遠に生き続けることになったら、その責任も永遠に負い続けなければいけない……
確かにその通りだと思いました。
もしも、遠い将来に不老不死の薬が開発されて、食糧難も解決し、人類全員が永遠に生きることができるようになったとしたら、確かに大切な人とはずっと一緒にいられるし、地位も名誉もお金も住居も全部ずっと保持したままでいられるけれど、何かしでかしてしまった時には、その責任や補償までも、未来永劫ずっと背負わなければならなくなります。
永遠に過去の失敗を許されることもなければ、永久的に人からその過ちを そしられ続けられなければならない…… そう考えたら、ものすごいプレッシャーです。
でも、人の寿命は有限で「いずれ時が来れば、自分の存在すら忘れられる」という当たり前の事実さえ受け入れれば、ずいぶんと肩の荷もおりるし、ポジティブに生きられます。
そして二人で話していて「せっかくの人生だから、例え自分が忘れられたとしても、この世に残していけるような仕事をしたいですね」という結論になりました。
久しぶりに飲んだお酒は、本当に美味しくて、時が経つのも忘れてしまいました。