だいぶ涼しくなって、すっかり秋らしくなってきました。
吹き抜ける風が気持ちいいです。
しばらく、実家に帰っていなかったので、久しぶりに少しだけ岐阜に帰ろうと思います。
10年前にパリブログをたどっていたら、今の自分とあんまり変わらないその頃のブログを見つけました。
今日は、そのブログをリメイクしますね。
ふと気づけば、あっという間に一年が過ぎてしまいました。
本当に信じられないくらい、時間が経つのが早いのですが、こうして独立して、好きな占いの仕事をするようになってから、やっと「自分らしさ」というものを取り戻した気がします。
とはいえ、不安はあります。それは何かというと、自分の気持ちのゆるみというやつです。
今は一日中ずっと、自分の好きなように過ごしていても、誰にも文句を言われるようなことはありませんから、どれだけネジを締め直しても、知らず知らずに気持ちがゆるんでくるんです。
もちろん仕事はきちんとやっていますけど、自分自身の精神状態がたるんでくると言いますか、ゆるい気持ちになってきます。
「そんなの気合いが入ってないからだ」と、以前の僕なら言っているんでしょうけど……
仕事をするのに自分の自由がなくて、いちいち職場の人の顔色をうかがいながら生きていた頃というのは、すごく窮屈でしたけど、気合いは入れやすかったです。
仕事中に気がゆるんでいるのがバレたら、おっかない職場の人に叱られますから(笑)
今は、そういうのがない……
もしかして、以前だったら素直に受けとめていた叱責の言葉さえも、もう受けとめられなくなっているかも知れません。
そしてこの先、仕事がさらにうまくいったら、こういうのはどんどんエスカレートしていくんじゃないかと思います。
それならいっそ、どこか鬼のような社員がいるような所で、アルバイトでもやればいいのかも知れませんけれど、時間的にちょっとそれは難しいですし……
僕の好きな書の一つである「菜根譚」の中に、こういう言葉があります。
居逆境中 周身皆鍼薬石 処順境内 満前盡兵刃戈矛
逆境であれば、全ての起こる事が薬となる。何故なら、心や行いが知らず知らず磨かれていくから……
順境な時は、矛や刃を持った兵に囲まれているようなものだ。知らず知らずに身は骨から蝕まれて行く……
だから、順境な開運期は、余程自分に注意深くしていないといけない……
2013年に国民栄誉賞を取った松井秀喜選手は、野球界のスーパースターというだけではなく、優れた人格者でもありました。
松井選手にはたくさんの恩師となった人がいるのですが、厳しい恩師が本当に多いんです。
特に父親の昌雄さんは、聖職者をやっている人なんですが、心の持ち方ということに関しては、とても厳しい人でした。
松井選手は、父との約束で 「人前で他人の悪口を言わない」 ということを、ずっと守り続けているような人です。
日本一になった巨人軍の4番バッターの主砲として、MVPも取ってホームランも打ちまくっていたある時、久しぶりに実家に帰ると、父からこんな風に諭されました。
「自分を主観的に評価してはいけない。世間の人は野球という君のごく一部の面を評価しているだけで、君の人間の全てを評価している訳ではない。今日の君のマスコミの対応には、明らかに傲慢さを感じました。お父さんにはわかります。
謙虚さを失った君の姿は、周囲から見て、みにくく映るだけではないか」
マスコミとの対応といっても、松井選手はマスコミに一べつする為に、テレビカメラの前で片手を上げただけなんですけどね……
松井選手はその時のことを、こう語っています。
「確かに僕は、チームの日本一に貢献できたことで得意満面だったから、父の言った通りだったと思います。
あのような言いづらいことを、父に言わせてしまったことを申し訳なく思うし、また感謝もしています」
まさに「この親にしてこの子あり」 というか、本当に謙虚な人です。
松井選手がコンディションの浮き沈みはあっても、栄光に満ちた開運期をずっと歩み続けていられるのは、こういう指導者の厳しい諫言を受けながら、それを素直に受け止めて、その教えが体に染みついているからかも知れません。
考えてみると、窮屈な逆境の時というのは、たくさんの教えを請うには最高のチャンスです。
一旦開運期に入ってしまうと、こんな風に誰かから厳しい教えを請うことは、なかなかできません。
そう考えると、運が開いて思い通りいく時というのは、決して油断できないし、逆に逆境の時期ほどに、自分の運を養うのにふさわしい時期もありません。
開運期も逆境の時期もそれぞれに意味があって、どちらも我々の人生の大切な宝物なのかも知れません。
(2013/8/11パリブログ「開運期も逆境も宝物」をリメイク)