今日は、自然派四柱推命の入門講座の日……

 気がついてみれば、もう4日目の講座なんですね。入門編は全部で6日間しかないので、もうこれで半分終わってしまったことになります。

 

 こんな風に時間に追われつつ講座の準備をしながら、僕自身がすごく勉強させていただいています。

 やっぱり、人に何かを教えるというのは、自分にとってもこれ以上ない勉強法だと思うんです。

 自分が理解できていなかったら、人に教えられないですから、講座で何かを伝えようとする度に、改めて自分自身の知識を再確認しなければいけません。

 これがまた、良いんですね。

 

 四柱推命をはじめとして運命学というのは、僕は結局、哲学にたどり着くと考えているんです。

 その起源をたどっていくと、太極図だったり、河図洛書だったり、本当なのか嘘なのかも怪しいし、なんだか混沌としていて、書いてあることを一読しただけでは意味がわからない…… いや、何度も読んでみても、さっぱり意味がわからなかったりします。

 

 普通の人だったら、こんな訳のわからないものは迷信に過ぎないし、こんなことをしていても時間のムダだ…… と言って、それ以上探究することをやめてしまうと思います。

 そして、僕のような変わり者だけが最後に残ると(笑)

 

 運命学の考え方の中に「三命」という考え方があるんです。漢の時代にできあがった考え方ですので、四柱推命よりもはるかに古い時代のものなのですが、四柱推命の要所要所にこの考え方が出てきたりします。

 ちなみに中国では、四柱推命のことを「三命」と呼んだりすることもあるくらいです。

 

 昔、知り合いの占い師で「年柱・月柱・日柱・時柱の4つでみるのが四柱推命で、年柱・月柱・日柱の3つで見るのが三命学です」みたいなことを、お客様に大真面目に説明している人がいて、その言葉を聞いて思わず吹き出してしまったのですが……

 それ、字も全然違うし、算命学をやっている人に、ものすごく失礼です。

 

 「三命」というのは、「運命とは、受命(じゅめい)・随命(ずいめい)・遭命(そうめい)という3つでできあがっている」という考え方のことです。

 受命というのは、人の寿命のことであり、随命というのは、「良いことをすれば良いことが起こるし、悪いことをすれば悪いことが起こる」という因果応報の考え方のこと、最後の遭命とは、「良いことを行っているのに、悪いことが起こる」という因果不一致の矛盾のことを言っています。

 この最後の遭命というのは、真面目に人生を生きている人にとっては、理不尽極まりないものですし、割り切れないものだと思います。

 

 ルドルフ・シュタイナーやエドガー・ケーシーだったら、おそらく「転生輪廻」というキーワードで、この遭命のことを説明するのだろうと思いますね。

 とはいえ、これは彼らが生まれるはるか昔の考え方です。

 

 後漢の王充(おうじゅう)という人は、「論衡」という書物の中で、十二支に五行の属性を組みこんだ、四柱推命の世界ではちょっとだけ著名な人ですが、この「論衡」の中にも「三命」に関する記述が載っています。(ここでは「受命」が「正命」となっています……)

 

 王充という人は「そもそも天と人が相関関係にあること自体ありえない」という考え方の持ち主で、「天は本来、無為自然なものであって、そもそも因果応報なんてものは、人が考え出した妄想に過ぎない」とばかりに、三命のうち3つ目の「遭命」ではなく、逆に2つ目の「随命」をスッパリ完全否定してしまいました。

 

 この王充のクールな考え方、道教に通じている気がします。

 老子道徳経八十一章の「天地は無情なり。万物を以って芻狗(すうく)と為す」の考え方と通じるところがありますし……

 まあ、王充の言葉に影響された後漢の人々は、彼のこの発言の影響を受けてか、自分の心の欲望のままに生きるようになって、政治が大いに腐敗したらしいです。(そしてその後、後漢は滅んで魏・呉・蜀の三国時代を迎えます)

 

 「随命」という考え方は、少し宗教的な感はありますが、僕は結構好きですね。

 やっぱり、いろいろあっても最終的には善人は報いられると思うし、そうあってほしいと思います。

 もちろん、天から報いられたいから良いことをするというのでは、本末転倒だとは思いますが……

 

 なんだか脈絡のない話になってしまいました。

 今日も、入門講座頑張ります!!