朝、心地よく目が覚めて、いつものようにベランダの外に出てみると、とても気持ち良い秋空が広がっていました。
こうして、素敵な仲間が集まってくれて、大好きな四柱推命講座をやりながら普通に生活できることを、改めてありがたいと感じました。
秋という季節は、昔からあんまり好きではなかったんです。
僕が一番好きな季節は春、その次は暑くて体にはこたえるけど夏で、秋は好きな順序で言うと三番目……
秋は心地良いけど、寒くて大嫌いな冬が少しずつ近づいてくるという気持ちが先に立って、なんか物憂げな気持ちになると言いますか(笑)
でも、こうして気持ちよく広がっている秋空を眺めていると、そんな気持ちでいるのは、この秋という季節に申し訳ない気がしてきました。
春が好きだ…… とか、自分の好き嫌いを前面に出すから、それとは相対的に、好きじゃないものが出てきて、本当は素敵なものなのに、その良さを感じられなくなってしまうんですね。
このことは、人生の中のあらゆることに言えるのかも知れません。
ふと、ルドルフ・シュタイナーが本に書いていたことを思い出して、ページをめくってみました。
最初から、それまでの人生で身につけた判断に固執したまま世界の事実に近づくと、私たちはこのような判断をとおして自分を閉ざしてしまい、世界の事実が私たちに及ぼす、穏やかで多面的な作用を受け取れなくなります。(中略)私たちが事物や出来事について語るのではなく、事物や出来事そのものが私たちに向かって語りかけるようにならなくてはいけません。
(ルドルフ・シュタイナー著「デオゾフィー」参照)
改めて、シュタイナーは偉大だと思いました。
自分のちっぽけな「好き」や「嫌い」をなくして、春も夏も秋も冬もみんなまるごと愛しくなって、その中に溶け込んで行けたら……
朝の秋空の少しずつまぶしくなってくる日差しの中で、ふと、そんな気持ちになりました。