ついつい昔からのブログの癖で、だらだらと長文を書きつらねて、勝手に一人で煮詰まってしまいそうになります。

 もういい加減に、自分の悪いパターンを改めなくちゃですね(^^;;

 

 さて、昨日のブログの続きです。

 

 ヴィクトール・フランクルの代表的な著作の「夜と霧」には、ナチスの収容所に囚われていた時に実際に目にした、まるで地獄絵のような実話が詳細に書かれていて、これと比べてしまうと、現代の我々の苦悩など、取るに足りないものに思われてきます。

 

 もちろんこの本は、ナチスドイツの悪事を糾弾するための本でもなければ、「こんなにもひどい地獄が、この世界には存在していたんだ」ということを語る為の本でもありません。

 

 人間というものは、極限状態の苦しみに直面した時にどうなるか……

 精神科医フランクルが、我々に本当に伝えたかったことは、このことかも知れません。

 

 フランクルは強制収容所の中で、収監された人間がどのように変わっていくかを、実際に目の当たりにしました。

 

 極度の飢餓状態に置かれた囚人は、数時間前まで生きていた仲間が死んでいるのを見ても、だんだん無感動になっていき、死んでいく仲間のパンや履いている靴を奪い取るのは、日常茶飯事になっていったそうです。

 

 まさに「貧すれば鈍する」が極まった状態ですね。

 

 とはいえその中でフランクルは、ほんのわずかな数であったとは言え、自らが餓死寸前の状態にありながらも、仲間に自分のパンを与え、あたたかい励ましの言葉をかけ続けている人を見たそうです。

 

 フランクルは「夜と霧」の中で次のように言っています。

 

 人は強制収容所に人間をぶちこんで、その全てを奪うことができるが、たった一つだけ、与えられた環境でいかにふるまうかという人間の最後の自由だけは奪えない……

 

 フランクルが提唱したロゴ・セラピーの中に、「どのような条件下や状況であっても、人は自らの意志で、自分の態度を決める自由を持っている」という考え方があります。

 つまり、フランクルという人は、徹底して「決定論」というものを否定しているのですね。

 

 すみません…… 今日一日で、フランクルの内容のブログを終わらせてしまうつもりだったのですが、まだフランクルの真骨頂の部分が全く書けていません(汗)

 この続きは、また明日のブログに回しますね。