ここ最近、ある一つの言葉が心の中に何度も浮かぶようになったのです。
その言葉は「忘れ神」という言葉……
今までずっと停滞していた物事が、霧が晴れたようにスムーズに流れ出して、ようやく自分の中で忘れていた大切なことを思い出すことができました。
今日のブログは、今から10年前に書いたパリブログの中の記事のリメイクです。
パリに旅立つ前にある人から聞いた、心がじんと温かくなったお話があるんです。
お話というか、神話とか寓話のような類いなんですけど……
人というのは、生まれる前に神様と何かの約束をしているらしいんです。
もちろん神様と約束するくらいの内容だから、きっと立派な内容なんでしょうけど、生まれてこの世で過ごしていると、その内容を忘れてしまう……
だから、人間のことを 「忘れ神(わすれがみ)」と呼ぶらしい……
何かの打ち上げでお酒が入っていた時に、帰りの電車の中で聞いた話です。
抽象的な話なんですけど、何となく本当の話のように感じました。
別にアルコールのせいで、そっちの世界にトリップしていた訳ではないですけど(笑)
なぜそう思えたかというと、多くの人間にとって、まわりが喜ぶような行為をしている時というのは、不思議と心が気持ちいいと感じるからです。
それは別に誰かにほめられたいからでもないし、自分の利益になるようなことでもないのに……
どこかの無神論者の人が言うように、人間が脳細胞の信号だけで行動を決める単なる動物だったとしたら、こういうことはありえないと思うんですよね。
もちろん、生まれる前にした神様との約束の記憶がある訳ではないけれど、案外これはありえる話のような気がします。
仮にこの話が本当だったとしても、その記憶を思い出せないんだったら意味ないんじゃないか…… っていう人もいるでしょうけど、僕はそうでもないと思うんですね。
こういう神話や寓話の類いは、表面的なものじゃなくて、心の奥に語りかけていることがあります。
言ってみれば、表層意識では忘れていても、潜在意識は覚えているってことだってありますから……
心理学のパイオニアであるカール・G・ユングは、人の意識というものを「表層意識」と「個人的無意識」と「普遍的無意識」の三層に分けて捉えました。
最後の 「普遍的無意識」 というのは全ての人の意識の奥にある人類共通の意識のことです。
ユングは 「世界中の神話が共通している理由は、神話というものが普遍的無意識の産物だからである」 と述べています。
だから、表層意識でこういうのが理解できなくても何も問題はないし、あんまり表層意識だけで 「神様はこうだ」 なんて決めつけない方がいいんです。
人は「忘れ神」……
忘れてしまっていても神様には変わらないから、それぞれが尊い……
だからこそ、我々がこうして生きていること自体がものすごく貴重なことだと思うし、この瞬間そのものが奇跡だと思うんですよね。
(2012/10/28パリブログ「人は『忘れ神』」をリメイク)