司馬季主(しばきしゅ)は、さらにたたみかけるように、宋忠(そうちゅう)と賈誼(かぎ)に次のように言いました。

 

 「こういった占い師のおかげで、病める者も癒されることがあり、死にかけている者も生き返ることがあり、苦難を免れることもある……

 企てが成功することもあり、息子の嫁をむかえたり、娘を嫁にやったりすることもうまく行って、天寿をまっとうできる……

 このような功徳が、何十文か百文の値打ちもないと、あなた方はおっしゃるのですか。

 

 こういった占い師こそが、老子が言った『上徳は徳とせず、これを以って徳を保つ』というのではないのですか。

 占いをする者の恵みはこんなに大きく、謝礼はこんなに少ない。

 とすれば、老子が言っていたことと全く違わないのではないですか?」

 

 老子という人は謎だらけの人で、その実在さえも疑われることもありますが、この史記では、紀元前500年前後に活躍されていた人とされています。とすると、この時代(紀元前200年)の300年ほど前の人ということになります。

 

 この司馬季主の言葉にある「上徳は徳とせず、これを以って徳を保つ(上徳不徳、是以有徳)」というのは、「老子道徳経」の第三十八章にある言葉で「本当に徳が備わっている人(上徳)というのは、徳そのものを意識することもなく、それゆえに徳が離れていくこともない」という意味です。

 

 老子道徳経第三十八章では、この言葉の後に「下徳は徳を失わざらんとし、これを以って徳が離れていく(下徳不失徳 是以無徳)」という言葉が続き、これは「徳を積まなくてはと作為的に行動している段階(下徳)では、いつも自分の徳が失われることをおそれているので、結局これによって本質を見失って、徳が離れていく」という意味になります。

 

 司馬季主は、きちんとした心構えで占いをする者は、上徳を積んでいる、と言っているのですね。

 

 そしてさらに司馬季主は、荘子(そうし)についても言及します。

 

 荘子とは紀元前300年前後に活躍した人で、老子の思想をさらに発展させた人です。この時代からだと、100年前の人という事になります。よく老子と荘子の思想を合わせて「老荘思想」などと、ひとくくりにされたりします。

 

 司馬季主は次のように言いました。

 

 「荘子は『君子は内に飢えと凍えの患いなく、外に劫奪の憂いなく、上にいりて敬せられ、下にいりて害せられず。これこそが君子の道である(莊子曰君子內無饑寒之患外無劫奪之憂)』と言いました」

 

 この荘子の言葉は、現代に伝わる「荘子(書物)」にはなく、おそらくは佚文(いつぶん=過去に存在していたが、現在は記録が失われて、伝わっていない文章)でしょう。

 

 訳せば「君子は、飢えることや凍えることに内面を惑わされることなく、自分が治める国に強盗がはびこる心配がなく、身分が高い人からは敬せられ、身分が低い人間からも危害を加えられることがない。これこそが正しい道である……」というような意味です。

 

 そして、占いをするものについて、こう語ります。

 

 「占いをする者が修めたものというのは、いくら積み上げても山になることはないから、それをしまっておく倉庫もいらないし、それを運ぶための荷車もいりません。この知恵の宝は背負ってみても全く重さはないのに、これを役立てようとすれば、どれほど使っても果てることはありません。尽きることなき、この知恵の宝を肌身離さず持ち歩き、決して窮まることがない世間を渡り歩く……

 荘子の旅でさえ、これ以上のものではないでしょう。

 それなのに、どうしてあなた方は、占いが役に立たないなどと言うのですか」

 

 次に司馬季主は、天の真理というものについて、語りました。