易者・司馬季主(しばきしゅ)が登場する「日者列伝」の話の冒頭は、宋忠(そうちゅう)と賈誼(かぎ)という二人の漢の国の官僚の描写から始まります。

 

 三国志マニアの人は、宋忠というと、劉備から剣をつきつけられた荊州の劉琮配下の宋忠を思い浮かべるかも知れませんが、その宋忠とは別人で(その人の400年前の時代の人です)、この人の業績などの資料はどこにも見当たりませんが、漢の宮中顧問官だったようです。

 

 一方の賈誼は、漢の文帝(漢の五代目の皇帝)から非常に信望が扱った優秀な学者で、わずか20歳そこそこで太中大夫(たいちゅうたいふ)にまで出世した人です。そして、国の政策を儒学と五行説に基づいて決定し、それによって、曆や法律、音楽や服の色などを決めることを主張しました。

 

 そして、この二人がたまたま同じ日が休みになって、その時に「易経」について議論していたんです。

 

 易経に出てくる古代の帝王や聖人の道や教えというのは、人生の奥深い真理がある…… みたいなことを二人で話しているうちに、二人とも、ふと ため息をつきました。

 

 そして、賈誼は宋忠にこう言います。

 

 「いにしえの聖人というのは、朝廷に地位がない時には、易者か医者の仲間にいたものだ。僕は、漢の大臣や朝廷の役人たちの顔はほとんど知っているが、聖人と呼ぶにふさわしい人間なんていない」

 

 賈誼は才気煥発で、文帝から可愛がられて若くして出世した分、いつも重臣達から妬まれて、讒言を受けていました。

 そんな人生も、さぞ生きづらかったと思います。

 

 賈誼は宋忠にこう誘いかけます。

 

 「せっかく時間が空いているのだから、長安の街に出かけて、聖人と呼べるにふさわしいような易者がいるか、見定めようじゃないか」

 

 二人は、輿(くるま)に同乗して市場に出かけ、輿からおりて、易者がいそうな場所を歩き回りました。

 

 そしてこの場所で、いにしえの占い師・司馬季主に出会うのです。