こうして今や韓信は、項羽や劉邦とも並ぶ、一つの国を支配する王となっていました。

 

 しばらくすると、楚(そ)の項羽からの使者が、斉(せい)の韓信の元にやってきました。
 なんと、あの項羽が韓信に同盟を申し込んできたのです。

 

 項羽の使者である武渉(ぶしょう)は、次のように言います。

 

「これまで天下の人々は、秦という強大な国の悪政により、苦しめられてきました。それがこうして収まったのは、諸侯が力を合わせて秦を滅ぼし、項王(項羽のこと)が諸侯の功績に合わせて、各地の王に封じることによって、平和が保たれているからです。
 しかし、漢王(劉邦のこと)は欲深い男で、自分が与えられた土地だけでは満足できず、人の領土を奪って、関中の領土を全部自分のものとし、今では楚の国にまで攻撃をしかけています」

 

 確かにこれは、本当のことです。

 

 でも、劉邦の言い分からすれば、関中の領土をおさめるのは、当時の諸侯の旗頭であった義帝(懐王)との約束なのに、項羽は劉邦に、関中のほんの一部の西の辺境の地しか与えてくれなかったからです。
 (ちなみにこの時、項羽は劉邦に「左に遷す」と言ったのですが、これが現代の「左遷」の語源になりました)

 

 そして、56万もの連合軍をかきあつめて、劉邦が項羽の楚に攻撃をしたのは、項羽が義帝を暗殺してしまったからです。

 

 さらに武渉は続けます。

 

「漢王というのは、本当に信用できない人物です。項王はこれまで何度も、漢王を殺害する機会がありながら、憐れんで命を助けてきました。しかし、漢王は危機を脱すると、平気で項王に刃を向けてきます。
 斉王様(韓信のこと)が兵を率いて、漢王のために忠義を尽くしても、最後にはあの男に捕らえられることになってしまうでしょう。斉王様が今日まで生き残ってこれたのは、項王という敵がいたからです」

 

 韓信は心にわいてくる拒絶の気持ちをおさえながら、じっと武渉の言葉が途切れるのを待ちました。

 

 武渉はこう切り出してきました。

 

「今や項王と漢王の勝敗は、斉王様のご決断に掛かっています。斉王様が漢王に味方すれば漢王が勝ち、項王に味方すれば項王が勝つのです。もしも項王がいなくなれば、次に攻撃の的になるのは斉王様の番です。
 斉王様は、項王と旧知の仲だというのに、どうしてここで項王と手を結び、天下を三分しようとはお考えにならないのですか?」

 

 まさにこれは「天下三分の計」 です。魏・呉・蜀の三国志の時代は、この400年後の事ですけど、確かにここで韓信が独立したら、この時の三国鼎立は可能なんですね。
 司馬遼太郎の小説のタイトルも「項羽と劉邦と韓信」になっていたかも知れません(笑)

 

 でも、韓信は武渉に、こう言いました。

 

  「漢王さまは、私を非常に優遇して下さる。そして私を自分の輿に乗せ、自分の衣服を着せ、自分の食事をすすめてくれた。それなのに、私が利益にひかれて、道義に背いて良いものか。
 項王にも仕えたことはあったが、身分は下役人に過ぎず、言葉は全く聞き入れられなかった。しかし、漢王さまは私に王の位を与え、数万の軍勢を与えてくださった。だからこそ、私はここまでのし上がれたようなものだ。漢王が私を深く信用しているのに、私が漢王に背くなど、決して良いことはない」

 

 そして、最後にこう言いきります。

 

 「例え自分が死んだとしても、この節義を変える事はできない。項王には、あなたから断りを入れていただきたい」

 

 韓信というのは、すごく真面目で誠実な人なんです。
 そして今、韓信にとって、人生の決断の時が来ていました。

 

 (2013/04/08パリブログ「目指しているものがあるから妥協しない」をリメイク)