蒯通(かいつう)の悪魔のささやきにそそのかされて、防備を解いていた斉(せい)に確信犯的に攻め込み、本来、大手柄を立てていたはずの酈食其(れきいき)を「釜茹での刑」に陥れてしまった韓信ですが、結果的には、これによって広大な斉の領土を手に入れることとなります。

 

 斉の王であった田広(でんこう)は、これまでに幾度も項羽の楚軍に戦いを挑み、ゲリラ戦法で楚軍を苦しめ続けてきたのですが(この田広の働きがあったからこそ、劉邦の連合軍が項羽の本拠地を陥落させられたのですが)、今の状況となってしまっては、犬猿の仲である項羽の楚軍と同盟をする他、生き残る道がありませんでした。

 

 田広は、斉の本拠地である臨淄(りんし)を撤退し、一旦、本拠地から離れた高密(こうみつ)に移り住むと、項羽に救援を要請しました。

 

 項羽からしてみれば、田広も自分を苦しめ続けてきた憎い敵ですが、さらに憎い敵である劉邦を討つために、あえて田広と同盟を結んだのでした。

 

 やがて、楚からは、竜且(りゅうしょ)という将軍が率いた軍が、田広の元に派遣されました。

 竜且は楚軍の中でも、勇猛なことで知られる百戦錬磨の将です。

 

 この時、竜且の副将となっていた周蘭(しゅうらん)は、竜且に持久戦を提案しました。

 この時点で韓信は、斉の地をとりあえず占領してはいますが、民心をつかんではいません。国内で内乱が起こる可能性も高いですから、持久戦でのぞめば、限りなく楚軍にとって有利な展開になるだろうという読みです。

 

 ところが、将軍の竜且はこの策を取り上げませんでした。竜且は、韓信に「股くぐりの男」というレッテルを貼っていたのです。

 

 思えば、韓信がまだ働き口すら見つからず、仲間の股をくぐって笑い者にされたのも、楚の国での出来事です。楚では悪い意味で、韓信は有名になってしまっていたのですね。

 

 それに韓信が楚の陣営にいた時は、ただの護衛兵に過ぎませんでした。

 竜且からしてみれば、韓信などは「取るに足りない臆病者の護衛兵」だったのです。

 

 でも人生、何が幸いするかわかりません。
 この竜且の思い込みが、韓信に勝利をもたらせてくれたとも言えます。

 

 韓信の軍と竜且の軍は、川を挟んで にらみ合いました。
 実は韓信は、前もって前日の晩に、川の上流に土嚢(どのう)を敷き詰めさせ、ずっと水の流れをせき止めていたんです。

 

 韓信は川を半分くらい渡った所で、わざと負けたふりをして、退却しました。
 竜且はそれを見ると、「オレは以前から、韓信が臆病なのは知っていた」と嘲笑って、韓信を追いかけて、川の中におびき寄せられました。

 

 そのタイミングで、川の上の土嚢のせきを決壊させると、竜且の軍は水に流されて身動きが取れなくなってしまいました。

 韓信軍はここぞとばかりに、竜且軍に反撃を加え、その勢いのまま攻め立てて、あっけなく竜且も討ち取ってしまいました。

 

 こんな感じで、見事に斉に攻め込んだ楚軍を追い払ってしまったのです。

 

 韓信は主君の劉邦に手紙をしたためて、使者を送ります。

 

 「斉という国は楚と接していて、仮の王でも立てなければ、政情が落ち着きません。どうか私を、斉の仮の王に任命して下さい」

 

 ちゃっかりしてますね(笑)

 

 その手紙を読んだ劉邦は、最初腹を立てましたが、参謀の張良や陳平にたしなめられて、韓信の使いにこう言いました。

 

 「立派な男が国を平定したんだぞ。仮の王などということがあるものか。真の王になればいいのだ」

 

 こうして、韓信は新しい斉王となったのです。

 

 この瞬間、これまでは一介の護衛兵や下役人として、ずっと下積みに甘んじてきた韓信という男は、一国の王にのし上がったのでした。

 

 (2013/04/09パリブログ「項羽と劉邦と……」をリメイク)