淮陰侯韓信(わいいんこう かんしん)特集も、今日で10日目になります。
 実は、中国のテレビドラマにも 「淮陰侯韓信」 という番組があって、日本でもDVD化されて発売されています。
 でも、その時に題名を変えられてしまいました。
 新しくつけられた邦題は「項羽と劉邦・背水の陣」。

 

 みんな、韓信って言われたって誰だかわからないし、なじみもないから……
 でも、これでは韓信も浮かばれません(笑)

 

 さて、その背水の陣の策で趙を破った韓信でしたが、韓信軍を倒せる策を陳余(ちんよ)に授けようとした李左車(りさしゃ)を、殺さずに生け捕りにするように全軍に命じました。

 

 やがて、李左車が縄で縛られて生け捕りにされてくると、韓信は彼の縄を解き上座に座らせ、先生としての礼をとりました。

 

 そして、李左車に改めて尋ねました。
 「それがしは、北は燕(えん)を撃ち、東は斉(せい)を討ちたいと思っております。どのようにすれば成功するか、ご教示下さいませんでしょうか」

 

 李左車は申し出を断りました。
 「敗軍の将は勇気について語ってはいけない、亡国の臣は、他国の存続について語ってはいけないと聞きます。今や私は敗軍の将、亡国の臣です。どうしてそのような大事な相談にあずかれましょうぞ」

 

 でも、韓信はあきらめませんでした。
 「それがしは、心を傾けて先生の計略通りにいたします。どうか辞退なさらないで頂きたい。
 もし陳余が先生の計略を用いていたのなら、私ごとき者は、とっくに捕えられていました。先生の計略を持ちいなかったからこそ、私は先生のおそばに座ることが出来たのです」

 

 李左車は、韓信の為に次のような策を授けました。

 

 「将軍は今や、戦いに連戦連勝し、その評判は世界中に聞こえわたって、その威勢は天下にとどろいております。これが将軍の有利な点です。ところが、実際には兵卒は疲れ果て、現実には戦うのも難しい状況です。これが将軍の不利な点です。
 今、将軍は疲れ切った兵を動員し、燕を討とうとされていますが、おそらくは長引いて力づくで攻略することはできますまい。それは恐れながらお考え違いと存じます。なぜなら、戦さの上手なものは、こちらの不利な点をもって相手の有利な点を攻撃せず、こちらの有利な点でもって相手の不利な点を攻撃するからです。
 今この時、将軍の御為を思って方策を立てるならば、まずは鎧かぶとを解いて、兵を休養させて趙の国を制圧しつつ、戦争で親を亡くした孤児達をいたわられることです。そのようにすれば、将軍の名声は自然に高まり、百里四方から牛や酒が毎日献上されましょう。
 その上で、弱国の燕へ進軍するそぶりをし、その後に弁舌の士を燕に派遣して、将軍の威風を示して、服従するように説くのです。燕は風になびくように服従するでしょう。そして燕が服従した後に、今度は斉にも威風を示すのです」

 

 韓信は、李左車の言う通りにしました。
 そして、やがて、李左車の策により、燕の国も斉の国も手に入れることになります。
 もしも韓信が、李左車に意見をうかがうこと無く、力ずくで燕を攻撃していたら、おそらく戦況は硬直状態になって、韓信の飛ぶ鳥を落とす勢いもここで終わっていたと思います。

 

 韓信には、大きな志がありました。
 たくさんの人の優れた意見を聞いて、参考にしたかったんだと思います。
 だからこそ、どんな時も常に謙虚でした。

 

 志が立てられるかどうかなど、ほとんどは運で、その運をつかめるかどうかなどはわかりません。
 だから、取りあえず目の前に食い扶持があれば、普通の人はそれで良しとするものです。

 

 でも韓信は、それで絶対に良しとはしませんでした。
 かと言って、韓信は 「戦乱の世を終わらせて、平和な世にしたい」 というような大義名分を持った好漢という訳でもないんです。それは、この後の韓信の人生を見ればわかるのですが……

 

 どちらにしても、韓信が普通の人と違う所は、こうありたいという明確なビジョンを、自分の中にしっかり持っている所……
 そして、いつかその志が天に届くことを信じている。

 

 目指しているものがあるから妥協しない……

 

 例え今がどんなに苦しい状況であっても大丈夫です。
 自分というものに妥協しないで、謙虚なままでい続けられたなら、必ずやその願いは天に届きますから……

 

 (2013/04/08パリブログ「目指しているものがあるから妥協しない」をリメイク)