今日のお話も、パリブログの中で省略してしまっていたお話です。
 あの時は、たった4日間のブログで韓信の生涯を語ろうとしていたのですが、そもそもそれ自体とんでもない無理がありましたね。

 

 さて、項羽との敗戦で、しばらくの間ずっと落ち込んでいた劉邦でしたが、ようやく立ち直ると、韓信に魏(ぎ)の国を攻略するように、命令を出しました。
 魏の国の王は、魏豹(ぎひょう)という人です。

 

 魏豹は、自ら劉邦の連合軍に加わったにもかかわらず、劉邦が大敗すると、すぐに劉邦を見限って、項羽の側についたのです。
 劉邦は最初、何とか魏豹を再び味方につけられないかと、酈食其(れきいき)という儒学者を魏国に使者として遣わして、魏豹の説得を試みます。
(また後日のブログで書きますが、この酈食其は韓信のせいで、本当にひどい最期を迎えることになります)

 

 魏豹は、「傲慢で礼儀知らずな劉邦には、二度と会いたくない」と言って、これを拒絶しました。
 劉邦に、傲慢で横柄な人間だという印象を人に与える性格の要素があったことは否めません。この先も、何人かの人物に同じように言われて敵対されていますから……
 とはいえ、その性格の欠点以上に、天を味方につけてしまう大きな徳を持っていたことも、また事実のようです。

 

 何はともあれ、韓信は、魏に向けて進軍して行きました。
 この頃には、韓信はすでに、劉邦からの絶対の信頼を得ていました。

 

 韓信は黄河を前にして、魏豹の魏軍と対峙しました。
 そして、別働隊をこっそりと黄河の上流に回り込ませて、筏(いかだ)を作らせて黄河を渡らせ、魏の首都・安邑(あんゆう)を襲撃しました。

 

 目の前に対峙している韓信の軍にすっかり気を取られていた魏軍は、驚いて急いで首都の安邑に引き返そうとしますが、黄河を渡った韓信の本隊と挟み撃ちに遭い、魏豹はあっけなく捕えられてしまいます。

 

 韓信によって捕えられた魏豹は、主君の劉邦の元に送りとどけられました。
 魏豹は命を助けられたものの、劉邦によって、王の地位を奪われ平民の身分にされてしまいます。

 

 余談ですが、魏豹の妻だった薄氏は、劉邦の元に嫁ぐこととなり、やがて漢の五代目の皇帝となる文帝を身ごもることとなるのですが、それはずっと後のお話です。

 

 この後項羽は、劉邦に対する怒りをあらわにして、何度も戦いに挑んできました。
 そして、そのたびに不利な戦況に悩ませられる劉邦でしたが、こうして韓信の助けを得ることで、何とか戦況を打開することができたのです。