僕が岩波文庫から出ている司馬遷の 「史記」 を書店で買ったのは、25歳の時でした。
若かりし頃、難しそうな本を本棚に並べで、格好をつけたかったのです(笑)
いや本当のことを言うと「古典を読むと、心が悩みから解放される」 みたいな話を人から聞いたからなんですね。
でも実のところは「史記」はずっと枕元に積まれたまま、そのままになっていました。
この「史記」を何度も繰り返し読むようになったのは、ミュージシャンになりたいという夢をあきらめた30歳を過ぎたあたりからです。
当時は心が病んでいたような状態でしたが、確かに「史記」を読むことによって、心が洗われていくのを感じました。
特にこの淮陰侯韓信(わいいんこう かんしん)の話を読んでいると、成功者になるべき人というのは、やっぱり最初から決まっているんじゃないか…… と思わずにはいられなくなります。
過去の自分のことがとてもちっぽけに思えてきたのを、覚えています。
成功することが人生の全てではないけれど、成功者というのは、成功者になるべく生きていると言いますか……
さらにいえば、成功しないのを、絶対に良しとしない…… という強い意志を持っているんですね。
綿打ちのおばさんに食べ物をもらって、何とか食いつないでいた韓信でしたが、ある時、ひょんなきっかけから項羽と出会います。
項羽というのは、「項羽と劉邦」 のタイトルにもあるように、当時の英雄の一人です。
韓信はある時、項羽の叔父である項梁(こうりょう)の軍に入ることになり、そこで項羽と出会いました。
やがて、軍の長である項梁が討たれると、甥である項羽が、その後を継いで軍を率いました。
韓信は項羽から、警護の下役人である、護衛兵に任命されました。
韓信は頭の切れる人だったので、いろんな策を項羽に提案するのですが、項羽は一切取り上げませんでした。
そうすると何と韓信は、何の未練もなく、項羽の元を去ってしまったんです。
食べるお金も無いし、せっかくひとかどの英雄である項羽の元にいられるのだから、普通はそこにずっととどまると思うんですが、こういう選択が韓信が普通ではないところです。
韓信は多分、そのままそこにいて食べるには困らなくても、その先に可能性が無いのなら、時間の無駄だと思ったんでしょうね。
とはいえ、この時の韓信なんて「ただの護衛兵」ですから、どこに身を寄せたとしても、さほど厚遇されることもないし、先のあてなんて全くありません。
それでも、絶対に自分のことを見出してくれる人が必ずいるんだと、固く信じていたんです。
韓信は、どこで手に入れたのか孫子の兵法書を持ち歩き、頭の中でいつも兵を指揮するときのイメージをしていました。
韓信が未来の自分を強く信じることができたのは、人知れず、日々その才能を研鑽し続ける努力に裏打ちされたものだと思います。
そして、その未来は意外と早く、現実になることになるのです。
(2013/04/08パリブログ「目指しているものがあるから妥協しない」をリメイク)