今日から16回にわたって、史記に記されている、淮陰侯韓信(わいいんこう かんしん)という人物について、書きたいと思います。

 

 いきなり唐突なので「なんで?」って思われそうですけど、あまり深い意味はありません(笑)

 「史記」はもう二千年前に中国で書かれた書物で、前回のブログで紹介した司馬季主という占い師も、史記の中に登場する人物なんです。

 

 この記事は、10年前のパリブログで4日間かけて(2013年4月7日~4月10日)掲載したものを、わかりやすく再編集しました。さすがに4日で韓信のことを全て語ろうとしたのは、無理がありましたね。
 韓信というのは、秦が滅亡し漢が成立するまでの時代に活躍した人物です。

 

 人生ではいろいろなことが起こりますが、その目の前で起きたことに対して、どのような選択をするかによって、実りある人生になるか、そうでないかが決まってくる……
 韓信の人生談は、そんなことを考えさせてくれます。

 

 よほどの歴史マニアでない限り、韓信と言われて、どんな人がすぐに答えられる人はあまりいませんが、「項羽と劉邦」 と言えば、名前くらい知っているという人は結構いると思います。
 韓信というのは、この 「項羽と劉邦」 の物語に出てくる人物です。
 僕が思うに、韓信というのは、まさにこの二人に匹敵するくらいの人物ですね。

 

 きっとタイトルに加えても、いいんじゃないかと思います。
 ただ、人間の器で言うと、ちょっとこの二人より小ぶりです。

 

 だから、「項羽と劉邦 と 韓信」 ぐらいの字の大きさになります(笑)

 

 「韓信の股くぐり」という言葉を聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれません。
 「将来に大志を抱く者は、目の前の屈辱にも耐え忍ぶ」という意味になります。

 

 だいぶ前の話になりますが、当時の総理大臣だった福田康夫さんが、国会の集中砲火を受けて 「私の心境はまさに 『韓信の股くぐり』 だ」とか言っていたことがあります。
 そんな話はまあ、どうでもよいのですが……

 

 その韓信はまだ若い頃、高台の広々とした土地に母の墓を作って、その周りに一万軒の家が建てられるようにしておいたんです。
 自分がやがて、一万軒以上の支配者になるということを固く信じていたんですね。何のあてもないけれど……

 

 大望も抱く者はやっぱりどこか違う……
 これから語る韓信の生涯の話は、そんなことを考えさせてくれます。

 

 (2013/04/07「大望をいだく者」をリメイク)