このブログを見てくれている人は、おそらく占いを好きな方ばかりだと思うのですけど、世の中には、占いというものが大嫌いな方もいます。

 

 タレントのヒロシさんが、そういうタイプの方でした。
 中野坂上にサロン ド シルフィーユの店舗を構えていたころ、歩いて1分ぐらいのすぐ近くの場所に、ヒロシさんが飲食店を出店したことがあって、お店に友人とカレーを食べに行ったんです。

 

 開店当初は、ちゃんとヒロシさん本人もいらっしゃっていて、お一人お一人に丁寧に話しかけて接客をされていました。

 

 そんな時、友人が僕のことを占い師だと紹介したんです。(僕は初対面の人に、決して自分から占い師だと名のることはありません)
 その時のヒロシさんの返事が「オレ、占い大っ嫌い」という一言……
 一瞬、シーンとした雰囲気になったのですが、もちろんすぐにまたうち解けて話してくれました。

 

 占いというのは賛否両論はありますが、間違いなく我々の文化の一つだと思うし、つき詰めれば哲学だと思うんです。
 でも、使い方を間違えると、人を不愉快にするものにもなりかねないし、もっとひどい時は、人を不幸に陥れるものにもなりかねない……

 

 占いが人を幸せにするか、不幸にするかは、結局、その使い方だと思うんですよ。
 占いというものを未来をさらに幸せにするために活用すれば、前者になるし、人生を型にはめてがんじがらめにすれば、後者になります。

 

 人にもよるとは思いますけど、初めて会う見ず知らずの占い師から、自分の人生を型にはめられて、性格や将来を決めつけられれば、不愉快な気持ちになる人がいても不思議ではありません。
 それが不幸な予言だったらなおさらですが、一番厄介なのは、占いを受ける側がその不幸な未来を信じ込んでしまった場合です。
 この場合、占い師のその不幸な言葉は「呪いの言葉」になります。

 

 本来の占いというのは、決してそういうものではありません。

 

 例えば、四柱推命の生年月日時で出てくる命式は、その人の初期設定のデータであって、その後、その人がどういう選択をして人生を歩んだかによって、いくつものバリエーションが出てきます。
 もちろん講座では、この命式はこういう傾向を持ちます…… みたいなものはちゃんとあるのですが、あくまでもそれは素材でしかありません。
 わかりやすく言えば、キャベツなのか、しいたけなのか、お肉なのか、卵なのかという使う素材の配合を知るのが四柱推命であり、でき上がる料理はその人の人生の選択や、日々の想念や気づきで、どれだけでも変わってきます。

 

 そんな風に活用すれば、占いは楽しいし、人生を明るく有意義にしてくれるものに必ずなると、僕は信じています。