7月にライブ復帰して 8月のライブも終わって

9月になった


9月はバンド編成のライブはなくて弾き語りが2本

だけど、どちらもすごく想いがある


まず、hizumeのツアー大阪編


3年半前 アサモドキ活休前ラストライブ

fibglooとのツーマンのオープニングアクトで出てもらった彼ら

メンバー脱退後も何度も誘ってくれていて、その度に申し訳なさと悔しさでやり切れない気持ちになっていた

本当に好きなバンドで 夜に1人暗い部屋でシーソーという曲を爆音で聞いた時の衝撃は忘れられない



彼らの音楽に対する価値観とか、自分自身に対する劣等感、怒りや失望の感情

それがすごく、自分と共鳴する部分があって

何度聞いても心が揺さぶられる

謙遜やファッションじゃなくて、本当に「自分なんか」っていう、心の奥底からの悲痛な叫び

でも、それに救われるのはきっと僕だけじゃないはず

だから、届くべく人に届いて欲しい

僕らが出来なかった事を、どんどん叶えてる

このまま突き進んで欲しい



9月17日はそれでも世界が続くならのオープニングアクト



こちらはここでは、多くは語りません

当日の数分に全てを込めようと思います




ライブを再開して、2本のライブどちらも暖かく迎え入れられて、本当に幸せだと思う反面

やっぱり、それに応えられるだけの価値が自分にはあったんだろうかと、いつも懐疑的になってしまう


大学を出てすぐ社会人として働き出して、その片手間にバンドをやってきた

本当は僕はずっとバンドマンに憧れていた

目標や夢を叶える為に、生活を犠牲にして、その分、お客さんやファンに夢や希望を与える

未来を顧みず、今その瞬間を輝くバンドマン


気が付けば、そんな風に生きられる年齢もとっくに過ぎて、一度だって音楽に全てを捧げたと思える時期のないまま、ここまで音楽を続けてしまった


hizumeも、もちろん それでも世界が続くなら も

色んな物を犠牲にして真剣に音楽をやっているんだろう

僕はどうだろう

仕事で疲れてギターにも触れず 余裕のある休日に、クソみたいな曲を量産するだけ 


月に何度もライブしても、きっとお客さんは来ないだろうから、ライブは月一回かそれ以下でいいやとか

仕事が忙しいからとか コロナだからとか


何かと理由をつけて 楽にダラダラ続ける事を選んだ


カッコ悪い 憧れとは程遠い


だけど、なんでだろう 音楽辞めようとは思わない


今後、一念発起して憧れを求めて脱サラなんて多分ないだろうし、そもそもやっぱりライブハウスに出てファンをたくさん増やして売れて人気者になる

なんてやっぱ向いてないんだろうな


売れなかった言い訳みたいに思われるかもしれないけれど、僕が音楽を続けたい理由がそもそもそこにないから、周りと違う感覚の自分に気付いて、焦ったり悩んだりするのかな


何度も言うけど、自分が死ぬ時に満足してたらそれで合格ってことにしとこうかな

どうせ死ぬし



涼しくなってきたな 秋の夜長にどうぞ