大学に入学する少し前くらいから、筋肉質の身体に憧れました。
自転車や柔道など、いろいろやりましたが、今のようにトレーニングする場所も機会もなかったため”代用”。
卒業してしばらくしてから、大学のそばにジムを見つけたときは、小躍りしました。
オーナーの50センチを軽く超える腕周りや、200キロ近くを扱うベンチプレスにも心惹かれました。
はまっていく中で、コンテストに出始め、数年かけて地方大会で優勝できました(1991年)。
これは嬉しかったですね、何せ、運動系で賞などもらったことがなかったからです。
マット運動で前周りすらできず、跳び箱跨げず、もちろん縄跳びなど無理。
鉄棒も前周りなど言語道断。
小さい頃、”お気に入り”の女の子が雲梯で遊んでいるのを、遠くから眺めていました。
ただ、この優勝、今一つ、ピンと来ない仕上がりでした。
明らかに前年やその前の優勝者とは劣っている身体であることは認識していました。
それから6年後の1997年、広島でオープン大会が開催された時、出場者数にびっくりしました。
すごい胸と腕の人たちがいっぱい。
ま、観光でもして帰ろうか、などと言う気分でジャッジが始まりましたが、総合優勝してしまいました。
その時、観客の人たちやジャッジから、背中と大腿後面、凄いね!と褒められました。
自分が見えてない、けど、一番見られている、そんなパーツ、そこを評価されたと知りました。
それから数ヶ月後、渡米した時も、そこを褒められて優勝してしまいました。
この時の自分の進化と驚き、そして評価していただいた時の喜び、今でも忘れません。
でも、もっと、できる、と思いつつ、どこまでしていくのだろうか?
これ以上しないといけないなら、仕事ができない、もっと仕事をしないと、仕事の内容を高めないといけないのに。
悩んでいた時、大きな怪我をしました。
大きな鉄槌だったと思います。
競技から引退する、踏ん切りがつきました。
素晴らしく好奇心惹かれる世界だけど、これ以上したら”あかん”。
バズーカ岡田教授がyoutubeに収録してくれた時もこのことを語りました。
もちろん、続けていたら、もっと”良い身体”になっていたと思います、でも、望むタイトルは?
望む筋肉とは?もっと良い、って?
今の僕が行なっている医療行為、僕が”ほどほど”の態度で続けていたら?
この二つの優勝記念トロフィー、上がアメリカで、その下のビルダー像が広島でのご褒美です。
これ、捨て切れず鹿児島まで持ってきました。
死んだ時、棺桶に入れてもらおうと思っています。