今月発売の月刊ボデイビルディング届きました。

今回書いたのは2編。

まだデビューして2年目で、全日本の頂点まであと少しの位置まで駆け上ってきた広島在住の河野選手のインタービューです。

僕は、別の連盟に出ていた動画で知っていましたが、その頃から”あり得ない”魅力的なシルエットを持っていました。

筋肉系コンテストでは、筋量は大切です。

コツコツとトレーニングしていけば必ず筋肉は裏切らないで付いてくれます。

でも、どう付けるか、どう付くか、そしてどうなるかシルエット、それが勝負を決めます。

類まれなシルエットを持っている彼女が、これからどんな進化をしていってくれるか、楽しみでなりません。

もう一つ、連載記事として、抗重力筋について。

立っている時、足は攣りません。

でも、寝ている時、急に足が攣って慌てふためくことがあります。

ベンチプレスマシン、座ってやるマシンと、寝てやるマシン、ありますね。

大胸筋、どうですか?

本来の位置と、地面に対する角度、寝方、その筋肉の反応の仕方が変わるのです。

巷には、まるでこの筋肉は抗重力筋だから、これはこうやってなどと鍛え方の違いなど書いてあったり宣ったりするのを目にしますが、仕事に貴賎がないように、全ての筋肉は重力に逆らって存在しているし動いています。

重力をどう利用して、どう感じて、”理解して”トレーニングに繋げるか?

6ページに渡り熱く書いてみました。

5月も今週でおしまい。

年末から体調が今ひとつで、トレーニングが”思うように”できないので、模索していたところ、”なぜか”弾いたことのない曲に挑戦してみたくなり始めた”音取り”。

幼稚園時代から小学校まで、母から”イヤイヤ”ピアノを習っていたので、僕のできる唯一の抵抗は、楽譜を読まない、ことでした。

発表会が終われば、もうその曲は2度と弾かなくて良い、などと勝手に思い込み。

消してしまいたかった、、。

でも、忘れもしない41歳の時、あのジムでの失神と骨折。

指が動かなくなったとき、ふとリハビリ代わりに始めたのがピアノでした。

鍵盤に向かうと、ふと、短いフレーズが弾ける、、その驚き。

このフレーズも、あのフレーズも、曲名は思い出せないけど、鍵盤を前にすると指が動く、そして頭の中で曲が浮かぶ。

幸いにも?二人の子供たちはピアノを習わせていたので、彼らにこの曲なんだっけ?と質問しながら、一曲一曲を仕上げていきました。

20数曲弾けるようになりましたが、仕事も忙しくなりメンテくらいの練習しかしませんでした。

それから20数年が経ち、年末、ついに愛用していた、でも、引っ越したため置いたままにしておいたグランドピアノを手放すことに、、。

僕は筋トレマシンもそうですが、”モノに”こだわるのです。

浜松の工場まで行って選んだボストンピアノ。

タッチも重く、のびるきらびやかな音、僕の感性に合う優れものでした。

でも大き過ぎて(190センチ)、、。

アマチュアの僕には結局世界が違うモノだったのかもしれません。

でも悔しくて悔しくて。

体調も悪い中、思いついたのが、一度も弾いたことのない曲にチャレンジでした。

骨折して指が動かなくて、仕事もできず就職先に迷惑かけていたあの頃の精神状態に比べればなんてことありません。

そして今は、動画があります。

コロナパンデミックは多くの音楽家たちの活躍の場を奪い去りましたが、彼らは、道を見つけました。

それがYouTube。

何十人ものピアノストの弾く指先を追い、音を聴きながら、小節ごと弾いていき、一ヶ月で音取り終わった時の喜び。

弾ける全ての曲は母の叱咤激励のイメージが残っていたのですが、今度は全くのバージン(^^;)。

しっかり仕上げて天国で聞かせてあげたいと思っています。

ボケるまであと何曲、音とりができるか、それも楽しみになってきました。

指使いができるまで鍛えてくれた母には感謝しかありません。

厳しさはやはり成長期には大切なものかもしれません。

夜勤で眠れなくても鍵盤に向かうと心が落ち着きます

 

 

 

 

月刊ボデイビルディングの記事でも書きましたが、腕に太さを求め過ぎるのは愚行です。

もちろん、不幸にも脚に生まれつきのトラブルや、生まれてからの事故や病で動かなくなった場合は別です。

デフォルト(初期設定)からの太さが違うのです、骨、筋肉、関節全て。

最も違いがあるのは、動きの範囲です。

全ての物事に当てはまりますが、自由と強度は共存できない。

自由は脆さ、危なさ、があってこそ可能になります。

下腿(すね)の二本の骨、脛骨と腓骨は並んだ”まま”、足首に繋がっています。

前腕の二本の骨、撓骨と尺骨は、何気なく並んでいますが、”自然に”、撓骨が尺骨を”跨ぐ”のです。

足指は、親指と小指はもちろん、他の指を”対面”できませんが、手ではできる。

対面できない”代わり”に、バネのようなアーチを作って、身体全体と地面の動的緩衝帯となっています。

手で地面を支えることはできますが、すぐに痛めます。

一個一個の関節が細く脆い。

自由に動くから、細くたくさん関節が一斉に動けば、二次元三次元の多彩な動きが可能になるから、強度を捨てたのです。

手で地面を蹴り続ける、強く蹴っては”いけない”、仕方ない時だけにすればいい発想です。

僕がボデイビルを始めた頃、”なるべく重いものを、なるべくたくさん、歯を食いしばって、痛みに耐えてやれば太くなる”と多くの先輩ビルダーから”教わりました”が、それは絶対に”嘘”です。

そう言っていた彼らは、惚れ惚れするような腕を持っていたのですが、そうならない多くの選手が、怪我に泣いて引退していったはずです。

僕は競技していく中で、本当に腕が細くて悩んでいたのですが、腕こそ、トレーニングを工夫して、ポージングで錯覚の妙を駆使すべきパートなのではないかと思うようになりました。

リラックスポーズでは、全く迫力なくても、サイドチェスト、サイドトライセップなどで、胸郭にどう上腕を押さえつけるか。

簡単に言えば、胸郭に対してヒラメみたいに上腕を薄く上下に広げてしまえるか、だと思いました。

僕の腕周りは、20数センチしかありませんが、普通の人より太く見えるのは、”そう見せて”いるからです。

怪我してもいい場所などありませんが、いろんなことができる、すべきである腕の関節一個さえ、痛めたくない。

まるで痛めたことが勲章のように宣う輩にはなりたくないのです。

長く楽しく、かつ健康に続けてこそ、道が広がり、多くの人がついて来るはずです。

今月の月刊ボデイビルディングが届きました。

僕の執筆は二編。

一つは、昨年のボデイフィットネスチャンピオン、佐々木選手について。

日本タイトルはダントツで奪取。

当然、ワールカップも、当然、誰しも期待して思っていたことでしょう。

でも、”コケた”。

なぜ、何が起きたのか?

頂点まで駆け上ってきて、もっと上に、そしてもっと違う世界に行”けた”彼女にインタビューしてみました。

失礼な質問にもしっかり答えてくれたことに感謝しています。

もう一つは、医学的見地シリーズ。

肘と手首。

胸郭から”突起”としての腕。

それは進化学的に”なんなのか”。

なぜ、一本、そしてそれが肘から二本になり、今度は8個の骨になってまた5つに分かれていくのか?

不思議ですね。

ウエイトトレーニングにおいて、腕はどう考えていくべきなのか?

なぜ、痛めるのか?

主眼は、上肢は下肢にはなれないんです!

脚の太さを腕に求めるから、”おかしい”。

ストラップやサポーターでぐるぐる巻きにする危険。

握るとはどんなことなのか?

脳外科医として、神経支配のことも書いてみました。

かなりのボリュームになりましたが、”暇な時”眠り薬”としても読んでみてください。

二週間前のB肝血液付着ピンセットが刺さった”事件”。

当日から二日間熱が出たのですが、血清学的にウイルス侵入はなかったようです。

IgM抗体価が上昇して来ないことから、判断しました。

とりあえず、まだ働”け”ます(^^;)。

もう全盛期の半分以下、いや三分の一の手術症例数ですが、働”き”ます。

一方、趣味の面で、人生を賭けてきた(つもり)のボデイビルですが、いろいろ考えております。

骨格筋とは、医学的に、自分の動物としての身体を維持するのに必須のものです。

動きにはいつも抵抗があります。

その抵抗に”耐える”から、絶えず続けるから、より強いものになる、はず、なのです。

で、負荷をかける、ボデイビルダーとしてはウエイトを乗っける。

で、また、そのためには、ウエイトをより負荷し続けなければいけない。

簡単に言えば、量をこなしてこそ、質が”わかる”のです、身体にも心にも。

そうじゃないと筋肉の形は変えられない。

仕事面で、もう量はこなせなくなりました。

ボデイビルも同じです。

だから、新たな”質”を見つけられなくなってきた、、実感しています。

朝、起きて、怠い。

眠いのではない、怠い。

これではいけない。

筋肉の声を聴きながら、鍛えてきたのに、筋肉の悲しいだるさの声が聞こえるのです。

ジム終了時間を過ぎても延々とトレーニングする若者や、マシンに座ってスマホ三昧の輩を見て、イライラしてしまう自分に戸惑います。

自分の筋肉の声だけを聞く場所なのに、他人も気になるようになってきている、、。

大会に出ていてどんどん筋肉が大きくなってきた時、大怪我をして全くトレーニングができなくなった時、30年ぶりにピアノを始めました。

でも、あくまで思い出”探し”で、小さい頃習った曲を繰り返し弾くことだけでした。

それから、20数年、”維持”するだけの時間が過ぎてきました。

最近、月刊誌で、身体中の関節の記事を連載している中、手首や指の解剖生理を再勉強していくうちに、無性に新しい曲にチャレンジしたくなりました。

体力は確実に衰えてきているのに、学ぶ気力がまだあることに新鮮な喜びを感じています。

仕事とピアノは、形は目にみえないけれど、何か違った”形”になりそうな気がします。