あの、謎の脳震盪入院事件 から4ヶ月が経ちました。
いまだにあの頃の記憶は戻りません。
なぜ、倒れていたのか?
警察の調査でも事件性はない、とのことですので、シンプルにコケただけなのでしょう。
不幸中の幸いでした。
季節外れの暖かい2月の夜。
いつもなら、南国宮崎でも、寒くて凍え縮む季節です。
それが、とんでもなく暖かい、いや暑い日でした。
雨が降っていると普通はもっと冷えるのに、雨なのに暑い。
これが幸いしました。
脳震盪で意識がない状態で、数時間雨に打たれていても、低体温にはなっていたものの、35度の体温を保てた。
顎から地面に落ちて、本来、頚椎過伸展で、頸髄損傷のリスクは高いのに、顎を引いた状態で転けることができた、、。
元々の鉤鼻が歪んだけどそれがクッションになった。
ちょうど還暦の時、急性膿胸で、客死寸前でも助かったように、今回も、意識を失くしたのは不運でしたが、それ以外すべて良い方に物事が進みました。
人の身体の中でも、ある余計な物質ができた時、それをタンパク質さんたちは見事なカスケード、連鎖反応で排除するか矯正し、体を正の方向に導いていくのですが、うまくいかなくなると、あっという間に負の連鎖となり坂を転がり落ちていきます。
それと防ぐいろんなお薬もできてきたのですが。
今回は、正の連鎖に導いてくれた”何か”に感謝しています。
深夜というか、未明に、自分の病院に運ばれたのも、いつも接している救急隊の人が僕を覚えていてくれた、病院から歩いてすぐの場所だったのも幸運でした。
その時救急外来でずぶ濡れ、血まみれの僕を、スッポンポンにして、綺麗にして、オムツと病衣をつけてくれた二人に夜勤一緒になりました。
”必死だったから、大事なとこ、見なかったよ!”なんて言ってくれましたが(苦笑)。
いつもよく働いてくれて感謝しています。
さて、あの病原体、いまだに猛威を振るっています。
僕も濃厚接触者の一人になったので、症状はないけど、週末自主隔離。
どこにも行かず、行けず、おかげで、たくさん原稿を仕上げることができました。
良い方向に行けたようです、これが負の連鎖にならぬようにうまく仕掛けました。
感染防御の鉄則、ごちゃごちゃ余計な薬など入れないで、遠ざける、ゆっくりする、距離を取る。