医学部4年生になった22歳の夏、僕は北海道にいました。

何人かの仲間たちは、すでに進路を決めていましたが、僕は日本中を走り回ることに必死でした。

小樽にフェリーで着いて、3200キロ走り抜いて苫小牧からフェリーで離れるまで、約二ヶ月の自転車旅行でした。

僕の自転車旅行のポリシーは一人旅。

1年生から始めた自転車旅行、最初は九州一周、中国地方、近畿中部地方、東北、四国と全て独りでペダルを回し続けました。

今でもそうなのですが、僕は、社交的そうに見えても一人の時間の方が好き。

職場でも、時間が空いている時は、誰もいない医局で一人で籠っています。

研修医の時も、大人数の科は苦手で、時にそのことで誤解され疎まれました。

ですので、一人でコツコツ神経解剖を学べる脳外科、そして脊髄外科を選んだのも当然の成り行きです。

この旅行中、とある大学附属病院正門近くでテント張っていたら、守衛さんに連れて行かれて、偶然当直していたのが脳外科の先生で、その先生宅に泊めていただき、ご自分で子供さんの脊髄の手術を繰り返ししているのを見させていただき感動したからです。

卒業後、その先生の下で働きたい、と言ったら、

”いかん、俺は人に教えるタイプじゃないし、俺の上司の性格はキミには絶対に合わん、だからやめとけ”

でした(^^@)。

さて、自転車旅行に戻りますが、小樽を北上し奥尻に近づいた頃だったと思います。

テント生活で溜まっていた洗濯と睡眠確保のため入ったユースホステルでこの3人に出会いました。

一番年長は大阪から、女性は名古屋の大学一年生、一番若い子が東京の高校生でした。

不思議と波長が合いました。

それから、最北端まで、そして利尻や奥尻はもちろん、高校生の子が夏休みを終え離れるまで4人旅が続きました。

誰が一番先頭で峠を攻めるか、どこで休憩するか、そして泊まるか。

毎日とても楽しい時間を過ごせました。

生まれて初めての、そして最後のグループ旅行になりました。

高校生が去り、すぐ、大阪のおじちゃんが、そして大学生が、帰っていきました。

涙が止まらなくて、ぐちゃぐちゃの顔で何日も走り続けたことを覚えています。

宮崎の下宿に戻ってからも彼らと連絡することもありませんでした。

なぜなら、連絡先を交換していなかったからです。

年も名前も。

今ならメールアドレス交換、でしょうか?

写真を見直しながら、三週間近くもよく一緒にいることができたな、と思います。

なんかまた会えそうな気がしていたのです。

その後、体調を崩してしまい幸福駅近くの遠い親戚の牧場でお世話になったり、一生忘れられないチャリンコ旅行になりました。

北の大地に学会などで訪れる度、この写真に映る”仲間”を思い出します。

元気かなあ?