大学で学生相手に教育をする。
自分が学んできたこと、経験したこと、それを学問として伝えることである。
一対一でないことも多い、いやほとんど一対多である。
そのためには、伝えたいことをまず文字にする、文字をまとめて論文にしないといけない。
論文は随筆ではいけない。
そして、興味のない人にも”よーく”理解させないといけない。
だから大学で教授という地位は、目指さないといけないし、目指すためには膨大なエネルギーを費やす、が、目指しても成れないことがほとんである。
僕は、目指す地位までも行かず、大学を去ったため語る立場ではないが、その地位の偉大さはよく分かる。
教授がもっと大変なのは、現在進行形でないといけないことだ。
なって終わりではなく始まり。
多くの人と一緒にてっぺんを目指している間は、隣か近くしか見ない、見えない。
でもてっぺんに上り詰めた後は、多くの人に見つめられる、見つめられ続ける。
高みの見物ではいけない。
一人ではそのてっぺんの土台は支えられない。
だから多くの人が”寄ってこない”といけない。
てっぺんから、優しく厳しくそして愛情持って登ってくる人たちに施しを与えないといけない。
てっぺんからそんなエネルギーが発せられたら、登っていく人たちは嬉しい。
バズーカ岡田の今回の”振る舞い”を見させていただき、日体大の学生さんたちを羨ましく思った。
さて、彼が僕の”ホームタウン”で最初何をしたか。
僕のコレクションして設置してあるクラシックなマシンは確かに見た、しかし、その横にずらりと並んでいたコンディショニングライン、やって見たくてしょうがないそわそわした態度が漂っていた。
マシンは、はい、と置いてあるだけではダメ。
使用者の動き、くせなどを瞬時に把握してマシンが”発する”言葉を伝えなければいけない。
そして、受け止められなければ暖簾に腕押し、猫に小判。
もう楽しそうなバズーカの声とオーナーの声が、シンクロしてジムに響いていた。
バズーカの将来は明るく、もっと上に登れるな、と思った。
新日本のレスラーたちがリピートで来るのもよく分かるわ、、オーナーの言葉を聞きに。