先日の水俣病関連の大臣や官僚さんたちの対応を見て、国というのはなんなのか考えさせられました。

僕は、仕事柄、多くの国を訪れてきて、たくさんの”事件”にも遭遇しましたが(もちろん医療関係)、日本は困った時、安心して暮らせる国だと思います。

税金は、その安心を維持するためならば文句は言わずに払うべき、と思い毎年しっかり収めてきました。

国という単位、それを”動かす”官僚さんたちを信用しているからです。

政治家は信用しません、所詮口利きだから。

口利きと思えば、笑顔で近づいてきて、平気で嘘をつかれても、それも仕事をこなす”すべ”なのだろうと思います。

官僚はそれではいけない、なぜなら、その仕事に就くまで、多大な教育を”施されて”来たからです。

学問ができる、理解して処理して、結果、多くの人の幸せになる、ための施しを受けてきたのです。

ノブリスオブリージュ。

僕も、そう”教育”されて仕事をしてきましたし、これからもできなくなるまで続けていきます。

ある集団、地域、元気な人ばかりではない、病に倒れる人が居ます。

良かれと思いしてきた仕事、事業の中で、特異な症状の患者さんが出てくる。

幸せになるために、発展させてきたものに何か負の作用がある、そんな中で公害という”病”集団が発見れてきました。

多くの生き物は物言わず死んでいきます、苦しいとも言えず。

人も同じでした。

水俣は、僕が入学した時、多くの学者や学生たちが、病の原因や治療の解明に取り組んでいました。

患者さんたちは、声を上げることができなかったし、できてもうまく伝えられないのです。

その苦しい歴史を理解すれば、3分で意見をまとめる、なんて発想は”普通”出ない。

ディベートのテストではないのです。

ここで国という安心できる集団を管理する人たちの冷たさが表に出てしまったと思います。

いざという時、苦しんでいる時、解決にはすぐにならないけど、声を聞いてくれる、膝突き合わせて。

それ”こそ”が国の優しさであるはずなのに。

先日、公害ではありませんが、とある施設を訪問してきました。

少し影のある、あまり自分からは意見を述べない優秀なスタッフが、パンデミックの時、ふと漏らした言葉が気になって来てみました。

”私が学生時代過ごした寮や学校のある施設を一度見てみてください、先生の意見聞いてみたい”

細菌感染の結果、皮膚や神経が侵され、結果関節が壊れ、顔面を始めとした変形が起こるため、”外見”が異様になってきてしまう”らい”という病気がありました。

その”特異な”外見に健常な人たちは驚き恐れます、そして無知な偏見や差別が生まれます、、。

国が彼らを”保護、隔離”、いや、閉じ込めて、しかも根絶やししてしまおうと、全国各地に療養所をつくりました。

重度変形はともかく少しできものが出来ただけでもいきなり連れて来られて、いや行かされて、家族との縁も切られた少年少女もたくさん”閉じ込められ”たのです。

そして2度と元の世界に戻ることはなく亡くなっていきました

微生物の知識が乏しかった、ほんの数十年前、港からこの施設まで、公共機関はもちろんタクシーにも乗せてもらえず、何日もかけて徒歩で入所した人たちも多かったようです。

結婚したカップルも強制的断種、、。

全てが国の命令、、。

言葉にできず、声も届かず、、。

広大な施設を歩きながら、ここにも国の優しさと冷酷な冷たさの遺産に医療者として反省させられる時間を過ごしました。