昨日で僕の新型コロナウイルスワクチン接種業務は終わりました。

自分自身は3度”も”打ちましたが、3度目のあの脳血管障害を思わせる副反応から4回目は”拒否”。

それでも、悶々としながら希望してくる人たちを拒むことはせずに接種業務は続けました。

これを二重基準と非難されることもあるのですが、僕自身、これが”悪の行為”とはどうしても思えないので続けました。

お隣の大陸で始まったこのウイルスパンデミック。

なぜか、近い我が国にはいきなり来ないで、ヨーロッパで悲劇が起きていきました。

そう、天然痘やペストのパンデミックのように、バタバタと死人が出たのは、遠く離れた欧州だったのです。

なんだかんだ言っても世界の主役は白人。

なんとかしないとと生まれたのが今のワクチン。

本来の”観察期間”などすっ飛ばして承認させて、いざ、使用、となると困ることもある。

そこで’しもべ”として選ばれたのでしょう、立候補したのかもしれません、我が国が。

僕はその過程、将来、政治家はお墓に持って行かずに、どこかに記録として残していただきたいと思っています。

何百人もの副反応によると思われる死人を、ただのI am sorryに終わらないで欲しいから。

ただ、貴重なデータが得られたのでしょう。

早期に心血管障害は出るけど、”他の未知なる病原体”への備えになる、という事実。

まだ、ウイルスという概念すらもなかった江戸時代。

ある一定の期間を置いて天然痘パンデミックが世界中で起こっていました。

発疹が軽くて済めばいいのですが、あるものは悲惨な後遺症を残すか、死亡する。

祈るしかなかった時代に、北陸の町医者が孤軍奮闘して、誹謗中傷を受けつつもワクチンを打ち続け、多くの人を救いました。

人々はその結果を少しずつ理解し、その業績を町医者が亡くなってから評価していきます。

今回の新型コロナも日本にとっては天然痘の悲惨さとはレベルが違ったのかもしれませんが、それがなぜか、まだわかりません。

でも、このワクチンが、やはり、良かれ、と思って始まったことだけは確かです。

怖かったら打たなきゃいい。

鵜呑みにしなきゃいい。

何も考えず、文句ばかり宣う、便乗してせびる、ことだけはやめた方がいい。

騒ぎのおかげで、心は割れてしまいましたが、人々に感染症に対しての備え、対処などの啓蒙になったのはいいことと思います。

僕は相変わらず、これだけは言いたい。

乳児や幼少児への接種だけは、”勇足”だったと”非科学的”発想の僕は思っていますが。