今日はマッスル北村君の命日らしい。
僕が彼と初めて話したのは、確か1992年の鳥取境港で行われたNBBF全日本の会場。
彼が東大を辞めて、東京医科歯科に入り直していた頃。
僕が医者であることは誰かから聞いていたらしく、舞台裏でパンプアップしているときに、自然と話すようになった。
僕より数年若く、しかも医学生だったので、筋肉は大人と子供の差はあるが、自然に北村君と呼ばせていただいた。
天真爛漫とは彼のことを言うのか?
ストイックなイメージしかなかった日本人選手のイメージを大きく変えた。
僕が、胸のパンプアップに使っていた25キロのダンベルを、”これ今空いてます?”と言って、何気なくカールしていた、、、。
動作、振る舞い、そして言葉に”軽さ””ちゃらさ”がない。
育ちの良さが、身体からも、それを纏う筋肉からもにじみ出ていた。
そして撮ってもらった貴重な一枚。
すでに24年が経過して色あせてしまった写真だが、楽しい時間を思い出させてくれる。
その後、もう一度だけ、どこかの会場で話した記憶はあるが定かでない。
たしか、JBBF時代のこと、サプリのこと、ドーピングのことなど色々話したような気がする。
医者への路も捨て去り、ボデイビルにまさに人生を賭け、そして静かに旅立った北村君。
大きな輝かしいプロタイトルとは無縁のビルダーだったが、彼ほど記憶に残り続ける選手は出て来ないだろう。
ボデイビルへの強い想い、一心不乱に想い続けた彼は何を思って、2000年に旅立って行ったのだろうか?
その頃僕は、完全にトレーニングの世界から遠ざかっていた。
色々なことを話したかったな、、、。
合掌。