僕たちにできることを粛々と | ほんさんブログ

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㈱Snailtrack(朝日新聞販売店 ASA淡路・豊里)社長のほんさんが、「新聞販売店と学びの日々、ときどき子育て」を綴ります。

 

 

明後日から4日間の北海道出張で4講演させていただくのですが、そのスライドが完成してなくて(下手やし時間かかる・・)父の日に急いで作っています。

 

 

三女(小1)のクラスでは先週まさかのインフルエンザによる学級閉鎖(A型もB型も混在)、そして三女も普通にA型に罹患・・

 

 

今日は朝から隣の市で警官を刺して拳銃を奪って逃走中の犯人、明日のAM6時までに捕まらなければまた学校が休み。

 

三女は「わたし学校行きたい・・」と切なげ笑い泣き

 

 

 

 

そんな感じなので今日は「ほんさんの手紙6月号」の転載でご勘弁を。

 

 

 

 

しゅくだいカフェには普段なかなか学校に行けていない子が、「ここには来れる」と言って来てくれることがあります。


以前、1年ほど学校に行けたり行けなかったりしている子がこんなことを言っていました。


「1度学校に行かなくなると近所を歩くのも気を使う。

 

『学校には来んくせに買い物か?』

『なんや元気やんか。仮病で休んでるんか?』

 

って思われている気がして、どんどん家から出れなくなってしまう」

と。

そうやってどんどんしんどくなって、余計に学校も行きにくくなってしまうと。

 

不登校なんて学校での生活がちょっと合わなかったり、心が疲れてしまったりすると当然のように誰にでも起こりうる現象です。


確かに保護者としては心配になるし、

 

「これはサボリなんじゃないか?ここで休ませるとクセになっちゃうんじゃないか?」

 

と考えてしまうのも十分理解できます。


だけど、「ちゃんと毎日学校に行ける」がとても素敵で素晴らしいことと同じように、

 

心が疲れたら自分で「ちゃんと休める」も同じぐらい素敵で素晴らしいことです。



「クセにならないか?」も、その心配自体が逆効果になりかねないなと危惧しています。


冒頭の話の通り、残念ながら今の日本では「学校を休む」というのはとっても心がしんどいんです。


心が疲れて休んでいるのに、休めば休むほどもっと疲れていく。


その原因の1つに、「休んじゃうとクセになるのでは・・」という保護者の心配が子どもに伝わってしまうことによるものがあるとしたら・・悲しくないですか?




5月の川崎市登戸児童連続殺傷事件は本当に心が引き裂かれたし、その際にニュースで枕詞のように使われ続けた「犯人は引きこもり状態だった」という言葉にも危機感を覚えました。


「犯人は〇〇人で」とか「犯人は契約社員で」などもよく耳にしますが、「犯人には盲腸の手術歴があり」と報道されることはありません。


「犯行の動機は完全に判明していないけど、おそらく『人間関係の希薄さ』『経済力の低さ』が関係しているのではないか」という報道側のバイアス(偏見)が、

 

いかにその属性に当てはめられる人たち(例えば今回の事件なら引きこもり状態の人たち)の心を「しんどく」させるかを考えなくてはならないと思います。


本当の原因は誰にもわからないし、もし今回の事件の動機が引きこもりによる社会的孤立感にもあったとしても、その立場の人たちの心を追い込んでいくような表現は避けなければならないと、新聞を配りながら強く感じました。



偉そうなことを書きましたが、僕たちは僕たちにできることを粛々とやり続けるのみです。


子どもたちの居場所、家族のだんらん、小1の壁、教育格差、貧困の連鎖、シニアのお困りごと、健康維持、コミュニティ作り・・etc


そして雨の日も風の日も必要な人に新聞をお届けすること。


温かい読者の皆さまに見守っていただけると幸いです。