5月1日、三多摩メーデーに参加しました。

歴史的なメーデーのスローガンとして掲げられる言葉に

「万国の労働者よ!団結せよ!」

というものがあります。

 

三多摩メーデーでも

「私たちの声が世界につながります。遠い異国にもつながる」

という趣旨のスピーチがありました。

集会の締めも「団結!がんばろう」というコールでした。

 

 団結・・・って何でしょうか

私はもともと団体行動が得意ではなく

空気に支配されて行動を強いられると息苦しく感じるところがあります。

 

「団結」という言葉にはあまり良いイメージがなく

団結!と言われると、思わず「うっ無理!」となってしまうこともありました。

 

日本共産党では「団結!がんばろう」で締めることも結構あって

(なんか引くわ・・・)と思っていました。

 

でも、最近、私が考えていた「ダンケツ」は

本来の「団結」を誤解していたのかもしれないと思うようになりました。

 

様々な活動をして、運営メンバーをやっていると

思いはひとつでも

アプローチの方法や表現の仕方、運営のスピード感、色々な面で

違いが出てきます。

思いはひとつなのに。

 

特に、社会運動をやったことがない場合、

(分かり合えていると思ったのに)

(共感しあってきたのに)と

仲間だと思っていたのに裏切られた、と感じてしまうような事態も起きます。

お互い一生懸命になるからこそ

ぶつかることもあり運営側から離れてしまう、、、

離れたいわけではないけれど辛すぎて続けられない・・・

とか。

 

違いはある!

考えてみたら、みんな違うところがあるのはある意味当然です。

タイミングや行き違いも生まれます。

それを「違いがある!」と言われても

「そうだよね」としか言えないのではないでしょうか。

「私たち、共感するところもあるけれど、違うところもたくさんあるね」と。

 

行き違いやお互いのちがいを認め合って、受け入れて、

ある意味バラバラを許容しながら

プロジェクトを進める、というのが本当の「団結」なのかもしれない・・・

 

だとすると、割と「団結」に対する心理的抵抗が軽くなるような気がしませんか?

 

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多様性はちから

私の好きな言葉は「多様性はちから」です。

人によって気が付くところも、気になるところもも違います。

人権を尊重する、武器をもたない、人間関係に上下をつくらない

という基本的な一致点がありさえすれば

たくさんの方と手をつなげるはず。

 

ぶつかった時、違いが気になった時は

「違う違う!」というのではなくて

「私はこういう点が気になった、こういう点に傷ついた」と

相手を信頼して、思い切ってぶつけてみることがすごく大切ではないでしょうか。

 

それでも・・・辛くて逃げたくなることもあると思います。

そういう時は傷が癒えるまでそっと離れて待つことしかできません。

 

でも、そんな風に離れていても「団結」はできます。

目指すところが同じであれば

ゆるーくかもしれないですが「団結」だと私は思います。

 

私の感性はわたしのもの。

あなたの感性はあなたのもの。

お互いをリスペクトしながらたくさんの方と連帯していきたいです。

 

前述の

①人権を尊重する、②武器をもたない、③人間関係に上下をつくらない

を憲法で当てはめると

①13条 ②9条 ③14条 です。憲法も大事ですね!