私が真剣に政治について考えるようになったきっかけが

3.11の東日本大震災、福島の原発事故でした。

一瞬にして多くの命が消えてしまった災害を目の当たりにして

あらためて、いのちのはかなさ、掛け替えのなさを感じました。

 

地震は自然現象ですが、原発事故は人災です。

東京の電気が福島から送られていることさえ知らず、

社会や政治に積極的にかかわろうとしなかった自分の姿勢を、すごく後悔しました。

 

国会前のデモや街頭の署名などに参加し、原発問題について学ぶ中で

私たち市民のくらしが、政治によって大きく左右されることに気付きました。

 

3月11日は、ちょうど育児休業中でした。

東村山市内久米川町の木造2階建てアパートで

0歳と4歳の子どもの寝かしつけをしていました。

横たわっていたせいで、揺れを全身で感じてとても怖かったです。

(子ども達は眠っていて全然起きることもありませんでした)

 

まずドアを開け、安普請の外階段が取れていないか確認し

一度も顔も見たことがなかった隣のアパートに住んでいる方に声を掛けました。

怖かったですね、と言葉を交わすことで少し落ち着きを取り戻すことができました。

片道2時間の場所に出勤していた配偶者は夜中遅くまで帰ってきません。

まだ原発のことなんて頭にありませんでした。

その後、、テレビのCMが放映されなくなり、

被災地の映像から目を離すことができなくなりました。

新聞を毎日読み漁り、子ども達と過ごした日々は本当に心細かったです。

 

今も2万9000人の方々が故郷に帰ることができないそうです。

当時、なくなることが必然だと思っていた原発は一向になくなりません。

汚染水を薄めて海に流し廃炉の見通しも立ちません。

原発関連企業は変わらず繫栄し、政治に幅を利かせています。

「3.11」が「がんばろう日本」にすり替えられた手法も温存されています。

ここまで書いて悲しい気持ちになってきました。

本当にどこかに希望はあるのでしょうか。

いやでも

あきらめさせることに慣れてはだめだよね、と小さな声で自分に言います。

なぜなら、あの時、失われた命は戻ってこないし

壊された被災地がもとに戻ることはありません。

それを伝えることができるのは生きている人だけです。

生きている人がやるしかないから、

あきらめそうになる自分に言い聞かせてあきらめないようにしないと・・・・

 

辛い時に「つらいね、悲しいね」と言い合うことは大切です。

受け止めることは、触れないようにすることではありません。

あきらめないようにしましょうね。

被災地の皆さんの平和が戻る日を願いつつ、

小さいながらも自分にできることをつみあげていきたいです。

 

最後までお読み頂きありがとうございました。